俳優の渡辺徹さんが、11月28日、敗血症のため亡くなった。”おしどり夫婦”として知られた妻で女優の榊原郁恵(63)さんと、長男で俳優の渡辺裕太(33)さんが、5日午後5時から、記者会見を行った。昨日と今日、通夜・告別式がいずれも家族葬で執り行われたという。

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郁恵さん「渡辺徹は偉大だったんだな」

渡辺裕太さん:
本日は、父・渡辺徹のことで、みなさん集まっていただきまして、ありがとうございます。本日家族葬にて、葬儀・告別式を無事執り行うことができました。

父の生前、父を応援してくださった方、仲良くしてくださった方に対して、本当に感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

榊原郁恵さん:
本日は足元の悪い中、ましてや世の中はサッカーで盛り上がっている中、渡辺徹のことでこうやって、皆さんに、お集まりいただいたこと、家族としてはすごくうれしいです。

渡辺徹を話題にしてもらって、渡辺徹のことを皆さんであーだこーだ言っていただけているっていうことは家族はすごくそれを見て、また、渡辺徹っていう人は偉大だったんだなって思うような瞬間だったものですから、大変このように皆さんにお集まりいただいたことを、まずは、感謝しております。

それと同時に、とにかく私たちにとっては思いもよらないことでしたので、落ち着いて、渡辺徹、主人、そして、父親と向き合って、どのようにして、この事態を受け止め、どのようにして送ったらいいのか、ということを一生懸命考えて、最終的に家族葬というふうなことになりましたことにより、諸先輩方や本当に色々と世話になった方々やお仲間、後輩、私たち以上に愛してくださった方々、たくさんいらっしゃったと思うんですけれども、私たちはそこまでフォローできる度量がなく皆様に対して大変無礼をしてしまいました。

この場をお借りして、いっぺんにというのは、大変申し訳ないことなんですが、この場をお借りして、皆様に対してお詫びしたいです。本当に前後しました。

でも、無事に裕太が喪主として務めてくれて、無事に渡辺徹を見送ることができました。皆様の本当にその私たちを見守ってくださったことに感謝したいと思います。ありがとうございました。
 

次男が異変を感じ病院に…その後急激に変化

ーー体調の変化について

榊原郁恵さん:
今回、本当に19日にお仕事で秋田の方に行きました。その時からマネージャーさんの話によりますと、ちょっと熱が出てたらしいんですが、まずこのご時世ですから、コロナを心配し、そして、そこで陰性だったということで、ただ、やはりあのフォーラムで皆さんの前で、講演っていうふうなことだったので、Zoomという形をその場で切り替えて、みなさんには体調悪いのであれば、無理しなくてもと言っていただいたそうですが、あの人のことですから、やりますということで、きっちり最後まで仕事をして、帰ってきたんですけれど。

私は私で、舞台中だったので、帰宅も遅かったんですね。なので、主人がやはり私のことも気にかけてくれて、いつも寝室は一緒なんですけれど、別にしていたので、私もあまり触れない方がいいだろうと、いつものようないつもの生活を送っていたので、別々にし、次の日、20日に体調の変化を一緒に住んでいました次男が、ちょっと感じて、私と次男とで病院に連れて行ったんですけど、そこから急激な変化があって。

ただ、先生の方がご丁寧に病気のことを説明してくださるんですけれど、私たちはやっぱりそんな実感がないというか…なので先生が丁寧に一生懸命、私たちの表情を見ながら、ご説明してくださるんですけれども、まあ、あの人のことですから、不死鳥のような人ですから、「はい、そうですか?」っていう感じで聞き流すような形で、ここまで来ました。

なので、本当に生活はあの普段と変わらないような状態でおりました。

ーー途中で病名が変わったが、どのような状況で変わったのか?

榊原郁恵さん:
最初、とにかく熱もありましたし、それで、腹痛というか、そういうのもあった、ということで、先生の最初の判断が、細菌性による胃腸炎だ、ということだったんですが、先生方が急変してきたりとかするので、調べたところっていうことで、それから、ICUに入ったりとかしたので。
 

最後の会話は

ーー最後に話したのはいつ?

