今から26年前、日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件。神戸市須磨区にある中学校の校門前に、男の子の頭部が置かれていた残虐な事件だ。

日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件
日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件
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逮捕されたのは、当時14歳の“少年A”だった。刑事処分の対象を16歳から14歳以上にまで引き下げるきっかけとなったこの大事件に今、新たな波紋が広がっている。

2月14日、殺害された土師淳くんの父・守さんが最高裁判所を訪れた。

「その“なぜを解く鍵”が、全く失われてしまった」 2月14日、最高裁判所を訪れた土師さん
「その“なぜを解く鍵”が、全く失われてしまった」 2月14日、最高裁判所を訪れた土師さん

土師守さん:
なぜ子供の命が奪われなければいけなかったのか。その“なぜを解く鍵”が、全く失われてしまった。

神戸家庭裁判所が事件の全記録を10年以上前に廃棄していたことが判明し、そのことについて意見を述べるために最高裁へ出向いたのだ。

いまだ真相が分からないという土師さん。その一連の事件とは、どのようなものだったのか。

小学生2人を殺害、3人にケガをさせた“酒鬼薔薇”

1997年3月。神戸市須磨区の市営住宅前の路上で、近くに住む小学4年生の山下彩花ちゃん(当時10歳)が、頭を金づちで殴られ死亡した。

1997年3月、市営住宅前の路上で頭から血を流して倒れていた
1997年3月、市営住宅前の路上で頭から血を流して倒れていた

そのわずか10分後、今度は小学3年生の女の子が刃物で刺され、重傷を負った。

小学3年生の女の子が被害に
小学3年生の女の子が被害に

そして、2カ月後の5月、中学校の校門前に男の子の頭部が置かれているのが見つかった。

5月、中学校の校門前で男の子の頭部が見つかる。現場には犯人からの挑戦状が残されていた
5月、中学校の校門前で男の子の頭部が見つかる。現場には犯人からの挑戦状が残されていた

さらに世間を震撼させたのが、現場に残された犯人からの挑戦状。男の子の頭部には、縦長のメモ用紙のようなものがついており、赤い文字の手書きでこう書かれていた。

「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを」

文章の終わりには「酒鬼薔薇」の漢字が書かれていた。

男の子の頭部が見つかってから数時間後
男の子の頭部が見つかってから数時間後

そして、男の子の頭部が見つかってから数時間後。中学校から近い山の中で、今度は男の子の胴体部分が隠されているのが見つかった。

殺害されたのは、3日前から行方不明になっていた小学6年生の土師淳くん(当時11歳)と判明。

警察の懸命な捜査が続く中、1カ月後、容疑者を逮捕。その一報に日本中が震撼した。容疑者はなんと中学3年生、14歳の少年だった。

6月に容疑者を逮捕。小学生2人を殺害し、3人にケガをさせたことを認めた
6月に容疑者を逮捕。小学生2人を殺害し、3人にケガをさせたことを認めた

逮捕された少年Aは、小学生2人を殺害し、3人にケガをさせたことを認めた。須磨警察署の取調室で再逮捕の令状を見せられると、普段と変わらない様子で、素直に犯行を認めたという。

少年法の改正実現 「いつか記録閲覧できる」と信じて

ところが、当時の法律では、14歳は刑事処分の対象外。少年Aは医療少年院に送られることになった。

当時の法律では、14歳は刑事処分の対象外
当時の法律では、14歳は刑事処分の対象外

しかし、処分を決める少年審判は完全非公開。遺族ですら、事件の真実を直接聞くことはできなかった。

処分を決める少年審判は完全非公開だった
処分を決める少年審判は完全非公開だった

このことが、土師淳くんの父・守さんら遺族を動かした。国会で少年法の改正を訴えたのだ。

「被害者にとって、審判廷に出席して事実を知ること、そして自分のつらい気持ちを…」国会で少年法改正を訴える
「被害者にとって、審判廷に出席して事実を知ること、そして自分のつらい気持ちを…」国会で少年法改正を訴える

土師守さん(2008年5月 衆院法務委員会):
被害者にとって、審判廷に出席して事実を知ること、そして自分のつらい気持ちを言うことは、実は立ち直りの第一歩でもあります。

2000年には少年法の改正が実現し、事件資料の一部が閲覧可能に。土師さんの訴えは実を結び、2008年には殺人などの重大事件で、被害者や遺族による少年審判の傍聴も認められた。

