東日本大震災から12年。震災を知らない世代も増える中、新潟県三条市の小学校に「自分の命を自分で守る重要性」を児童に伝えることに強い信念を持つ教師がいる。震災で息子を失った両親との交流から生まれた「命の授業」は、次世代に震災の記憶と教訓を伝えている。

息子を失った夫婦による「命の授業」

新潟県三条市にある月岡小学校。2023年3月1日、4年生の児童が「命の尊さ」をテーマに、リモートで授業を受けた。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
「私たちの話を聞いてほしいな」そういう人が、いま宮城県にいます。お話をしてくれる田村孝行さんと弘美さんです。こんにちは!きょうはよろしくお願いします

月岡小学校(三条市)
月岡小学校(三条市)
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リモートでつないだ先は、宮城県松島町。

田村孝行さん:
こんにちは。月岡小学校4年生の皆さん、初めまして

田村孝行さん・弘美さん
田村孝行さん・弘美さん

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

田村孝行さん・弘美さん夫妻の長男・健太さんは、勤務先の宮城県女川町で津波に巻き込まれ、25歳の若さで帰らぬ人となった。

田村孝行さん:
町の指定避難場所である高台に避難して助かった人たちがいる一方で、避難場所の高台に逃げずに、銀行の建物にとどまるよう指示された行員12人が犠牲になりました。息子はその一人

海から100mの場所に位置していた、七十七銀行・女川支店。

入行3年目の田村健太さんは、支店長の指示で高さ10mの屋上に避難したものの、その高さを上回る巨大な津波に巻き込まれ、半年後に女川湾で見つかった。

田村弘美さん:
やっと帰ってきたのに、「お帰り」の言葉もかけてあげられなかった。どんな姿でもいいから、抱いてあげればよかった、手を握ってあげればよかったって、今になって思うんです。どんなに怖かっただろう、どんなに寒かっただろう、どんなにつらかっただろう。代われるものなら代わってあげたかった

震災の翌年に生まれた小学4年の子どもたち。息子を失った両親の言葉に聞き入っていた。

衝撃受けた被災地で生まれた交流

月岡小学校の教師・霜﨑大知さんは、夫妻との交流を重ねる中で、2年前からこの授業の構想を練ってきた。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
田村さん夫妻はただ悲しむだけではなく、これからを生きる未来の人たちに「守れるはずの命はきちんと守ってくれ」というメッセージにして発信している。そこに、ものすごく敬意を持っている

東日本大震災の現状を自らの目で確かめたいと、高校生のときから被災地でボランティア活動をしてきた霜﨑さん。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
2012年の3月、高校2年の春休みに初めてボランティアに入った。最初に現場に着いて見た光景がこれだった。大川小学校

霜﨑さんが指し示したのは、自ら撮影した1枚の写真。津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校を写したものだ。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
学校そのものが被災をすることがあるんだ、学校そのものが危険な場所になることがあるんだと。当時、自分も学生だったので、ものすごい衝撃を受けたのを今でも覚えている

継続的に被災地に足を運ぶ中で、霜﨑さんは2016年に田村さん夫妻に出会った。

震災の翌年から、息子の健太さんがどのように亡くなったのか、企業は災害にどう備えるべきか、宮城県内で語ってきた田村さん夫妻。

田村孝行さん(2016年):
銀行は今、柵のようになっているあの辺にあった。安全義務を果たすには、会社の事前準備が重要。事前の減災意識を持っていれば。要は予見責任を履行していれば、人命は優先されると思う

震災について話す田村さん
震災について話す田村さん

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
田村さんたちが、よくおっしゃるのが「助けられたはずの命」ということ。「助けられたはずの命が、なぜ助けられなかったんだろう」ということを考えるきっかけになった

自分の命を「自分で守る判断力」

田村さん夫妻と出会ったときには、すでに教師を目指し、大学院への進学を決めていたという霜﨑さんは、田村さん夫妻の話から「上司と部下、教師と児童という関係性を持つ企業と学校には共通点がある」と感じたという。

田村孝行さん:
生存者によると、息子は「津波の到達まで時間があるから高台に行ける」という言葉を残していた。信頼する会社と日頃から慕う支店長の「屋上に避難する」という指示に疑問を持ちながらも、息子は従わざるを得なかった

田村弘美さん:
津波避難は「ここは大丈夫だろう」ではなく、次から次へ上がれる高台へ逃げなければ、命は守れない

屋上に逃げるという上司の指示に従った結果、銀行の行員13人のうち、生還したのはただ1人。

霜﨑さんはこの授業に「いざというとき、自分の命を自分で守る判断力を身につけてほしい」という願いを込めている。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
もちろん上からの指示をしっかり聞いて行動することも大切だが、場合によっては「いや、待てよ」と。「ここの地域は、こういうことが考えられるから、こういう行動が適切なのではないか」ということを柔軟に意見として出せること。そして柔軟に意見を交わして、最善の判断を下すこと。そういう文化をつくっていってほしい

両親に強く愛された健太さんの25年の生涯について、そして、健太さんの人生の最期について、子どもたちはメモを取りながら、45分間の授業を受けた。

児童:
いつか東日本大震災以上の地震がくるかもしれないので、そのときに備えてできる限りのことをしたい

児童:
「自分の命は誰かが守ってくれる」ではなく「自分の命は自分で守る」ということを学んだ

児童:
地震や津波がきたとき、どこに逃げるかなど、家族でもう少し話してみようと思った

児童:
命は一つしかないので、すごく大切なものだと思った

「命の授業」を普遍的なものに

授業のあと、霜﨑さんは画面越しの田村さん夫妻に対し、少し興奮気味に語った。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
思った以上に、子どもたちが色々聞いて、書いていることに私は驚いている。やっぱり、意味のある活動だなと思っている

田村さん夫妻にとっても、震災前に生まれた子どもたちに語ることは新たな挑戦だった。

田村弘美さん:
震災後に生まれた子どもたちに伝えることに不安もあったけど、4年生の皆さんが「万が一、自分に何かあったら、お父さん・お母さんはこのように悲しんで、こういう思いをするんだな」と。そんなことを感じてくれたなら、よかったと思う

田村孝行さん:
霜﨑さんは「我々の話から感じたことを子どもたちに伝える」という次のステップに移っている。これが大切なこと。彼が教員としてまいた種が新潟県や他県に広がっていけば、それはものすごく画期的だと思っている

田村さん夫妻と霜﨑さんが子どもたちに伝えた「自分で自分の命を守ることの大切さ」。

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
田村さんとお話しているのは、私たちだからできる授業ではなく、「こういう形を普遍的に広げたい」ということ

月岡小学校 教師 霜﨑大知さん:
少しでも防災や命を守ることに関心を持っている方であれば、誰でもこういうつながりを持てて、こういう授業を色んなところで展開できる。そうすれば、有事のときに自分の命を守ってくれる大人や子どもを増やすことができると思っている。そういった授業にしていきたい

東日本大震災で息子を失った夫妻と、夫妻に寄り添ってきた教師は、災害から生まれる悲劇が繰り返されることのない未来を願い、活動を続けていく。

(NST新潟総合テレビ)

NST新潟総合テレビ
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