榊原郁恵さん:
私は病院に送るときにちょっとふらついていたので、入院だなと思ったので、「お父さん何入れる?どれ入れる?」という風なそういう普段の生活なので、たいした会話はしていませんけれど。

ーー出かけるときに?

榊原郁恵さん:
そうですね、「大丈夫?」って言って。日曜日だったので、救急外来の方に連れて行ったんですけれど、私が間違えて救急車が入るところに止めちゃって、車を。変な話ですけど、「降りてお父さん、歩いていって」いう感じのあのいつも通りの雑な扱いで、病院に入った感じです。

ーー入院中というのは一切?

榊原郁恵さん:
ICUに入っていましたから、ただ先生のご好意で、私が面会できるっていう時間に合わせて時間をとっていただいて、ベッドの所までは行ける感じでした。

ーー徹さんの意識があったのはいつまで?

榊原郁恵さん:
20日なのか、21日なのか。

渡辺裕太さん:
先生によると入院して、いつも主治医の先生が挨拶してくださったそうなんですけど、その時にはもう、あんまり先生という認識をしてなかったようなぐらいだったそうなんですよね。だから、もう20日のうちに、もう最初ちょっと疲れちゃって、もう眠ってるみたいな感じだったっていうことなんですよね。

ーー裕太さんは話は?

渡辺裕太さん:
僕はしてないです。僕、最後会話したのはもう覚えてないですね。覚えてないというか、もう数週間前だったんですけど。

榊原郁恵さん:
姿は見てるんだよね。

渡辺裕太さん:
今思い出したんですけど、実家にちょっと寄った時に一カ月ぐらい前に、母親が「あれ持って、これ持ってけ」って、すごい僕になんか持たせたんですよ、荷物を。弟が「いや、もう兄ちゃんも大変だなあ」みたいな感じだったんですけど、僕が「いやいや、もう母親の息子歴33年だからこういうのも慣れてるよ」みたいに言ったら、父親が「いや、俺はお母さんの夫歴35年だから、もっとこういうの慣れてんだよな」って言ってたのがなんか最後ぐらいだった気がするんですけど、なんかそういう会話をしたのが最後かもしれないですね。まあ、ちょっと僕が実家に寄って出る時に「仕事頑張ってな」みたいなそういう感じですね。
 

裕太さんの落語を見て「洋食屋のメニュー何にしようかな?」

ーー落語の見に行った時に話は?

渡辺裕太さん:
僕がその落語のお仕事させていただいて、で、まあ高座のところに登って、父親の姿が客席で見えたんですね。「ああ、そこに居るなあ」っていう認識したんですけど、それが一緒の空間にいる最後の姿というか。もちろん亡くなる前には会いましたけれども、なんか父の元気な姿を最後に見たのは、僕がまあ、いわゆる舞台上で、お客さんとして父親がいたので、それがすごく印象に残ってますね。
 

ーー郁恵さんも一緒に行って、裕太さんの活躍についてなにか言っていた?

榊原郁恵さん:
落語会は何回か、出させていただいていたんですけど、本当はその日は二人とも行けない日だったんです。私も舞台っていう予定で、主人もだったんですけれど、たまたま二人ともいろんな事情で仕事がその日空いて急きょ行くことになりまして、お席をとってもらったんですけど、すごく笑っていましたし、面白かったし。

その前にインドに行ってたので、前日インドから帰ってきたりっていう、家族でやっぱりすごく裕太の体のことも、みんなで案じてきて、次の日に高座に立たせてもらってたその様子を見てたので、「良く頑張ってるよな、本当によかったね」って、「話も面白くなってきたよね」みたいなそんな話をして、あの主人の頭の中ではその後で、食べる洋食屋さん「ヨシカミ」のメニューを何するか?っていうのをずっと延々と見ていて、前日から。

渡辺裕太さん:
落語ちゃんと聞いてた?

