北朝鮮による拉致被害者5人が帰国してから20年が経過した。曽我ひとみさんは、ともに拉致され、いまだ帰国を果たせていない母との再開を願い、活動を続けている。12月で91歳になる母。曽我さんは、政府に全力を尽くすよう訴えている。
帰国から20年 母との思い出は「思い出すことができない」
曽我ひとみさん:
44年もの間、1度も母に会えていないということが本当につらい

こう母への思いを打ち明けた曽我ひとみさん。1978年、新潟県佐渡市で買い物に出かけた帰り道に母・ミヨシさんとともに北朝鮮の工作員に拉致された。

2002年に曽我さんを含む、拉致被害者5人が帰国を果たしたが、それから20年、拉致問題に進展はみられず、母・ミヨシさんの帰国も果たせていない。

この間も仕事をしながら、講演活動などを通して母の救出を訴え続けてきた曽我さん。
曽我さん母娘を救う会 臼木優 会長:
いつ終わるのか、先が見えないのでつらい

再会を果たせぬまま過ぎた44年もの歳月は、大好きだった母の記憶さえも奪い去ろうとしている。

曽我ひとみさん:
記憶の中で母を一生懸命探しているが、なかなか母との思い出を思い出すことを、最近ではできなくなってしまった

母との再会果たすため 若い世代に伝える拉致問題
この日、拉致問題について学ぶため佐渡市を訪れた教師の卵・上越教育大学の学生に曽我さんが見せたのは、母の記憶をつなぐ時計。
曽我ひとみさん:
唯一、母から買ってもらったのが、この腕時計。この時計は母であり、私が何かにくじけそうになると叱ったり、励ましてくれる宝物でもある


母との思い出をつなぎ、再会を果たすためにも言葉にして伝え続ける。
学生:
これから親とかに、何回「ただいま・おかえり」を言えるのかと思ったら、つらいものが自分自身にも湧き上がってきた
母・ミヨシさんは91歳に… 政府に望む「具体的な行動」
帰国後、同級生などに支えられながら、母の救出を訴えた20年。
小・中学校の同級生 佐々木徳子さん:
本人もあまり表に出たくはないと思うが、「みんなが忘れないように運動したほうがいいね」と言って。「頑張れ」とLINEを送るしかない

しかし、拉致問題解決への進展は見られず、母・ミヨシさんは2022年12月で91歳になる。

曽我ひとみさん:
今、介護の仕事をしていて、毎日母と同年代の人たちと接しているが、母もこんなことができなくなっているのかなとか、様々なことを思ってしまう

残された時間の少なさを日々意識しているからこそ、曽我さんは政府に日朝首脳会談の開催など「具体的な行動で拉致被害者の帰国を実現してほしい」と訴える。
曽我ひとみさん:
首相はじめ、政府には「自分の家族がもし、被害者だったら」という思いで全力を尽くしてもらいたい。母が佐渡に帰ってきたら、終わりがないくらいにずっと話をしたい

(NST新潟総合テレビ)