
新型コロナウイルスに感染した。場所はインドネシアかタイ。相次ぐ国際会議の取材のために訪れていた。特に重症化はしなかったが、日本でも赴任地の中国でもない、いわば第三国で感染し、治療にあたったことは得がたい経験になった。その症状はもちろん、コロナへの感染を通して文化の違いを感じることが出来た。以下に振り返る。
わからない感染経路
異変が起きたのはタイに入って半日後。寒気と喉の痛みがあり、当初はハードな日程による疲労だと思っていた。喉の痛みが引かず、バンコク支局のスタッフに連れられ病院に行き、感染が判明した。他のスタッフとほとんど一緒に行動し、マスクも常にしていただけに、どこで感染したのかは全くわからない。

スタッフによると「移動の飛行機内ではないか」という話だった。確かに前回のワクチン接種からちょうど6ヶ月弱が経ち、その効果が薄れていた時期ではある。感染を知らされた際はショックではあったが、もはや「しょうがない」というあきらめの気持ちも大きかったように思う。

早速ホテルで10日間の“隔離措置”が取られることになった。刺すような喉の痛みが2日ほど続き、食事も水も飲み込むのが辛かった。話す気も起きず、話しても掠れた声しか出なかった。眠りも浅く、夜中に何度も目が覚めた。熱や呼吸器は問題なかったのがせめてもの救いだろう。

時折生じる寒気や、ぶりかえす喉の痛みはかつて経験したことのないもので、何とも言えない「不気味さ」を感じた。喉の痛みが引くと咳と痰が出るようになったが、発症から3~4日程度で峠は越え、徐々に体調は回復していった。
中国との大きな違い
自分の症状はともかく、日本や中国と違う対応が何よりの経験でもあった。まず、病院の綺麗さと手際の良さには驚いた。外国人を受け付ける待遇の良い病院だったこともあるだろうが、待ち時間はほとんどなく、あっという間に診察と検査が終わった。

陽性の結果を聞いた場所はプレスセンターだったが、中国のように冷淡に命令する警備も、我々を汚染者のように扱う全身防護服の係員もいない。自分で普通にホテルに戻るだけだった。「中国で感染しなくて良かった」という感想がすぐに浮かんだほどだ。「モルヌピラビル」も簡単に処方され、服用した。効果があったのかどうかは比較するものがないので不明だ。中国では常識となっている、スマホの位置情報から行動履歴を確認する作業など皆無である。

その違いはホテルでの隔離生活でもすぐに明らかになった。スタッフが手配してくれた食事を、ホテルの方が部屋の前まで持ってきてくれた。中国では、陰性であっても隔離措置の期間中は、係員がドアの前に弁当を置いていくだけだ。

部屋の清掃も毎日行われ、隔離とは言いながらフロントまで降りることは問題なく、他の宿泊者との区別もなかった。「微笑みの国」とは言うが、感染者に対する優しさ・寛容さを感じることが出来た。

一方で、陰性になってから街を歩くと、マスクをしていない人が多いことに気づいた。バンコク支局のスタッフに聞くと、実際に感染しても病院に行かない人もいて、正確な感染者数はよくわからないのだという。毎日のようにPCR検査が義務づけられている中国とはえらい違いである。
コロナへの向き合い方

それぞれの国の制度の「良い悪い」を言うつもりはない。タイの寛容さは甘さでもあり、自分が感染したこととその緩い管理は決して無縁ではないと思われる。ただ、病院やホテルでの対応を実際に経験し、ウィズコロナとはこういうことなのかと自分なりに理解した。そのやり方や考え方は日本とも違う。

一方の中国は、感染者や接触者の隔離や施設の封鎖を今も徹底している。多数の安全のために少数の感染者、接触者を「リスク」とみなす考え方だが、その厳しいやり方に市民の不満が各所で表面化した。高齢者や疾患を持つ方にしてみれば、中国の方が安心出来る環境だという見方もあるだろうが、様々な弊害も指摘され、重症化する割合が低くなっている今、ゼロコロナ政策は大きな岐路にさしかかっているとも言える。


個人の自由や権利を尊重するか、社会の安定を優先するかは簡単に優劣を付けにくい問題だが、情報があっという間に広がる昨今、中国の市民は自国のコロナ政策が他国といかにかけ離れているかを実感し、行動に移しているのだろう。
(FNN北京支局長・山崎文博)