榊原郁恵さん:
一応聞く。だけど、ずっと前の日から「何しようかな?俺は何したらいいかなあ」って。それをずっと私にも言うけど、私はもう「その場でいい」って言ってたんですけど、「グラタンにするかな?俺は」とかって、そんなことをやっていた一日でしたけど。いつも通りの主人でした。
 

最後の最後まで私たちを待っていてくれた

ーー二人は仕事を続けながら看病されていたということになったが、その間やっぱり不安だったのか。

渡辺裕太さん:
僕、父が亡くなる2日前とか3日前に初めて病院に行ったんですけど。それまでも、今まで入院したこともありましたし、ずっと体を心配はしてたんですけれども、また、そういう感じかなっていうふうな感じで過ごしちゃってまして。

で、3日前に病院に行った時にだいぶ顔色が変わってたっていうか。こうなかなか今までにないぐらいしんどそうというか、意識もないんですけれども。そこに僕が面会した時に「ああ、ちょっとこれ覚悟しなきゃいけないかもしれないな」というふうに思って、そこからすごいどこかでずっと父親のことを思ってしまいましたし、そこからは何をやっても「そろそろ僕もあの覚悟を決めなきゃいけないな」みたいなふうな時期を過ごしました。

ーー郁恵さんは?

榊原郁恵さん:
覚悟を決めるタイミングは…2日前かもしれないですけれど。もう意識は遠のいておりますけれど、でも、話しかければ聞こえますっていう状態だったので最後まで話しかけて。不死鳥のような人でしたから最後の最後まで希望を持とうというふうな気持ちでおりました。

不安っていうのは、その私がいないときに、仕事で何かしているときに何かあったらっていう不安は、少しはありましたけれど。なんかそこは、「私たちがその場に来ない時にそんな無責任な人じゃないから、大丈夫だろう」っていう風な。なので、仕事に専念しなきゃいけない、やることをやらなきゃいけないと思って。

ただ、どんどんどんどんやっぱり先生のご説明通り、少しずつ弱っていく姿を見て、「息子さんに会わせてあげたほうがいいです」っていうのは結構早めに言われたんですけれど。

まだ、ちょっと早いかな、なんて思いながらも様子を見に行き。少しずつ、今裕太が言いましたけれど、顔色も悪くなってきましたので、このタイミングなのかなっていう、ふうな。時間も取れて行きました。で、そこでまた、しっかりと先生の方から私たちの方にご説明があったんですけれど。

でも、まだ覚悟というよりは「最後まで希望を持ちましょう」その代わり「お父さん、いついつ、また裕太ときますからね」という日にちを言いましたら、先生が「持たせましょう」っていうふうに言ってくださり、私にしても裕太にしても、きっちりとそこまでのお仕事をやり終えて、「来ましたよ」っていう時に、かなりもう弱っておりました。

というのは前の日に、もしかして体の中の心臓は止まっていたと思います。それと瞳孔もちょっと…なので、最後の最後まで私たちが来るまで待っててくれて、それでしっかりと二人で見届けて、「はい、お父さんご苦労様でした」というふうな瞬間を迎えさせてもらいました。

「渡辺徹という人を忘れないでほしい」

ーー病室ではどんな声をかけられた?

榊原郁恵さん:
覚えてないですけど、感謝の言葉もそうですし、ここまで頑張ったので「頑張れ。頑張れ」っていうのは、ちょっと酷ですけど。お詫びの、雑に送りましたから、病院に…だから、そういったこととか、手握ってあげればよかったねとか。あの人はすごく甘えん坊さんなんですけど、私が割と、こう突っぱねたりとかするほうだし。「ゆっくり、ゆっくり行こうよ」っていうタイプなのに、私がせこせこせこせこ三歩後ろ下がるタイプではなくて、三歩前を歩くようなタイプだったので、だから、ちゃんと横みて、様子見てあげなかったねとかって、色々と、そういう。その時その時の言葉で会話をしましたけれど。

ーーいま思い出される徹さんの姿は?

