1993年5月15日、日本にプロサッカーリーグ、「Jリーグ」が誕生した。
当時、日本がまだワールドカップ本戦を知らなかった、まさに日本サッカーの夜明け。この約5カ月後には、あの“ドーハの悲劇”へと日本サッカー激動の時代を迎えるが、その話はまたの機会にしよう。
この記事の画像(19枚)それまでアマチュアだった日本サッカー。遂にプロリーグが誕生しJリーグが幕明けした。
その記念すべき開幕戦のカードは、前身の日本リーグ時代からライバル関係でもあり、人気を誇っていた当時のヴェルディ川崎と横浜マリノス。ピッチにはあの三浦知良、カズも立っていた。
57歳の今もポルトガル2部・オリベイレンセで現役を続けるカズは、31年前をこう振り返る。
「まだまだ30年前というのはサッカーというものは、本当の意味でみんなの中で認識されていなかったことが多い中で、(今では)Jリーグというのが認識されて全国に50クラブ以上、J1・J2・J3があって自分たちの街にどこに行ってもある」
「たくさんの人が関われるようになって、たくさんの人の努力でそこまでいっているので、またここから新たな出発だと思います。新たに、いつも挑戦だと思います」
今回の主人公はあの開幕戦を戦った2つのクラブ。
長らくJ2にいた東京ヴェルディは2023年J1再昇格を果たし、「復活へのドラマ」があった。
一方、ここ5年でJ1優勝2回のマリノスには父から息子へ、「魂の伝承」があった。
Jリーグに脈々と受け継がれる出発と挑戦をみつめる。
“緑の名門”がくぐり抜けてきた「黄金期」と「暗黒時代」
2023年12月2日、国立競技場で行われたJ1昇格をかけたプレーオフ決勝戦、東京ヴェルディ対清水エスパルス。ヴェルディは後半のアディショナルタイムにPKを獲得。土壇場で同点に追いつくことに成功した。試合はそのまま1対1で終了。リーグ戦の順位で上回るヴェルディは、16年ぶりのJ1に返り咲いた。
名門クラブがくぐり抜けてきた黄金期と暗黒時代。その重みを紐解こう。
31年前、ヴェルディとマリノスは特別なクラブだった。1993年5月15日のJリーグ発足の日、
他のカードに先駆けた開幕戦に2チームの対戦が選ばれた。それまで不人気だったサッカーが迎えた転換点だった。
選手たちはアイドルさながらの人気に。スポーツ新聞6社の合同号外は15万部が配られるほどだった。
サッカーのプロ化、「Jリーグ誕生」は日本中に話題が溢れ、一躍時代の最先端に立った。
開幕戦の舞台となった国立競技場は5万9626人の超満員。
火がついたサッカー人気が、のちに叶う日本のワールドカップ出場を後押ししていく。
煌びやかなライトを浴びて躍動するマリノスとヴェルディの選手たち。特別なピッチに立ったあの夜、何を思ったのか?
