能登半島地震からまもなく3週間となる中、1月19日に石川県は「孤立集落の実質的な解消」を発表した。安全な場所への移送が一つの山を越えた一方で、石川に戻りたくても戻れない人もいる。一人の高校球児は、故郷の福島県いわき市で仲間のもとに戻るその時を待っている。
石川県に戻れず 仲間を案じる
1月18日の夜。福島県いわき市で練習を行っていたのは、中学硬式野球チーム「いわきボーイズ」の選手たち。このなかに一人、高校生の姿があった。永井孝太郎さんは、石川県輪島市にある高校に通っている。年末年始の休みを使って実家に帰省していた。

「石川の方で地震があったと聞いて、戻れるのかなっていう思いと、チームメイトとかクラスメイトとか、全員無事なのかなっていう不安が募りました。向こうの方にもたくさん帰っている生徒がいたので安否確認したりとか、今後どういう行動をとらないといけないとか、そういうことを色々連絡取りあっていました」とチームの仲間やクラスの友人の安否を心配していた。

母校は山梨県へ集団避難
2024年の元日に起こった能登半島地震。永井さんが通う、日本航空高校石川は教室が使えず休校に。野球部の練習場は地面が隆起するなどして使うことができなくなった。春のセンバツに出場する可能性がある石川県の野球の名門校は今、山梨県の系列校に集団避難を強いられている。

休んでいる場合ではない
永井さんが、中学時代エースとして活躍したのが「いわきボーイズ」。練習場には父・孝幸さんの姿もあった。父・孝幸さんは「監督から練習する場所を与えてあげないと、という言葉をいただいた。それを息子に話して、ぜひ参加させてくれと。休んでいる場合じゃないと」と話す。

仲間のためにできること
2023年秋の1年生大会で、マウンドに上がるなど実力が認められている永井さん。チームのために、いわき市でいま自分ができることを全力で。今後は、野球を通して被災地に元気を与えることを誓う。

「1つ1つの行動で、皆さんに元気を与えることができると思う。石川の人たちに元気を与えることができるなら、そういうプレーをできるように今は一生懸命練習を頑張って、見せられるようにしたい」

日本航空高校石川では、順次 山梨県への集団避難を進めている。ただ、永井さんがチームメイトと合流できる日は未定だという。
(福島テレビ)