2023年4月1日、福島県富岡町の帰還困難区域のうち復興拠点で避難指示が解除。咲き誇るサクラと花々が訪れた人を出迎えた。夜の森地区もそのひとつ。生まれ育った"夜の森"に帰った男性は、これから花に溢れた故郷で多くの人を出迎える。
祖父が開拓した花の街を守りたい
「こういう作業は毎日して手入れしてやらないと、長くきれいな花咲かないんです」
こう話すのは、但野勝郎さん、78歳。避難指示解除となった富岡町夜の森地区で生まれ育ち、原発事故による避難後も夜ノ森駅周辺で草花の手入れを続けてきた。
「夜の森っていうのは、サクラとツツジが日本でも有名なところ。そこで草ボーボーにしておいたら、皆さんどう感じる?俺は大っ嫌い。そんなこと出来ない」
東日本大震災前は一日約400人が利用し、「東北の駅百選」にも選ばれた夜ノ森駅。
初夏には約6000株のツツジがホームの両脇に咲き誇り、「花の駅」として乗客を魅了した。
「綺麗な環境、綺麗な美化で迎え入れれば、来た方も気持ちよく生活できるんじゃないか。だから環境の美化に力を入れている」と但野さんは語る。
但野さんの祖父・芳蔵さんは、明治時代に原野だった夜の森地区を開拓した一人で、住民と協力してサクラやツツジでこの場所を彩り、守り続けてきた。但野さんは「先人たちが作ってくれたこのきれいな環境を、継続していきたい。ただそれだけ」と話す。
故郷へ帰ることを迷わず選択
原発事故後、富岡町を離れ郡山市・いわき市などで避難生活を続けてきた12年。解除とともに故郷へ戻ることに、迷いはなかった。
「だって夜の森で生まれたんだから、夜の森に帰ってくるのは当然」という但野さん。ただ故郷の友人の多くが避難先で新たな生活を築き、共に戻ることは叶わなかった。
「夜の森地区に帰って死にたいって。そういう方が、そういう気持ちがあっても帰れないって厳しい。辛いですよね」
但野さんが町に戻ることを知った住民から、ツツジやスイセンなどが贈られた。但野さんは夜の森地区にある自宅の跡地で育て、夜ノ森駅前の花壇に植えることにした。
残りの人生を花と共に
避難指示解除から4日後、但野さんは夜の森地区で新たな生活を始めた。「気持ち新たに夜の森地区の駅の近くに住めるようになったので、美化活動もすごく肉体的にも精神的にも、経済的にも楽」と話す。
さっそく水やりを始めた但野さん。「大変さ半分、嬉しさ半分。肥料も水もやらなくては。手は掛かるんですよ。でも、掛かっただけのお返しが花の方から来るわけです。私は残った人生をこの美化活動につぎ込むつもりでいるので、何とか一日も長く神様が私の命を伸ばしてくれればいいんだけど」と語った。
これからも花に溢れた夜の森で。訪れた人を迎える。
(福島テレビ)