作品を通して哲学的なテーマを表現する美術家ジュリオ・パオリーニ氏。彼の作品が実は新宿アイランドタワーに展示されている。1993年の公開からおよそ30年の時を経て初めて自身の作品に対面し、そのテーマを語った。

世界文化賞授賞式でのジュリオ・パオリーニ氏 ©日本美術協会/産経新聞
世界文化賞授賞式でのジュリオ・パオリーニ氏 ©日本美術協会/産経新聞
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日本のパオリーニ作品と初対面

パオリーニ氏の作品に間近に触れることのできる場所がある。

1993年東京に完成した新宿アイランドタワーの野外美術館だ。そこに「カレイドスコーピオ」「メリディアーナ」「ヒエラポリス」「天文時計」の4作品がある。

新宿アイランド パブリック・アート・プロジェクトを構想中(1993) © Giulio Paolini
新宿アイランド パブリック・アート・プロジェクトを構想中(1993) © Giulio Paolini

いずれもパオリーニ氏が送ったデザイン画を元に東京で制作された。以来、パオリーニ氏本人が実際に作品を見ることは一度もなかったが、今回、世界文化賞の授賞式のために来日した機会に初めて、この作品群との対面を果たしたのである。

Q およそ30年ぶりに作品をご自分の目で確かめてみられていかがでしょう?

ジュリオ・パオリーニ(以下、GP):
完成から長い年月がかかりましたが、実際に作品を見ることが出来て本当に感動しています。遠い昔に、しかも物理的に遠く離れた状態で、当時、制作が進められたわけですが、デザイン画で示されたディテールが、ここまで尊重され完璧に実現されていることに驚きを禁じ得ません。そして心から感謝しています。

Q「カレイドスコーピオ」についてお聞かせください。

「カレイドスコーピオ」とパオリーニ氏
「カレイドスコーピオ」とパオリーニ氏

GP:
この作品は「Caleidoscopio(カレイドスコーピオ)」というタイトルですが、まさに動きによって無限に景色を変える万華鏡のことです。カッラーラ産の大理石という“もっとも優れた建材”の要素、そして柱という“もっとも優れた形状”の要素を持ち合わせています。その2つの要素は、地面から何かを持ち上げるという建築の原点を表現しています。また柱の側面の形状を眺めるために周りをめぐることは無意味なのです。むしろ、複製された二本の柱があり、それが二つの対極、二つの正反対の極性を生み出すことに注目してほしいのです。

底部に置かれた鏡によって、空に伸びていく柱自身を映し出します。それは鏡を通して地球の中心にも伸びていきます。その結果、二重性という概念を生み出しているということを感じてほしいのです。

鏡を通して空へそして地球の中心に伸びる柱を眺めるパオリーニ氏
鏡を通して空へそして地球の中心に伸びる柱を眺めるパオリーニ氏

Q「メリディアーナ」という作品は、人が行き交うエリアのど真ん中にあります。ご自分のアートが新宿を行き交う人々の生活の一部となっていることについて、どう思われますか?

「メリディアーナ」とパオリーニ氏
「メリディアーナ」とパオリーニ氏

GP:
人々の生活空間にこの作品を存在させることで、「時間を刻む」という暗黙のメッセージを表現しています。中央に描かれた、人の手に巻かれた腕時計とその時計の2本の針の先端に突きつけられた鉛筆。時計の2本の針は、時間を刻む道具です。そして鉛筆は、芸術家が作品を通して時間とその概念を明らかにする道具です。その2つは同じ「時間を刻む」道具であり、同じ行為をしているのです。

「メリディアーナ」の謎解きを語るパオリーニ氏
「メリディアーナ」の謎解きを語るパオリーニ氏
人の手に巻かれた腕時計とその時計の2本の針の先端に突きつけられた鉛筆
人の手に巻かれた腕時計とその時計の2本の針の先端に突きつけられた鉛筆

Qウクライナへの軍事侵攻、コロナウイルスで失われた人々の絆がある今、「アートの可能性」をどのようにお考えでしょうか?

