2月14日。柔道のパリ五輪100kg級日本代表候補・ウルフアロン(27)は、スマホを触りながらソワソワと連絡を待っていた。
「あ、電話来ました!出ようかな、どうしようかな」
少し躊躇しながらも、電話に出た。

「もしもし、お世話になります」
電話の相手は全日本男子の小野卓志コーチだ。
小野コーチ:
今強化委員会が終わって、ウルフ選手。パリ五輪代表内定決まりました。
ウルフ:
ありがとうございます!頑張ります。
スマホを片手に、仲間にサインを送って代表内定を伝えるウルフアロン。

「内定、出ました」
電話を切り、少し安堵した様子を見せるも、すぐさま表情を引き締め、日本代表としての決意を語り始めた。

「まずはスタートラインに立てたという気持ちが強いですし、これに安心することなくオリンピックまで5カ月ちょっとですけど、しっかりと準備をして結果を残したいと思います」
柔道界で唯一先送りになっていた男子100kg級のパリ五輪代表。ウルフアロンは10日前に行われた国際大会で優勝し、その代表の座をついに手中に収めた。
しかし、東京五輪で金メダルを獲得して以降、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。
険しい道のりを経て掴んだ日本代表の座。パリ五輪への誓いをフジテレビのスポーツ番組「S-PARK」が聞いた。
「東京五輪で満足してしまった」自分との戦い
冒頭の電話シーンの翌日、2月15日。日本代表発表の会見直後。

取材スタッフは、ウルフアロンに”サプライズ”を用意して取材に向かった。
ディレクター:
今日は”おめでとうコメント”を頂いてきました!
ウルフ:
何となく誰だかわかるんだよな、こういうの。
タブレット端末を両手に取り、映像を見つめるウルフ。

「あ、高藤先輩ね」
※編集注:高藤の高は梯子高(はしごだか)が正式表記
メッセージをくれたのは、東京五輪男子60kg級の金メダリスト、高藤直寿(30)だ。
プライベートでも特に親交が深い先輩からウルフへの祝福コメント。

「アロン、内定おめでとう!東京五輪からたくさん辛いことあったと思うんですけど、本当に最後の気持ちのこもった試合、最高でした。あれだけパフォーマンスが戻れば、自信をつけたと思うので。今まで自信がなかったと思いますが、これで自信つけたんで大丈夫です」

「間違いなく(五輪)2連覇してくれて、ウルフアロンのバーターでテレビに出られるのを楽しみにしています(笑)」
柔道界でも特に仲のいい高藤ならではの、”おめでとうコメント”に笑顔がこぼれるウルフ。

「ありがとうございます!嬉しいですね」
高藤が語ったように、ウルフアロンの”パリロード”は本当に苦しみに満ちたものだった。ウルフが振り返る。

「東京五輪で優勝することを一つ大きな目標として柔道人生を歩んできた所があったので、そこで優勝したことによって自分自身かなり満足してしまった所がありました」

「気持ちの切り替えをしないままのタイミングで、『次はパリ五輪を目指す』と口に出してしまって、試合に出てという形だったので…」
“燃え尽き症候群”にも似た感情を抱え、気持ちも前を向かないまま試合に出たウルフアロン。復帰直後は主要な国際大会で初戦敗退の結果に終わる。
東京五輪翌年。2022年のグランドスラム東京、マスターズと立て続けのことだった。

この敗北は、金メダリストとなったウルフアロンに心の変化を生む。
「負けが続くことにより、負けるってことが苦しいことだと改めて実感しましたし、もうやめたいなと思うこともありました」
「やめたい」気持ちを口にして楽になる
そんな時、窮地に立ったウルフアロンは、ある行動をとる。

「やめたいってことや、辛いっていうことを口に出しました。そうすることによって、気持ちが楽になるじゃないですけど。本当にやめたかったら誰にも相談せずにやめると思うので、口に出したりすることによって、自分自身の気持ちを整理したりしながら、新しくモチベーションを作って行きました」
ウルフの不調とともに日本の100kg級代表候補争いは、“主役不在”の時期へと突入していた。
その間もウルフは、「重圧と焦り」をどうにか消化しながら、己を信じることだけを燃料に、牙を研ぎ続けていたが、現実は残酷だった。

東京五輪以降は年に一度の世界選手権代表にも手が届かず、国際大会の優勝は「ゼロ」。
さらに2023年12月、パリ五輪代表選考の「最終戦」と位置付けられたグランドスラム東京。ウルフはメダルを逃したばかりか、7位に終わる屈辱を味わう。
パリ五輪の代表候補4選手が出場した100kg級の中で、世界ジュニア選手権王者の大学1年生、新井道大が、現世界王者を破るなど快進撃をみせたが、決勝で敗れ2位。
全日本柔道連盟は、このグランドスラム東京の直後に男女3階級の代表に内定を出し、全14階級中13階級の代表が内定したが、男子100kg級だけは決定を持ち越す“異例の事態”となった。
絶対的な選手の不在に、100kg級は日本柔道の「アキレス腱」とまで言われるような状況が続いた。

そんな窮地の中で迎えた今年2月。フランスで行われた国際大会、グランドスラム・パリ。五輪本番まであと5カ月余り。ここで優勝すれば五輪を大きくたぐりよせる「大一番」の舞台がやってきた。
戦前の立場は、先のグランドスラム東京で2位に入った新井道大が代表筆頭候補で、ウルフは2番手。ウルフに与えられたミッションは「新井より上位」、かつ「成績で明確な差をつけること」だった。

ウルフは初戦から着実に勝ち抜き、準決勝で一本勝ちをおさめると、決勝では2021年男子90kg級の世界王者、ニコロス・シェラザディシビリ(スペイン)と対戦。残り16秒から切れ味鋭い内股で「技あり」を奪い、優勢勝ちで優勝を飾った。
東京五輪以降、初めての国際大会優勝。
”完全復活”を印象付けるには、十分すぎる柔道がそこにはあった。
誰も成しえていない”連覇の壁”に挑戦
完璧な形で「優勝」というミッションをコンプリートしたウルフアロン。
見事、2度目の夢舞台を己の力でつかんだが、この代表決定に全日本男子・鈴木桂治監督も期待を寄せる。

「連覇に挑戦できる立場になりましたので、しっかりとその目標を固く持って、戦いに向かっていってほしいです」
これまで、世界中の柔道家たちが跳ね返されてきた100kg級の五輪連覇。
日本の“レジェンド・井上康生”さえ叶わなかった歴史の壁がそこにはある。
絶頂期の井上は2000年に開催されたシドニー五輪で、5試合連続オール一本勝ちで頂点に立ったが、2大会連続で出場したアテネ五輪。そこまで国際大会5年間無敗と、金メダルの大本命で臨んだが、4回戦で背負い投げを喫し、まさかの一本負け。その後敗者復活戦にも敗れ、メダルすら手にできなかった。
その歴史に、崖っぷちから蘇ったゴールデンヒーロー・ウルフが挑む。

「誰も成し遂げなかったことを成し遂げることは特別なことだと思いますし、僕は特別なことが大好きなので、特別なことがしたいですね。負けない柔道をして2連覇したいと思います」

パリ五輪の男子柔道は開会式翌日の7月27日から8月3日にかけて、エッフェル塔近くにあるシャン・ド・マルス・アリーナで開催される。
歴史の街・パリで、新たな歴史の扉は切り拓かれるのか。この夏、ウルフアロンに熱い眼差しが注がれる。
『S-PARK』スポーツ情報をどこよりも詳しく!
2月24日(土)24時35分から
2月25日(日)23時15分から
フジテレビ系列で放送