2017年、自転車事故を契機に政界からの引退をした自民党元総裁の谷垣禎一氏。

現在は、リハビリに励みつつ、都内の自宅で車いす生活を送っている谷垣氏は、2024年3月に79歳になった。

著書『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)は、2022年に産経新聞で連載された「話の肖像画」を加筆のうえ、再構成したもの。

出生、政治家人生の始まり、そして現在の様子までを谷垣氏自身のインタビューからまとめた一冊で、刊行にあたり、最近の国際情勢などのテーマも加えられた。

今回は谷垣氏が今の政治家や情勢をどう見ているのか。谷垣氏が考える、今の政治家にとって大事なことを一部抜粋・再編集して紹介する。

新しい戦後秩序の中での課題

《ロシアによるウクライナ侵攻から丸二年が経過した。国連の安全保障理事会の常任理事国は、ロシアと連携する中国に米英仏が対峙する構図が続き、機能不全に陥っている》

思い出すのは、新人議員のころに福田赳夫元首相から聞いた話です。

日本を含む各国は一九二九年の世界恐慌を協調して乗り越えることに失敗した。その結果が先の大戦であり、われわれの敗戦であると、福田さんは言っていました。

新型コロナウイルス禍による傷の克服も、国際協調がカギになるだろうと私は考えていました。

しかし、二〇二二年にロシアがウクライナを侵攻し、米中が対立を深め、国際秩序の基本にあった国連安保理が機能しなくなっている。

現在機能しなくなっているという国連安保理(画像:イメージ)
現在機能しなくなっているという国連安保理(画像:イメージ)
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そういう中で、ロシアとウクライナの戦争をどうやって終結させるか。これが国際社会にとって今、一番の課題になっています。

独立国家の主権を侵すロシアに非があるのは明らかです。

しかし、この戦争を終わらせるのは非常に難しい。一九四五年の日本の終戦は、大都市がB29に焼かれ、沖縄の地上戦に敗れ、広島と長崎に原爆を落とされ…と、あれ以上ないところまで追い込まれた末の降伏によるものでした。

しかし、ロシアのプーチン大統領やウクライナのゼレンスキー大統領は、負けっぱなしではやめられないでしょう。

国連安保理の機能不全も、戦争終結を余計に難しくしていると思います。

終結時には国連安保理を今後どうするのか、いじるのかいじらないのかといったことも、焦点になってくると考えられるからです。その際、日本がすごく損な立場に立たされるわけにはいかない。

日本の政治家にとっては、新しい戦後秩序の中でわが国がそれなりの地位を占められるようにすることが大きな課題になってくるでしょう。

日本の政治家にとって“嫌な時代”に

《戦争が長期化している影響で、エネルギーや穀物などの原材料価格が高騰し、日本でも国民生活への負担が増している》

ウクライナ支援も国民生活にもしっかりと目配りをしないといけません。

二年前は、コロナ禍の傷をいかに修復し、国民生活を正常に戻すかという局面でした。

そこへ今度の戦争が勃発し、物価が上がった。こういうときは国民の不満が募ってきます。

しかし、戦時にすごく評判のいい政府をつくるのは難しい。今は首相が誰であっても、「うまくやった!」と大喝采を浴びることはないでしょう。

だからといって、しょっちゅう首相を交代させていてはうまくいかない。日本の政治家にとってまれにみる嫌な時代が来ていると思います。

私が初当選したころは、(物価上昇と景気悪化が同時に進む)スタグフレーションと盛んにいわれていました。それから四十年ぐらいたって、またスタグフレーションといわれている。

以前は(市場の競争原理を重視する)新自由主義的な路線を行き、それが一巡して、次はどんな手を打つべきかが問われています。

基本的なことは岸田さんが発信しなきゃ

岸田文雄首相が掲げた「新しい資本主義」のような考え方は、私は十分にあり得ると思います。

「分厚い中間層の復活」とか、宏池会で育った者としては、そういうものを目指していこうという考えはよくわかる。

ただ、その中でどんな成長戦略をとれるのかについて、もう少し発信がほしいですね。

それがないと、経済政策に安定感が出てこない気がするのです。

具体策を立案する段階においては、官僚の力を借りてもいい。学者に案を作ってもらったり、経済人の知恵を取り入れたり、やり方はいろいろあると思います。

しかし、基本的なことについては、岸田さん自身がしっかり考えて発信しなきゃだめでしょうね…と、隠居が口で言うのは簡単ですが。

岸田さんが二〇二一年の自民党総裁選に出馬し、私を訪ねてきたときにも「首相になるのなら、方向感覚だけはしっかり持って」と伝えました。

細かなことは他人に任せてもいいけれど、舵を切る方向だけは、為政者自身がしっかり意識していないと、展望が曖昧になってしまいますから。

『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)

谷垣禎一
1945年生まれ。東京大学法学部卒。弁護士を経て、1983年、衆院議員初当選。以来、12回連続当選。京都5区選出。1997年、国務大臣兼科学技術庁長官として初入閣。その後、財務相や国交相などを歴任。自民党内においても政調会長などの要職を務め、2009年9月、総裁に就任。3年にわたる自民党の野党時代を支えた。2012年12月には第二次安倍内閣で法相に就任、また2014年9月からは総裁経験者としては異例ながら幹事長を務めた。2017年9月政界を引退。

谷垣禎一
谷垣禎一

1945年生まれ。東京大学法学部卒。弁護士を経て、1983年、衆院議員初当選。以来、12回連続当選。京都5区選出。1997年、国務大臣兼科学技術庁長官として初入閣。その後、財務相や国交相などを歴任。自民党内においても政調会長などの要職を務め、2009年9月、総裁に就任。3年にわたる自民党の野党時代を支えた。2012年12月には第二次安倍内閣で法相に就任、また2014年9月からは総裁経験者としては異例ながら幹事長を務めた。2017年9月政界を引退。