マリノスの水沼貴史は当時32歳。日本代表として1984年から1989年まで、国際Aマッチ32試合に出場し7得点を挙げた名ドリブラーだ。
31年前のあの1戦ほど“特別な瞬間”は他になかったと振り返る。
「うわぁ、すげぇと思って『ここでサッカーができる』っていう、その喜びは忘れられないです。『Jリーグは特別だ』と、ものすごく感じたし、そこに全ての人たちが注目してくれるというところでした。責任感もそうだし、やらなきゃいけないという思いが本当にありました」
「技術的には今の選手たちよりも全然劣っているし、下手かもしれないけれど、気持ちの部分とかその試合で自分たちのメンタルを100%、120%、相手に勝つために出すみたいなのは、すごく伝えることがきたかなと思うし、今でもそれは自負しています。日本サッカーの新しい幕開け。『この1試合で終わってもいいな』ぐらいな感じでした」
ヴェルディの若手選手だった北澤豪は当時24歳。プロになったその責任を肌で感じていた。
「これは歴史に残るだろうという思いがあったから、『出なければいけない』という思いが強くて我々の向き合った試合だけではなくて、お客さんが喜んでくれる試合をやらないといけないという、1人1人が我々も、マリノスの選手たちも持っていました」
「その情熱は『サッカーが好き』っていう思いから、見てくれる人たちにどうやって一緒に歴史のスタートを切れるか、という思いでしたね」
Jリーグの理念のひとつ、「サッカーの発展」に貢献したヴェルディ。カズやラモス瑠偉といった人気選手がその礎だった。
しかし、2009年にJ2に降格すると、ヴェルディはそこからは経営面でも資金繰りが悪化するなど、暗黒時代に。
再昇格の壁が、どれだけ高かったか…。
耐え忍んだ16年。
迎えた2023年12月2日。国立競技場で行われたJ1昇格をかけたプレーオフ決勝戦。東京ヴェルディは、ついにJ1への切符を手にした。キャプテンの森田晃樹(23)は、涙を流しながらその瞬間を噛み締めていた。
「やっと、やっとだよ…」
森田は小学3年生からヴェルディ一筋。培ってきた愛情と託された伝統に突き動かされている。
「いろんな先輩たちがいて、そういう人たちから盗んできて、自分の根底には“観客を楽しませるプレー”があるので、今後も意識はしていきたいですね」
そして、取材ディレクターがヴェルディに残っている理由を聞くと。
「僕自身のキャリアを考えて、移籍も一つの手なのかと感じてはいたけれど、それを邪魔するじゃないけど、心の中では『ヴェルディから離れたくない』その気持ちがJ1に上がった年でもあるし、そういう気持ちが強かったのかなと思います」
レジェンドと父と息子 「魂の伝承」
復活したヴェルディと黄金期のマリノス。2つのチームは今季の開幕戦でぶつかる。
コーチとして迎える“往年の選手”もいる。
31年前、マリノスのゴールマウスを守った松永成立。
国際Aマッチ40試合出場、日本代表の守護神でもあった松永は、取材を申し込むと開口一番。
「うちとヴェルディの開幕戦の取材ですよね?ありがたい話です。カメラ回る前からはっきり言って嬉しい」
松永は、今61歳。チーム最年長としてF・マリノスのGKコーチを務める松永は“未来”に目を向ける。
「歴史というものは基本的に僕たちが伝えて彼らが何をするのではなく、彼らが感じたものの積み重ねだと思うので、彼らがそれを築き上げて、逆にそういうものを後輩たちが重みを感じるような試合になればいいと思います」
そして“特別な想い”を抱く現役選手もいる。
マリノスの水沼宏太(34)だ。父はマリノスのレジェンド、31年前の開幕戦に出場した水沼貴史。
あの試合の当時、息子の宏太は3才。父の雄姿には今こそ教えられると話す。
「光と音がすごい場所に行ったっていう記憶はあって、それが開幕戦だったと思う。プロになってから映像で見ることが多かったけど、結構激しい試合しているな、でもその背景にはプロになるために必死でやってきたとか、プロに日本をさせるためにここまでやってきたとか、そういう背景があるんだなっていうことを考えると、そりゃあこれだけ激しい試合になるよな、それぐらい魂がこもっていた試合でした」
「最初にあの試合があったから(自身が)ここまで来られたっていうのは間違いなくあるし、その中でしかも家族が出ていた、父が出ていたと考えると、絶対に負けたくない。あれぐらい魂のこもった戦い、あれ以来の開幕戦でマリノスとヴェルディがやるということは、それは体現できればいいと思います」
国立競技場で行われたJ1開幕戦、東京ヴェルディ対横浜F・マリノス。
31年前のJリーグ開幕戦と同じカード。
2024年2月24日は、Jリーグの新たな「出発の日」になるだろう。
『S-PARK』旬なネタをどこよりも詳しく!
3月2日(土)24時35分
3月3日(日)23時15分
フジテレビ系列で放送
2日(土)の放送では、「Jリーグに受け継がれし魂」の続編を特集。J1開幕カード、東京ヴェルディ対横浜F・マリノスの決戦当日に完全密着。選手、スタッフ、OB、サポーター。この日、この舞台に懸ける、男たちの熱情とは。特別な1日を様々な角度から追った。