「昭和」が始まりまもなく100年。東京・立川市にある「昭和天皇記念館」が老朽化などによるリニューアルに向けクラウドファンディングを募っている。
シンガー・ソングライターの松任谷由実さんもクラファンの趣旨に賛同し、コメントを寄せた。
昭和天皇ゆかりの品々を展示 両陛下と愛子さまも訪問
「昭和天皇記念館」は2005年に開館した立川市の昭和記念公園内にある施設。
この記事の画像(8枚)昭和天皇の87年の生涯を紹介し、重要行事で使用された御料車「ニッサン・プリンス・ロイヤル」などゆかりの品々が展示されている。
上皇ご夫妻をはじめ、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまも2016年に「開館10周年の特別展示」を見学されるなど、皇室の方々がこれまでに足を運ばれている。
設備の老朽化 「昭和」を知らない人向けに”クラファン”でリニューアルを
開館から約20年。梶田副館長によると、当時最新だった映像機器も古くなって映らなかったり、ドアも壊れかかるなど、様々な設備に修繕が必要で、館内のモニターには「故障中」「調整中」の張り紙が目立つ。
また、展示自体も開館当時からほとんど変わっておらず、その内容についても工夫が必要だと話す。
建設当初は、昭和天皇を知る人が、展示を見て”懐かしむ”もので、来館者が「見れば分かる」という状態だった。
しかし、「平成」「令和」と時が流れ、2年後の2026年には昭和への改元から100年を迎える。
「昭和」という時代を知らない人が増えそれに反比例するかのように来館者も減少しているという。
「若い人が展示を見ても何のことだか分からず、地元・立川の人でも記念館の存在を知らない人もいる」と副館長は危機感を募らせる。大規模な改修を行い、昭和天皇や昭和の時代を知らない世代にも分かるような展示の必要性にも直面していた。
「より多くの方に昭和の時代に触れてほしい。昭和天皇や当時の人々の想いを知ってほしい」そうした想いから、「昭和天皇記念館リニューアルプロジェクト ー昭和天皇と昭和の記憶を後世に伝えるために」とのタイトルで、クラウドファンディングに初めて挑戦することになった。
ユーミンが賛同メッセージ「振り返ると戦争はいつもすぐ隣りに」
この挑戦にある著名人が賛同のメッセージを寄せた。
昭和天皇が眠る「武蔵陵墓地」がある八王子市出身のシンガーソングライター、「ユーミン」こと松任谷由実さんだ。
幼い頃に祖父と「武蔵陵墓地」を訪れたというユーミン。のちに昭和記念公園となる米軍基地や立川の町での青春時代の思い出を次のように振り返った。
「私は当時の天皇陛下(現 上皇陛下)の『御即位三十年奉祝感謝の集い』で美智子皇后の御歌を奉祝曲「御旅」として歌い、皇室との御縁を頂きました。昭和天皇は私の出身地東京八王子市の武蔵野陵にお眠りになっています。
昔は多摩御陵といって、近くに住む祖父の家を訪ねると、何度か御陵の奥まで一緒に歩いたことを思い出します。大杉の列にいざなわれるように玉砂利を踏んでたどり着くその場所は、昭和天皇のご両親である大正天皇と貞明皇后の御陵。広々として森閑として、いつも時が止まっているような得も言われぬ安らぎを与えてくれました。
その祖父が3歳の母を負ぶって逃れた関東大震災のはなし。母がモガだった戦前の良き女学生時代。そして戦時下、父の出征中、まだ生まれたばかりの長男を栄養失調で亡くしたという悲しみの記憶。私が生まれる前の昭和の出来事です」「私が子供の頃、もう町はとても賑やかでした。近くにあるいくつかの米軍基地から、休日になると外国人がたくさんやって来ました。日本で買い物をする最寄りの町だったからです。朝鮮戦争が始まっていました。そして10代になった私は、立川基地の近くに住む幼馴染の日系人家族の車で、毎週末のように基地の中まで連れて行ってもらいました。
広く長い滑走路、映画館、フットボールコート、ボウリング場、プール、デパートのようなPXはどの売り場もカラフルな商品で溢れ、私はまだ日本で手に入らないロックのレコードに夢中になりました。豊かなアメリカ文化と同時に、カウンターカルチャーの影響も多分に受けたと思います。いつしかベトナム戦争の終焉とともにフェンスの向こうのアメリカは姿を消し、あるときから立派な公園になりました。
私は戦争を直接知りませんが、振り返ると戦争はいつもすぐ隣りにあったような気がします」
昭和天皇記念館がある立川の地で触れたアメリカの文化やカウンター・カルチャー。数々の名曲が紡がれた背景に「戦争はいつもすぐ隣にあった」ことが、ユーミンのコメントから浮かび上がってくる。
「永続発展させる試みを心から応援」クラファン目標額は2000万円
この機会を大切に捉え、時間をかけて思いを綴ったというユーミン。
メッセージはこんな言葉で締めくくられている。
「昭和天皇記念館のある、国営昭和記念公園の西立川口には、私の歌碑も置いていただいています。もう殆ど知るひとのいない、あの幻のような基地の風景と匂いが漂う歌です。バブル経済真っ盛りの平成元年冬、昭和天皇の大喪の礼をTVを通して見ていました。大喪の礼というものがあることを初めて知りました。おそらくこの先一生見ることのない歴史のひとこまがそこにありました。
私にとってはとても懐かしい甲州街道の銀杏並木を武蔵野陵へと、氷雨に煙りながらゆっくり進む葬列のなんと美しいことか。この国にしか現れないしめやかな深い墨色の光景に、私は日本人に生まれて本当に良かったと思いました」
「私の生まれた頃以降の昭和の平和と繁栄は、昭和天皇の言い尽くし難いご苦労とご尽力があってのことと承知しております。私は激動の頃を知りません。それだけに、今だから見える戦後、今の世界情勢の中で知っておかなくてはならない時代です。私は今回の昭和天皇記念館を永続発展させる試みを心から応援いたします」
まもなく訪れる終戦の日。そして来年は戦後80年を迎える。
記念館の大規模改修に向けた今回のクラウドファンディングは9月末までの募集で、目標額は2000万円。8月9日午後6時の段階で537万円余が寄せられた。
通信、映像設備の更新やプロジェクションマッピングによる大型映像の導入費用などに充てるという。返礼品には昭和天皇の「おことば」を解説する小冊子や記念のアートボードが準備されている。
梶田副館長は「賛同いただければ寄付をお願いしたい」と呼びかけている。