榊原郁恵さん:
夫婦で過ごした35年というよりは、今回家族葬という形を取らせていただきましたので、本当に皆さんには大変申し訳ないんですが、あの本当にみんなが大好きなメンバーで、渡辺をじっくりと送ることによって、そして、また、皆さんが色々とコメントを流してくださっている、そういうのを見て、改めて私たちが知る以上に、「渡辺徹」っていう人はこういう人物なのか、っていうことをすごく感じさせてもらえたそんな期間でした。今日まで迎えるまで。

一緒に生活しているときの思い出っていうのはそれぞれたくさんありますし、それこそ通夜が終わってから帰った時にみんなであの不謹慎なんですけど、祭壇をバッグに写真を撮った時にみんなが笑顔だったので、「なんか笑っちゃうね」とかって、「こんなんでいいのか?」って言いながら。

そこでちょうど一年前ぐらいのVTRを見ながら、「お父さん、全然なんか手がもじょもじょして、封が開けられなかったよね」とか、そんな笑い話をして。だから、これからもそうなんですけど、私たちはずっと思い出す度に“泣き笑い”で、あの人の狙いはそれなんですけど、人生の中でね、必ず講演でもなんでも、人をちょっとこう親身にさせ、感動させ泣かせ。でも最後は、笑うっていう、その時間を今回まで感じられたので。

だから、不思議なくらい笑ったり泣いたり、なので、思い出はこれからもそのたびそのたび。今日も行き帰りもあこの道通ったね。ここでなんかあれだったね。ここでお父さんがなんかだったねって。必ず「お父さんは、何て言うんだろうね」ってもう、これから私たちものを考えるときに、「お父さんは何て言うんだろうね」っていうところが、合言葉だろうねっていう感じだから。

私よりも何よりも皆さんに“渡辺徹っていう人をやっぱり忘れないでもらいたい”のとそれから、“語り合ってもらえたら”。それも「馬鹿だよね」とか「マヨネーズ好きだったよね」とか、そんなんでもいいんですけど、皆さんにそうやって、しゃべってもらいたいし、私たちもしゃべり続けていきたいし、そういうのをあの人が喜んでくれるような感じで話せたらなって。すみません、質問に横道それて。

渡辺裕太さん:
いつものことだよね。話しが長い。

榊原郁恵さん:
ごめんごめん、だから「言って」って言ったじゃん。

渡辺裕太さん:
ここはいつも父親が止める役だったんですけど。いなくなっちゃったんで。

榊原郁恵さん:
ちょっとまだ下手だよね。
 

裕太さん「特別な温かい家族だった」

ーー亡くなった間にも生放送に出ていたがお父さんの気持ちを継いだ?

渡辺裕太さん:
僕のことをなんでも肯定してくれる父親だったので。僕がやっぱり僕自身行きたかったんです。もちろんしんみりしている時間もちゃんとありましたけれども、ずっとそればっかりだと僕自身も、なんか嫌だなと思ったので、しっかりと自分の目の前にある楽しい現場を僕自身、しっかりやらせていただきたいという、思いだったので。それを父親も絶対後押ししてくれるだろうなっていうふうにも思いましたし。

実際に行ってすごく楽しかったですし、そういう時間がこれからも僕は大切なんだなと思いますし、父親も多分それを大切にしてたと思うので、そういうところは受け継いでいきたいなというふうに思います。

ーーお父さんはなんて言ってくれると思う?

渡辺裕太さん:
裕太がそうやって思ったんだったら、しっかりそれやってこいと。僕自身も、目の前にあるお仕事を一つ一つ丁寧に一生懸命やっていくっていうのを僕が大切にしていることなので、「よし、いつも通りやってこい」っていうふうに言ってると思います。

ーー裕太さんからみてどんな夫婦だった?

渡辺裕太さん:
ほかの夫婦を知らないというのもあるので。でも普通だと思うんですよね。普通だと思います。ただ、父親は本当に周りを楽しませるのが好きな人だったので、母親は楽しそうでしたね。ずっと楽しそうに。たぶん一番笑っていると思いますし、父親の話で。ツッコミ突っ込まれも、色々ありましたし、もちろんけんかもよくしてましたし、特別な僕にとっては温かい家族でしたね。
 

食べ物で喧嘩…“ウインナー事件”の話も

ーー原因が食べ物だというような話もあったが?

