あれから8年…新たに公開される“記憶”

震災で津波に襲われた気仙沼市波路上地区にある建物が気仙沼向洋高校の旧校舎。
2011年の東日本大震災の時に12メートルの津波がこの校舎を襲った。新設された「伝承館」とともに、3月10日、一般公開が始まる。

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新設された「伝承館」では、津波の脅威を伝える大型スクリーンや写真で震災前と直後、そして今の気仙沼の様子を伝える展示などがある。

気仙沼向洋高校の旧校舎。最上階の4階まで津波が襲った。南校舎は1階と3階、4階と屋上を見学できる。

施設内では、語り部15人が交代で、訪れた人たちに気仙沼が経験した震災を伝える。
そのうちの一人、伝承ネットワークの代表の近藤公人さん(71)に校内を案内してもらった。

伝承ネットワーク代表 近藤公人さん:
津波はここまで来ています。4階のここまで…これ、津波のあと

向洋高校の近くにある自宅が被災した近藤さん 。震災から8年が経つ今だからこそ「伝えたい」思いがあるという。

伝承ネットワーク代表・近藤公人さん:
直後は恐怖心があってなかなか語れなかった。一方で震災当時の様子が無くなってきています。
すっかり跡がみえない。『え!?ここに津波が来たの?』っていわれるくらいに。(向洋高校)が現状、残っているのは非常に貴重。

校舎の外を別の語り部 三浦秋男さん(71)に案内してもらった。

語り部 三浦秋男さん:
当時、津波で流されてきた民家の2階には、住民2人が取り残されていた。先生たちが津波がいったん収まった後に、北校舎の4階に避難してきて、そこから交代で一晩、励ましの声をかけ続けた。

住宅に取り残されていた住民は翌日救助された。

“残してよかった”と思われる施設に…

現在、気仙沼市内の高校に勤める体育教師の川村桂史さん(45)。震災当時、向洋高校に勤めていた。

『震災遺構』として整備されてから、旧校舎の中に入るのは、川村さんにとってこれが初めてだ。

寺田早輪子キャスター:
教えていた校舎が震災遺構になるのは?

川村桂史さん:
いろいろ複雑。私も気仙沼の人間で、この学校は母校でもあるので…

津波で流されてきた車などが、当時のまま、残された教室。津波の威力を、静かに訴えてくる。

地震発生時、川村さんは校庭で野球部の指導中だった。
すぐに生徒たちを高台へ避難させ、川村さんは、終わったばかりの入試の答案用紙などを4階に移動するため校舎へ…。そして残った教員などおよそ50人は屋上に避難した。

川村桂史さん:
津波はマツの間から、黒いのが地を這うように来たのが見えた…音もすごかった。

川村桂史さん:
聞いたことのないような重低音。あっという間に津波が来た。水が4階まで来て自分のいる場所まで届くんじゃないかっていうところまで来ていた。あそこに見えるのは体育館ですよ…本当は屋根があった。屋根が紙屑のようにくしゃくしゃになった…

屋上からは、生徒たちが最初に避難した高台の地福寺が、津波で流されていく様子も見えたという。
子どもたちは大丈夫なのかなと心配した川村さん。しかし津波が襲う直前、生徒たちはさらに高台の階上中学校に避難し全員が無事だった。

川村桂史さん:

うれしかった。みんなが生きているということが分かった瞬間は…。
マニュアル通りじゃなく、避難誘導してくれた職員などのとっさの判断が大事だった。

川村桂史さん:
何年か先に、この旧校舎にいろいろな経費が掛かって、維持管理が大変で“なかった方が良かった”といわれると悲しい…ここを残したことが良かったなと思ってもらえるようになったら良い

『震災を伝える新たな拠点』
忘れてほしくないあの日からのこと。伝えたい思いが、あふれている。

(仙台放送)

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