長野市の繁華街・権堂に店を構えるそば店。店主は80歳の女性だ。夫に先立たれてから一人で店を守り、このコロナ禍に半世紀を迎えた。一度に「20人前」という力強いそば打ちも健在だ。
80歳女性が一人で切り盛り
![手打ちそば処 とがくし(長野市)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/c/700mw/img_4c3a8f3266de278fe845eb32a89f496e383470.jpg)
権堂アーケードの中ほど、老舗映画館の前にその店はある。
ざるそばは戸隠特有の「ぼっち盛」。(ざるそば750円)
![「ぼっち盛」のざるそば](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/700mw/img_35aca172e46e8cb3f941c48d368bd048341021.jpg)
うどんも手打ちだ。(釜揚げうどん800円)
ここは「手打ちそば処 とがくし」。店主の中川麻子さんが一人で切り盛りしている。権堂に店を構え、この春で53年。
![釜揚げうどん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/7/a/700mw/img_7a4190f98f9b42e2356b793b4a8b2346273209.jpg)
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
こんなにできるとは思ってなかったけど、みんなに私もかわいがっていただいて、本当に今がある
![手打ちそば処 とがくし](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/f/700mw/img_ffa31e6b89c34af613f3815e17e664fb337059.jpg)
そば打ち歴55年の確かな技と味でコロナ禍を乗り切ろうとしている。
権堂の映画館前で半世紀
![25歳の時、文義さんと結婚(提供写真)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/e/9/700mw/img_e96fadfc9c4d244fdcba49e813174ec8130855.jpg)
中川さんは旧戸隠村の出身。25歳の時、同郷の文義さんと結婚。そば打ちは、文義さんの母親から習った。
その後、長野市に移るとそば打ちを見込まれ、親戚が営んでいた「丸光百貨店」内のそば店を任された。これが「とがくし」の始まりだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
やればいいわと、おもてなか(市街地)に出られることが、どっちかというとうれしい方だから。丸光デパートなんてね、一番のところだったから
![1970年、権堂に出店(提供写真)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/6/700mw/img_96f70c1a72ce3460af8e107a4123ed26285009.jpg)
1970年、権堂アーケードにも出店。これが現在も続く店だ。
この出店は、中川さんのそばにほれ込んだ「長野相生座・ロキシー」の社長の支援によるものだった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
目をかけていただいて、社長に「店をつくってやるから、お前やりなさい」と言われたら、うれしいじゃないですか。権堂という町は、昔からの大御所がいる立派なお店ばかりで、みんなにあいさつをして「よろしくお願いします」と言って、かわいがっていただくようにやってきた
町が移り変わる中、多忙な日々
![1970年代の権堂](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/e/700mw/img_5e92830e50af0dec0b3c12faa1c4bd5a234772.jpg)
昭和の権堂は人で溢れていたという。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
ものすごかった、もう人で。本当にすごいとこだなと思った。昼間は丸光やって、夜はここへ来て、お客さまも多いから(夜の)12時、1時までやって、家へ帰って子どもにおっぱいくれたり、もう大変。朝また5時、6時に起きて、そば打って一日も休みがなかった
そば打ちに子育て。夫の文義さんも会社を辞めて店で働くようになり、長野オリンピックまで多忙な日々が続いた。
メニュー表は五輪当時の名残がー。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/c/700mw/img_4ce6d7da1ec5b21d484e43fda8503dcc221486.jpg)
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
英語は他の国でも通用するかなと思って。みんな来れば、おそばはやっぱり信州だから、そばを一番食べるでしょ、満員だった
コロナ禍 夫との死別
![2020年の権堂](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/2/700mw/img_62c65b642f635d02bad31a2f553b5665395994.jpg)
オリンピック後、デパートの閉鎖で店は権堂だけに。景気低迷もあってアーケードを訪れる人は減り、経営も厳しさを増していった。
そして「コロナ禍」が追い打ちをかける。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
コロナでダメになっちゃって。権堂も人通らないし、夜も長野県の人は真面目だから、宴会やっちゃいけねえ、飲んじゃいけねえって言われるから、みんなまっすぐ帰る
![夫・文義さん(左)と麻子さん(右)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/5/700mw/img_f50f8ce4bb6b0964f2429c1435a5263a262743.jpg)
不幸は重なり、2020年、病気で入院していた夫・文義さんが亡くなった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
(病院に)行かない日は一日もなかった。最後、コロナで来ないでくださいって言われて、1カ月間、行かなかったんですね。その時に亡くなっちゃった。かわいそうなことしたね、行ってみたら冷たくなってて、泣いてる暇もなく
力強く! 一度に20人前
![そばを打つ中川さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/0/700mw/img_90f44c5c13d1e9a84914565a19781aa3245510.jpg)
客が減っても、夫が亡くなっても、中川さんはそばを打ち続けた。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
普通の人はこの半分くらいで作るんだよ、量は。私はその倍、何回も作るの嫌だから。でかいと難しいんだよ、広げるのが
一度に打つそばは、なんと20人前!80歳になってもこの力強さだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
どのくらいがちょうどいいのか手加減で分かるわけ、薄さが
戸隠仕込みの手打ちそばが、この日も完成した。
人柄と味に引かれて
味もさることながら常連客は、中川さんの人柄に引かれ店に通っている。
鍋焼きうどんを食べた常連客:
小学校にあがる前、お袋を亡くしている。だからそういう点でいうと、おふくろと話している感覚。頑張ってもらわないと、しょっちゅう来られるわけじゃないけど
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
気が向いたら来ておくれ!
![常連客](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/7/700mw/img_67029c96cab0feb6609bf44c273ad825340889.jpg)
おいしいそばを出し続ける
長野相生座・ロキシーの田上支配人。映画館との付き合いも半世紀を越えた。
長野相生座・ロキシー・田上真里支配人:
ママを知らない人はいないですよ。ここに「とがくし」があるだけで全然違うと思います。町全体も、うちもそうですけど
![長野相生座・ロキシー・田上真里支配人(右)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/c/c/700mw/img_cc9b48cd0643b46e23e776eaded0d408332728.jpg)
繁華街・権堂と共に歩んできたそば店。中川さんのそば打ちは、これからも続く。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
いらっしゃいませって言って、食べていただいて、笑顔で、おそばを出して、帰っていただく。お客さまに「うまい」って言ってもらえばうれしいじゃないですか、だから頑張りますよ
(長野放送)