GP:
伝染病や戦争などの悲しい経験の後に、「アートの可能性」に対する信念がより一層強くなっています。芸術は人々が言語と知識の領域における到達すべき目標としてますます重要になってきたと、私は信じています。しかし、アートがこれらの現象の解決に直接介入することができるとはまったく考えていません。言い換えれば、アートは直接的な“世界の治療薬”にはなりえず、まったく別の次元を構成するものであると私は考えています。つまり、触れることができず、したがって転写することもできないけれども、別の次元で想像し、信じることが許されるものであると考えています。

"芸術はわき起こるもの(Art happens)"

“アート(芸術)”について「別の次元で想像し、信じることが許されるもの」と語るパオリーニ氏。彼はまた“作品はアーティストよりも先に存在する”とも言う。“芸術はわき起こるもの(Art happens)”である。だから、作品という形で“小さな奇跡”が生まれ落ちてくるのであって、必ずしも芸術家が作り出すものではないと考えているのだと。

パオリーニ氏は、このように芸術を哲学的に、そして知的遊戯のように語る。彼はどのようにして、いまの境地に至ったのか、その生い立ちから探ってみる。

芸術、それはパオリーニ氏の天分そして天職

ジュリオ・パオリーニ氏は1940年11月5日、イタリアのジェノバで生まれた。幼少の頃から芸術的な非凡さを垣間見せた。その才能を見いだした父は、彼が8歳のとき、イタリア全土で有名な児童画コンクールに本人には内緒で出品した。コンクールの存在も、ましてや自分がエントリーしていることすら知らなかった少年の絵は審査員の目にとまり、見事一等賞を獲得。はからずも、パオリーニ氏にとって、初めての芸術的成功体験となった。

学生時代は、展覧会に足を運んだり、現代美術の出版物に目を通すなど、アートの世界に対して鑑賞者の立ち位置だったというパオリーニ氏。そのうちに自宅の屋根裏部屋で絵画の修練を積むようになり、次第に作家としての天分に目覚めることとなる。

1961年にプレミオ・リッソーネ展に出品して美術界にデビューを果たしたが、60年代は芸術的言語や手段を磨くことや、コンセプチュアルな立ち位置の確立に費やした。そして70年代にいよいよ「世界に出る」時期を迎えた。立て続けに有名な美術賞を受賞したり、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で海外個展をやったりと、パオリーニ氏の名が世界に知れ渡るようになった。

作品制作にいそしむパオリーニ氏(1966) Photo © Anna Piva Courtesy Fondazione Giulio e Anna Paolini, Turin - © Giulio Paolini
作品制作にいそしむパオリーニ氏(1966) Photo © Anna Piva Courtesy Fondazione Giulio e Anna Paolini, Turin - © Giulio Paolini

その後、多くの作品を世に送り出してきたパウリーニ氏にとって、芸術とはなんなのか? その一旦を知るすべが次の彼の言葉にあるように思う。

GP:
幼少期は誰もが"想像したものを目に見える形にしたい "という本能的な欲求を抑えずにいます。想像を紙に描き出せるという意味で、子どもはみなアーティストだ、と私は思っています。これは自然で本能的な衝動です。しかし、少なくとも私の場合は、美術家としての天職が待っていました。普段見ているものとは違うものを描き出したいという本能的な欲求は、あるとき「なぜ見ているものとは違うものを創り出しているのだろう」という問いに取って替わったのです。

パオリーニ氏の代表作の1つ「ミメーシス(模倣)」(1975~76) Photo © Agostino Osio Courtesy Fondazione Giulio e Anna Paolini, Turin - © Giulio Paolini
パオリーニ氏の代表作の1つ「ミメーシス(模倣)」(1975~76) Photo © Agostino Osio Courtesy Fondazione Giulio e Anna Paolini, Turin - © Giulio Paolini

欲求に取って替わったパウリーニ氏の疑問は、彼の多くの作品に反映され、「今自分は何を見ているのか?」と鑑賞者の心の内に疑問を生じさせようとする。しばしば鑑賞者は作品の美的側面のみを見ることにとらわれてしまう。そのため作家のデザインの創造的な道筋・意図は見落とされがちだ。

しかしパオリーニ氏は、鑑賞者の興味を刺激し、作品の意味や作家の創造プロセスへと思考を広げさせる。鑑賞者はもはや受動的に見るだけでいることはできない。彼とともに創造的なプロセスに直接関わることになるのである。

パオリーニ氏の作品は前述したとおり日本で見ることができる。ぜひ新宿アイランドタワーを訪れ、彼との知的遊戯に興じてみてはどうだろうか?(サムネイル:ジュリオ・パオリーニ氏 © 日本美術協会/産経新聞)

国際局
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