長崎・雲仙市の漁師が育児休業を取得した。全国的に見ても珍しいこの取り組みは、水産業界の未来を明るく照らす新たな「灯り」となるのか。漁師の育休取得の背景には、水産業界が抱える危機があった。
愛する家族との時間に「常に喜びしかない」
生後1カ月の赤ちゃんを抱き、愛らしそうに見つめるのは雲仙市の漁師・白水涼さん(31)だ。

待望の娘の誕生に「常に喜びしかない。幸せですよ、新生児の時期も1カ月しかない。写真とか動画とかだけじゃなくて、自分の目で成長を見られるのはありがたいことです」と笑顔で話す。
白水さんはイリコの原料となるカタクチイワシをとる水産会社「天洋丸」で漁労長を務める。「漁労長」は船団をまとめる重要な役割を担い、経験だけでなく判断力、統率力を求められる。

そんな重責のある立場ながら白水さんは2024年8月末から2週間の育児休業を取得した。

新たな家族を迎え、まもなく2歳になる長男と妻の4人の時間を過ごしている。育休中は主に長男の保育園への送迎やミルク作り、夜の寝かしけなどを任されている。
育休取得を決めた理由
白水さんは高校卒業後に漁師の道に進み、3年前に結婚して長男の翔くんをもうけたが、仕事の忙しさもあり1人目の時は育休をとらなかった。

灯りに集まるイワシをとる漁は夜、出港して朝に戻るため、連日、夜に家をあけることも珍しくない。何もかもが初めての育児に妻の萌さんは大きな不安を抱え、追いつめられたという。
「大変だった。寝られないのが一番だったが何でも初めてだったので不安のほうが大きくて子どもと一緒に泣いた」萌さんは当時の状況を語る。こうした妻の負担を減らすため、白水さんは2人目が生まれたのを機に、育休をとることを決めたという。
白水さんは「1人目の時が結構大変だったので2人になったらさらに倍大変になるだろうと思って。やっぱり1人じゃ無理、上の子もいてどっちも同時に泣かれた時がどうしようもない。その時は2人いた方がいい」と夫婦で支え合う必要性を語る。
白水さんのように育休を取得したいと考える若い人は増えている。18歳から25歳の男女7800人あまりを対象にした意識調査では育休を「取得したい」もしくは「どちらかというと取得したい」と回答した男性は全体の8割を超えていて、若い世代の男性が育休をとることを積極的に捉えていることがわかる。(厚生労働省「イクメンプロジェクト」調査より)
育休を会社が全面バックアップ
水産会社「天洋丸」で育休を取得したのは白水さんが1人目だ。また「漁労長」という現場監督とも言える立場で本当に休んでいいのか、初めは迷いがあったという白水さんの背中を押したのは「会社」だった。

白水さんが休業中は経験値の高い他の船の船長に、白水さんの仕事を任せ、その船長の仕事は他の乗組員や時には天洋丸の社長自ら船長として船に乗るなどして白水さんが不在でも業務が滞らないように調整した。現場の混乱はなく、むしろ他の乗組員たちは逆にその間は自分たちがもっと頑張ろうとモチベーションアップにもつながったという。
育休推進の裏にある「危機」
会社が育休をとれるように全面的に白水さんをバックアップしたのには将来を見据えた狙いがある。天洋丸の竹下千代太代表取締役は「漁業は特殊な職業扱いされがち、そうではなく、ちゃんと休みもあるし、家庭も大切に仕事も頑張っていけるというそういう魅力ある職場にしていかないといけないなと思った」と危機感を語る。
人手不足はどの業種も課題だが漁師は特に深刻だ。

1993年に約32万人いた漁師は2022年には12万3000人と約30年で半数以下にまで減った。それに比例するように、漁獲高も1984年の1282万トンをピークに減少が続き、2022年には391万トンにまで落ち込んでいる。水産業を取り巻く状況は厳しさが続いているが、人材確保につなげようと天洋丸は専門家などにアドバイスを受けながら育休の導入を進めてきた。
「漁師の育休」は長崎県内のみならず全国的にも珍しい取組みだという。業界としては先進的ともいえる取り組みの裏には「水産業が抱える危機」がある。

天洋丸の竹下代表取締役は「漁師になりたいという人がこれだけいないと、何かしら取組みをしていかないと、漁師になる人がいなくなる心配もある。漁獲のチャンスを逃がしたりただでさえ人が少ないのをやりくりするのは大変だがそれでもこういう取り組みをしないと先々困るのではと思った」
“サラリーマン漁師”という働き方も
天洋丸では、社員寮を新たに建設したり有給や年2回のボーナス、社会保険など漁師の働き方を全面的に見直してきた。

こうした取り組みを受けて、現在、埼玉や大阪など県外から移住し漁師になる若い人も増えている。

県外から移住して漁師になった一人・埼玉県出身の萩生田惇さんも天洋丸の漁師を選んだ理由を次のように話す。
埼玉県出身の萩生田惇さん:
自分の都合で急に休みを取らなくちゃいけなくなっても代わりに誰か仕事をお願いしてというのがわりと気軽にできる職場かなと思う。サラリーマンじゃないが本当に人生設計もしやすいのかなと思うし、僕自身ある意味ここの来た理由の一つだった。
海と家庭、両方を守る未来へ
育休を経て、漁労長の白水さんには新たな決意も生まれた。

「常に喜びしかない。(一緒にいられることが)嬉しい、もう嫁には出さない。今まで以上に頑張ろうと思う。会社のためにも代わりに仕事をしてくれたみんなのためにも、いまからもっとがんばらんばですね」と語る白水さんの表情には充実感に溢れていた。

家庭も仕事も大切にする海の男たちの新たな働き方は漁業の未来を明るく照らす「灯り」となるかもしれない。
(テレビ長崎)