長野県飯綱町のスキー場に2023年、そば店がオープンした。営むのは25歳の女性。つなぎに「オヤマボクチ」を使う伝統のそば打ちを修業し、亡き祖父が夢見たそば店を開業させた。
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会社を辞め“そば職人”の道へ
手際良く、そばが打たれていく。
飯綱リゾートスキー場のレストハウスに2023年12月にオープンしたそば店「八方味人」。
「コシがあって香りもすごくいい、好きなそば」と客から評判だ。

コシの強さは、「オヤマボクチ」をつなぎに使う、北信濃の一部に伝わるそばの特徴。
店主は畔上清加さん。25歳のそば職人だ。
畔上さんは「自分の色が出るというか、人柄が出ます、そばには。精神的にちょっとなというときは、そばも乱れてきます。そういうところで手を抜かないようには意識してやっています」と話す。

会社勤めを辞め、そば職人の道へ。
亡き祖父の夢を受け継ぐための挑戦だった。
亡き祖父の夢を受け継ぐ
畔上さんは山ノ内町の出身。母方の実家はそばの里として知られる須賀川地区の農家だった。幼いころから、そば打ちに触れ、高校の文化祭で腕前を披露したこともある。
畔上さんは「そばが打てないとお嫁に行けないと言われてるくらい、そばが盛んな地域。子どもながら、粉いじりみたいなこともしたことあります」と当時を振り返る。
今でも正月やお盆になると、祖父母がそばを打っている様子を思い出すという。

高校卒業後は医療事務などの仕事をしていたが、3年ほど前、祖母からそれまで知らされてなかった祖父の話を聞いた。
「昔、おじいちゃんが元々おそば屋さんをやりたかったんだよって、ちらっと聞きまして」

祖父の堀内徳久さんは生前、そば屋を開こうと考えていた。
道具を一式そろえ、調理師免許の取得も視野に入れていたが、畔上さんが生まれる数カ月前に病気で亡くなった。

畔上さんは「そば打ちの道具があるのは知っていたんですけど、そういう意味であったんだと、その時知って、なんかすごくもったいないというか。オヤマボクチのそばは大好きで、このそばなら絶対みんな好きになってくれると確実に思っていたので、祖父の思いも継げたらなと思って」と、祖父がそろえた道具を見つめる。
伝統のそば打ちを修業
祖父の夢を継ごうと決めた畔上さん。2022年に会社を辞め「オヤマボクチ」のそば打ちを学ぶため、地元で宿泊業を営むそば職人に弟子入り。アルバイトをしながら2年間通って、そば打ちを習った。そばつゆは善光寺門前のそば店で作り方を教わった。
2023年の春からは飯綱町で畑を借りた。
畔上さんは「一番はつなぎが足りないというところ。高齢化が進むのもそうなんですけど、なかなかつなぎにするのが大変な作業。栽培だけでもできたらなと思って」と、自身でオヤマボクチも栽培している。

高齢化などで栽培農家は減少しているそうで、祖母から育て方を学び、店のつなぎにしている。
あとは店舗。たまたま母親とスキー場の関係者が知り合いで、2023年12月、レストハウスのテナントとして入ることができた。

打ち台とのし棒は祖父母の家にあったものを譲り受けた。
本格そば打ち
この時期の営業は週4日。
開店前のそば打ちの様子を見せてもらった。
信濃町産のそば粉にオヤマボクチの繊維を混ぜる。葉を煮て、天日干しを繰り返したもので手間がかかる上、わずかしかできないが、なくてはならないものだ。

「つながりの良さ、麺が切れない。あとはコシの強さ。硬いくらいのコシの強さがでます」と、畔上さんはオヤマボクチのつなぎの特徴をこう説明する。

コシの強さを出すには、当然ながら、力を入れてこねる必要もある。
「結構疲れます。一番体力使います」

生地を薄く延ばしたら、少し太めに切っていく。
その方が歯ごたえがあり、そばの香りも楽しめるそうだ。

母親「天国で父は喜んでいる」
オープンは午前11時から。この日は地元や隣の長野市から客が訪れていた。
一番人気は、ざるそば。

地元産のナスやパプリカなどの天ぷらも人気だ。今も時折、働いている地元の温泉施設の料理人から習っている。
客は「天ぷらもおいしい、最高。そばは滑りがいいよ」と、満面の笑み。

接客や配膳を手伝うのは母親の畔上美重子さん(57)。
「そば打ち職人になりたいと言ったときは、反対はしなかったけれども、ここまで真剣に続くとも思っていなかったので、今は本当にすごく誇りに思っています。たぶん、天国で父は喜んでいるんじゃないかと思います。『うまいじゃねえか』とか言って、喜んでくれるんじゃないかなと思います」

「オヤマボクチ」そばを広めたい
祖父の夢を継いで歩み始めたそば職人の道。
店名には「四方八方、大勢の人に味わってもらいたい」という願いが込められていて、畔上さんは、今後もオヤマボクチを使ったそばのおいしさを広めたいとしている。

畔上さんは「目標としては今まで通り、このそばを広めたいというのが一番ですが、まず街中にお店を移転させることが夢であるのと、今まで誰もいないというところで、オヤマボクチを世界に広めたいとは思っています」と目を輝かせていた。
(長野放送)