改正前の事件には適用されず、土師さんが事件の記録を見ることはできなかったが…
改正前の事件には適用されず、土師さんが事件の記録を見ることはできなかったが…

だが、改正前の事件には適用されず、土師さんが事件の記録を見ることはできなかった。それでも、いつかは法改正が進み、すべての記録が閲覧できるようになると信じてきた土師さん。

土師さんは、いつか法改正が進み、すべての記録が閲覧できるようになると信じてきた
土師さんは、いつか法改正が進み、すべての記録が閲覧できるようになると信じてきた

ところが2022年10月、まさかの事実が判明した。家庭裁判所がその重要な記録を廃棄していたのだ。

「特殊な事件ですので、資料は残しているものだと思っていました。まさか廃棄されているとは。憤りを感じる」
「特殊な事件ですので、資料は残しているものだと思っていました。まさか廃棄されているとは。憤りを感じる」

土師守さん:
最初びっくりしましたし、特殊な事件ですので、資料は残しているものだと思っていました。まさか廃棄されているとは思っていませんでした。こういう貴重な資料を廃棄する管理の悪さ、ひどさにあきれている。憤りを感じる。

なぜ重要な事件の裁判記録を廃棄したのか…。実は、最高裁判所の規定では少年事件の場合、保管期間を少年が26歳になるまでとしていた。

例外があるにもかかわらず、神戸家裁はなぜ少年Aの精神鑑定書など、全ての資料を破棄したのか
例外があるにもかかわらず、神戸家裁はなぜ少年Aの精神鑑定書など、全ての資料を破棄したのか

一方で例外もある。事件の5年前、1992年に最高裁が出した通達では、社会の注目を集めた事件の記録などについては、事実上の永久保存を求めているのだ。

それにもかかわらず、なぜ神戸家庭裁判所は少年Aの精神鑑定書など、すべての資料を廃棄したのか。

事件の中身は精査せず処分…最高裁は報告書公表へ

事件当時、少年Aの付添人を務めた弁護士が、唯一残っていた事件の目録を見せてくれた。廃棄された記録は、捜査関連の書類だけでも1000点以上あったと話す。

捜査関連の書類だけでも
捜査関連の書類だけでも

工藤涼二弁護士:
法律の改正の契機にもなったし、少年事件の報道のあり方を問い直すこともあったし、色んなことの契機になった事件なんですよね。資料としての価値は非常に高い事件・記録だった。

「、少年事件の報道のあり方を問い直すこともあったし、色んなことの契機になった事件」
「、少年事件の報道のあり方を問い直すこともあったし、色んなことの契機になった事件」

では、家庭裁判所では何を基準に、記録の保管と廃棄の判断をしていたのか。現場を知る元家裁調査官はこう話す。

「機械的に(少年が)26歳になると処分する。本当にその子は26歳なのか、戸籍等で確認はします」
「機械的に(少年が)26歳になると処分する。本当にその子は26歳なのか、戸籍等で確認はします」

元家裁調査官・和光大学 熊上崇教授:
機械的に(少年が)26歳になると処分する。本当にその子は26歳なのか、戸籍等で確認はしますけど。この事件が重要だからとか、軽いからという中身は精査しません。

こうした中、ある動きが出てきた。当初、廃棄の経緯について調査しない方針を示していた最高裁判所が、土師さんたちの強い要請を受けて、有識者による調査委員会を設置。

土師さんは「子供の命が奪われた事件の記録を閲覧したいという、わずかな希望さえ奪われた」と管理体制確立を訴えた
土師さんは「子供の命が奪われた事件の記録を閲覧したいという、わずかな希望さえ奪われた」と管理体制確立を訴えた

その中で土師さんは、「子供の命が奪われた事件の記録を閲覧したいという、わずかな希望さえ奪われた」と話し、十分な管理体制を確立してほしいと訴えた。

「声をあげさせていただいた。少しでも現状が改善されることが、一番の大きな希望です」
「声をあげさせていただいた。少しでも現状が改善されることが、一番の大きな希望です」

土師守さん:
私自身がまず声をあげることが次につながると思い、声をあげさせていただいた。少しでも現状が改善されることが、一番の大きな希望です。

今も遺族らの闘いが続く、神戸連続児童殺傷事件。最高裁判所は、4月をめどに廃棄の原因や今後の保存の方針などを報告書にまとめ、公表するとしている。

(「イット!」3月10日放送)