榊原郁恵さん:
基本そうだったかもしれないけど。大体そっか?

渡辺裕太さん:
“制限”をした中で、母親が“調味料をあんまりかけすぎないように”とか、そういう制限をした中で、父親が隠れてかけて、それで母親が「ほら、ダメダメ」って言ったら、「うるせえなお前」っていうそういう感じです。今これは父親がすごい悪く、ごめんなさい、悪くなっちゃいましたけど笑。些細なことと言いたかったんですけど。

榊原郁恵さん:
基本、お互いにないものを持っているからっていうことで惹かれあって、それで、結婚っていう風に至ったわけですけれど。

いざ結婚してみると価値観が違うっていうことで多々ぶつかることはありました。子育てのことにしてもそうですし、いろんなことの捉え方もそうですけれど。でも、そこをまたうまいこと調節してくれるのが主人だったので。

意見が食い違ったままあのことを進めるとか、そういうことはしなかったので。意見が違うのは当たり前で、それをお互いに納得し合うまでっていうことで、「もういいよ」って言うんではなく、話し合って最終的な方向は、お互いに納得したところでっていうやり方だったんですけど。

そこまで突き詰めてやらなくてもいいのが“食べ物”であって、はい、好きか嫌いか一個か二個か、かけるのが多いか少ないか、だから、その場でチャチャチャやることがあって、あの意見が食い違い、バラバラに帰るとか、っていうことはありましたけど。

ハンバーガー屋さんの前で2個にするっていうことで意見が変わり、「じゃあ、私は帰る」って言って帰ったりとか、ウィンナー事件も本当の話で、「赤いウィンナーが俺が食べたいんだ」って言って家を出たのも本当の話で。バカだなあと思いながら、自分で「バカだな」って気が付いて、自分で入ってきたのも本当の話で、数々笑い話になるようなバカ話はありますけれど。
 

家族に感謝の言葉が増えていた

ーーここ数年は徹さんから郁恵さんへの感謝の言葉を取材でも聞くことが多くなった。郁恵さん自身にも伝わっていた?

榊原郁恵さん:
毎年のようにお誕生日とか結婚記念日とかお花をくれるんですけれど、そのときに必ずコメント付けてくれるんですけど、去年とかは「一生共にしてください」みたいな。「一生共にって、いやだお父さん、お父さんの介護私するのってしんどいわ」みたいなそんなレベルの話をしてましたけど、そんなこととか。

今年は「ハリーポッターとともにいつまでも元気で笑顔で」っていうふうな感じのコメントだったりとか。ブログに関しても、必ず家族とか私に対しての感謝みたいな言葉を述べてましたけど。でも、家族としたら「やめてよ」っていう感じだったんですよ。

今思えば、そういう気持ちがいつもいつもあったのにもかかわらず、私がいつも突っぱねてたのかなっていうふうに、かわいそうだったなって思いますけど、家族はその時は、そうは思えなくて。ましてや、日々の写真、食卓の写真とか「こういうことがうれしかった」「こういうことで家族とみんなと過ごせたとか」っていうのがここのところやけにあって、家族は「もう家族のことあんまり出さないでくれ」って、お願いしたぐらいなんです。

でも、振り返ると私たちに言っても伝わらないからっていう感じで、表現してたのかなって、素直に、だんだん受け入れられるようになりました。

ーー徹さんは郁恵さんのことを“いてもらわなくては困る存在”と言う風に言ってたが、どんな存在だった?

榊原郁恵さん:
本当に私どちらか、というとあの、あんまり依存したくないなみたいな感じで、私は私の生活人生を自分で頑張るっていうふうな割とそういうタイプで、それを後ろからずっと見守っててくれたんだと思うんです。

振り返るとやっぱり共に生活してきて、お互いに補い、そして、お互いに助け合い、なので、私もすごく頼ってたところも、ありましたし。

だけど、今回お通夜・告別式に伴って、見送ってくれるために、お世話になった住職さんがやはりお葬式というのは亡くなった人間が成仏できるようにっていうふうなお席だからって言うことで、私たちも、そこで、何か切り替えられて、「お父さん今まで本当に辛かったんだね。大変だったんだよね。身体がしんどかったんだよね」私なんかいつも発破をかけていたので、そこにも気づかないで。「でもとにかく苦しまずにもしっかり心配しないで、成仏して」「私たちは、これから何とか頑張るからね」っていうそういう気持ちに切り替えさせてもらえるような家族葬であったので。

