宮城県気仙沼市に移住し、撮り続けている写真家がいる。彼が写す「海の街・気仙沼」の幻想的な写真は、全国のテレビ局や出版社からの提供依頼が絶えない。“知る人ぞ知る”名カメラマンだ。彼が気仙沼を撮り続ける理由…それは亡き妻の故郷・気仙沼への「恩返し」だった。
この記事の画像(18枚)移住写真家が写す「海の街」気仙沼
2023年3月下旬、日の出前の宮城県・気仙沼港でカメラを構える一人の男性がいた。
写真家 かとうまさゆきさん:
ほぼ毎日、市場の近くにいるので…。
写真家・かとうまさゆきさん(71)。10年前に気仙沼に移住し、港町の景色を毎日、撮影している。
写真家 かとうまさゆきさん:
人間の目で見るよりも望遠レンズを通すと圧縮されて見えるので、迫力ある映像が撮れる。
かとうさんが冬に毎朝撮影しているのが、気仙沼の冬の風物詩「気嵐」。冷たい空気と暖かい海水との温度差によって、海面から霧が立ち上る現象だ。「日本中探してもこんなに気嵐がすばらしいところはない」と、かとうさんは嬉しそうに話す。
カメラで“恩返し”をー
かとうさんは、神奈川県出身。撮影のため国内外を飛び回ってきた。気仙沼は愛する妻の生まれ故郷。結婚する前から気仙沼をよく訪れていて、いつか移住しようと決めていたという。
写真家 かとうまさゆきさん:
気仙沼の魅力の中に「船」がある。フェリーの行き交いもあり、大型の近海マグロ船もあれば、小さなタグボートから、イカ釣りの船から本当に色々な船があるので、ここで見ていて飽きない。
夫婦で気仙沼に家を建て移住しようとしていた矢先、発生した東日本大震災。かとうさんは直後に神奈川から駆けつけ、迷いながらもシャッターを切った。
2013年にようやく気仙沼に移住し、妻・千加子さんの母親と3人での暮らしが始まったが、程なくして、千加子さんが病に倒れ亡くなった。
写真家 かとうまさゆきさん:
気仙沼に来てゆっくりできた…というのがあまりなかった。女房が亡くなって、一人娘だったので、今度は義母の介護。介護やこれからの生活をどうするか相談…、気仙沼に来て分からないことも多くて。気仙沼市の方たちにも色々お世話になったので、その“恩返し”を今している。
かとうさんが気仙沼を撮り続ける理由ーそれは「気仙沼への恩返し」。自分の写真や動画が、気仙沼に全国から人が訪れるきっかけになればと考えている。この日はカキ養殖の取材のため、2019年に本土と橋でつながった気仙沼大島を訪ねた。
向かった先は、過去に雑誌の取材で印象に残ったという水産加工会社だ。食べ物を写す前には、まずはその食べ物を味わってから撮影に臨むことにしているという。
写真家 かとうまさゆきさん:
全くえぐみがないです。おいしい。おいしさが分かって初めて写真につながる。
ヤマヨ水産の小松武さん(47)は、津波で自宅や養殖施設が全て被災したが、その2年後、養殖を再開させた。かとうさんはこの日、5月に出荷を予定している「春牡蠣」の選別作業を撮影した。
写真家 かとうまさゆきさん:
いいですね!その笑顔、欲しいですね!アップを撮らせていただいて…このぷりぷり感を…。
ヤマヨ水産 小松武さん:
こういう表情でやっているのか…と、なかなか撮られる機会も少ないので…こそばゆい。表面だけを見るのでなくて、「おいしかったから、それを撮りたい。紹介したい」と言っていただける写真家が世の中にいるというのが衝撃だった。本当に心強い。
写真家 かとうまさゆきさん:
漁業に関わる人たちの「負けねえぞ!」という、ど根性が見える。写真を撮っていて見えてくる。気仙沼は魅力ある街なので、これを全部、撮り尽くすまでは仕事はしていきたい。
“気仙沼を撮りつくすまで”
かとうさんは、海の街と、そこで生きる人を撮り続ける。
(仙台放送)