低い水路から水をくみ上げる「水車」。なぜか河川と並行ではない「堤防」跡。佐賀県唐津市の松浦川と厳木川の川沿いには、災害の度に長年にわたり改善・改良を繰り返してきた先人の知恵と創意工夫の跡がのこっている。

“洪水からコメを守る”水車

江戸時代から約340年。唐津市相知町の町切地区に脈々と受け継がれているのは「町切水車」だ。田んぼへ水をくみ上げる風景は、毎年恒例の“初夏の風物詩”となっている。

約340年受け継がれる「町切水車」
約340年受け継がれる「町切水車」
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この水車、実は“治水対策”として作られたのが始まりだった。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
数多くの災害の結果、住民たちが知恵を出して改善・改良を繰り返す中でこれまで伝わってきたんじゃないかなと

町内の水環境などを調査している石盛信行さん
町内の水環境などを調査している石盛信行さん

相知町内を流れる厳木川。生活や稲作をする上で欠かせない存在だ。

しかし、大雨が降ると度々洪水を起こしてきたと、町内の水環境や生き物を調査している石盛信行さん(81)は話す。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
厳木川は勾配がきつくて、流れがあって、流れがあるということは大雨になると水が加速する。流れがひどいと稲が倒れて全部さらっていくので、被害が増大するんです

そこで江戸時代の人たちは、水路より1メートル以上高い桑畑を田んぼに変え、低い水路から水をくみ上げる水車を設置することで、“洪水からコメを守る”治水対策を講じた。

稲作の季節以外には“分解して保管”

町内に伝わる1600年代の古文書には、地区に「水車が8基ある」という記録が残っている。

直径3メートル50センチ、重さ約140キロの水車の最大の特徴は分解ができること。稲作の時期以外には分解して保管することで、長期にわたり使うことができる工夫で、全国的にも珍しいとされている。

戦後、1955年には20基以上の水車が設置されたが、減反政策や農家の高齢化でコメを作る人が減り、その数は2基までに減少。生活を守る知恵を次の世代に伝えていこうと、地元の保存会によって受け継がれている。

町切水車保存会 長友貞美さん:
だんだん歳とって、これからは若い子たちに取り組みへ、もう少し入ってもらうような対策を今後考えていきたい。町切地区の財産なので、それだけは守っていきたい

氾濫しても下流域の被害を最小限に

もう一つ、町内には治水対策の“跡”がのこっている。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
これが大野地区の横堤

町内を流れる松浦川に平行…ではなく、ほぼ垂直に造られた高さ約2メートルの堤防が「横堤」だ。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
上流側で水があふれるので、横堤で閉め切って水を遮断して、下流側の田んぼに必要以上の水が来ないように稲作への影響が最小限で済むような役割を横堤がしたんじゃないか

明確にいつ造られたのかは分かっていないが、1881年、明治14年の地図には横堤が記載されている。
松浦川の蛇行した部分で氾濫が起きたとしても、横堤で水を食い止めて“下流地域の冠水を防ぐ”という狙いだ。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
完全に災害を防ぐことはできないけども、“減災”につながる絶対必要な構造物。生きるための知恵は地元の人たちの創意工夫によるものと考えると、住民の人たちの知恵の結集ですよ

石盛さんによると、町内には、流れが早い厳木川や松浦川の蛇行地点などに5つの横堤が確認されている。

川沿いにのこる先人の知恵と技術は、水害への備えの大切さを今も伝えている。

自然と暮らしを考える研究会 石盛信行さん:
将来に向けて自分たちの生活にどんな備えをしたらいいのか、先人たちの知恵をどう生かしたらいいのか。そういうことを考えて生きていく時代に突入したんじゃないか

(サガテレビ)

サガテレビ
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