ですから、本当にいないと困りますこれから。でもそういう場面がいっぱいくると思うんですけど、でも、私たちも裕太もそうですけど、お仕事はやっていくことが主人に対してもお父さんに対しても供養になるし、不安に思わせないように「大丈夫か?俺がいないと駄目だったのか?」っていうふうに。彼も「いい人生を送れた」っていうふうに私たちは思いたいし、そういうふうに送ってあげたいと思ったので。

これからいっぱいいっぱい色んな事にぶつかると思うんです。そういう時はもう皆さんに助けてもらいで、渡辺の友達に声かけてもらい、頑張っていきたいと思います。
 

徹さんには「感謝しかない」棺には“山盛りご飯”

ーー徹さんからたくさんの感謝の言葉を残されてきたと思うが、改めて郁恵さんから徹さんに贈る言葉は?

榊原郁恵さん:
感謝しかないです。

ーー棺の中にいれた思い出の品は?

榊原郁恵さん:
いっぱい入れました。まずは、山盛りのご飯。「もうお父さん制限ないから」って言って、「今じゃないんだよお前、もう少しちゃんと前に食べさせてくれ」って言ってるねとかって言いながら。いっぱい山盛りにして。

あとは写真と。あの家族葬なので、家族、それから、親戚みんなにコメントを書いてもらい、手紙を書いてもらい、思い思いの手紙入れさせてもらいました。

それから、スーツ姿の主人がすごく格好いいし、家族みんながお父さん格好いいっていう一番の高いスーツを入れて、格好良く。そして、私と主人の出会いの花も入れてあげて、それで、最後は舞台の時に必ずかけていました坂東玉三郎さんから頂きましたのれんをかけて送り出させてもらいました。

ーー徹さんのタレントとしての魅力は?

榊原郁恵さん:
あの人は、彼はその人その人の本当に真意をしゃべりながら。誰かれも分け隔てなく触れて、そしてその人がとにかく元気に明るく笑っているっていうのが、あの人の生き方だったのか。だから、そうやってタレントとしてというか、役者としてもそうですけど、やっぱりその生身をしっかりと出す。そして、皆さんと生身で触れ合うっていうところが、あの人の魅力だったと思うんですけど、いかがなんでしょう。

渡辺裕太さん:
ブログを父親がずっとやらせていただいてて、亡くなってからもすごくたくさんコメントいただいていて家族としても読ませていただいているんですけど。父親が本当に病院に行く日の朝方、4時ぐらい。僕も見返していたんですけど、父親が自分にいただいたコメントにコメント返ししてるんですよね。朝の4時ぐらいまで。

たぶんその時、本当に熱もあったりとか、ちょっと体調が悪い中でもコメントに対して、自分のメッセージで、何か一言を返したっていう姿を見て。やっぱりそこから父親自身がすごくパワーをもらってたと思いますし、もちろん感謝も伝えたと思うので、そういう応援してくださっている方をすごく大切にしてたなって。本当にもう今は感謝を本人から伝えられないですけれども、僕たち家族から代わりに本当に感謝を伝えたいなと思っております。

ーー裕太さんは最後に贈る言葉をどんなふうに言われたのか?

渡辺裕太さん:
任せたと言われたと思っているので、「任せてくれ」というところで。あまり多くを語り合う親子関係ではなかったかもしれないんですけど、もう本当にそういう一言ですかね。

ーー最後に

渡辺裕太さん:
本当に皆さん足元の悪い中集まって頂きまして、本当にありがとうございました。ではこのあたりで「父とともに」失礼させていただきたいと思います。

榊原郁恵さん:
お父さん帰るよ~。
 

最後に渡辺徹さんの曲が流れる中、2人で“カリッと青春”のポーズを決めて会見は終了した。

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