新型コロナウイルスの感染拡大で、私たちの生活、国や企業のかたちは大きく変わろうとしている。これは同時に、これまで放置されてきた東京への一極集中、政治の不透明な意思決定、ペーパレス化の遅れ、学校教育のIT活用の遅れなど、日本社会の様々な課題を浮き彫りにした。

連載企画「Withコロナで変わる国のかたちと新しい日常」の第10回は、コロナの時代に改めて問われる日本の「電子政府」への変革だ。「先進国」エストニアのスペシャリスト達が、電子政府のあるべき姿を語る。

エストニア 首都タリン市内 撮影:小島健志氏 2018年 
エストニア 首都タリン市内 撮影:小島健志氏 2018年 
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わずか2週間で支援金支払い完了

「エストニアは3月25日、新型コロナウイルスの感染拡大で、GDPの7%にあたる20億ユーロの支援策をまとめました。職を失った国民に対して賃金の7割を最大2か月分支給するもので、『来週システムテストし、遅くとも4月15日までにすべての対象者に支払う』としました」

こう語るのは、エストニアを紹介した「つまらなくない未来」の著者、小島健志氏だ。

エストニアは人口約130万人の小国だが、公的サービスの99%を電子化し、ほとんどの手続きはオンラインで行われている。政府の決定からわずか2週間で支援金支払いが完了するのは、行政システムが電子化されているが故だ。

『つまらなくない未来』の著者、小島健志氏
『つまらなくない未来』の著者、小島健志氏

3日間のハッカソンで80を超えるアイデアが

さらに小島氏は続ける。
「新型コロナウイルスが感染拡大し、政府が緊急事態を発令した3月13日から、貿易・情報技術大臣の呼び掛けによって、オンラインによるハッカソン『ハック・ザ・クライシス』が始まりました。15日までの3日間で80に上るアイデアが生まれ、労働市場のマッチングや人工呼吸機器関連など、すぐ実装されたものもあります」

エストニアにはデジタル人材が集い、その才能を結集して国家的危機に立ち向かう。

ではこうした人材をエストニアはどうやって育てたのか?

エストニアは1991年に旧ソ連から独立したものの、資源も産業も無かった。そこで国を挙げて始めたのが電子政府化であり、1996年に始まったのがデジタル人材の育成である「タイガー・リープ」だった。

「当時エストニアは貧しい国でしたが、すべての学校にインターネットとパソコンを導入して、子どもたちにデジタル環境を与えました。こうして育った世代がエストニアを支え、2003年にはSkype(スカイプ)のような世界的企業も生まれました。スカイプが成功したことで、ITベンチャーも次々と生まれ、いま子どもにとって一番夢のある職業がエンジニアです」(小島氏)

エストニアは2003年に世界的IT企業のSkypeを生んだ 撮影:小島健志氏
エストニアは2003年に世界的IT企業のSkypeを生んだ 撮影:小島健志氏

1996年にネットとPCを全学校に導入

学校にパソコンとネットワークが導入されると、次に始まったのが「Eスクール」という国家レベルのデジタル学習プラットフォームだ。

「Eスクール」は、教師、親、子どもが利用でき、成績はすべて共有されるほか、データとして残される。卒業した後も自分のサイトを見れば、小テストの成績までわかるという。

「子どもの成績はすべて親にフィードバックされます。ですからテストの成績を、子どもが家に帰る前に親が知っていたりします。また、全国学力テストの成績は学校別に分かります。学校間の競争を煽るのではないかという心配もありますが、それ以上に透明性が大事なのですね」(小島氏)

さらにエストニアでは、小学校から英語やプログラミング教育を行っている。小島氏は言う。

「プログラミングは必修ではありませんが身近です。放課後のロボット作りなど盛んですね。英語については、若い世代の大半がネイティブ並みです。エストニア語が公用語ですけど、『なぜエストニア語で授業をするのか』と公立学校の保護者会で話題になるくらいです。一方で旧ソ連時代に教育を受けた50歳以上は、あまり英語が話せない。つくづく教育は影響が大きいなあと感じますね」

プログラミングは必修ではないが、放課後のロボット作りなど盛ん
プログラミングは必修ではないが、放課後のロボット作りなど盛ん

電子契約、ネット投票が当たり前の国

エストニアが電子政府に舵を切った背景には、国の安全保障上の理由があった。

エストニアは隣国ロシアの侵攻の脅威に、常にさらされている。そのため、たとえ領土を侵略されてもデータさえ残れば、国民はバーチャルで繋がり、国を再興できるという発想だ。

「エストニアには『データ・エンバシー』という戦略があって、国民のデータは海外のサーバーにバックアップを取っています。また、海外にいても、いつでも電子契約とネット投票ができます。日本ではコロナの感染リスクにさらされながら、ハンコを押しに通勤したり、投票に行きますが、彼らと話すと慣例慣習と思っていたことが違うなと気づかされます」(小島氏)

日本はデジタル法整備の「先進国」

ではエストニアから日本は何を学ぶべきなのか?

「デジタル社会という観点では、日本がエストニアから一方的に学ぶステージにはないと感じている」と言うのは、2018年までエストニア投資庁の日本支局長を務めた山口功作氏だ。

山口氏はサイバーセキュリティやIT分野の日エストニア政府間の調整役として、日本がマイナンバーカードを導入する過程において、意見交換を積極的に行なってきた。日本からの要人訪問における受入側のコーディネーションにも携わってきた人物だ。

エストニア投資庁元日本支局長の山口功作氏
エストニア投資庁元日本支局長の山口功作氏

山口氏はその理由をこう語る。

「例えば、日本は法律面という環境整備では、実はエストニアより進んでいます。サイバーセキュリティ基本法や、官民データ活用推進基本法からは、学んだことは多かったとエストニア側の政府職員も述べていますから。デジタルという新たな社会変革へと舵を切る際には、実行法の前に、憲法の理念に基づいて『ここに行く』というシンプルな閣議決定や基本法の制定ができたことは大きいです」

いま日本は黎明期のエストニアと同じ

とはいえ、10万円給付金の窓口手続きに半日かかるなど、エストニアと比較するまでも無く、日本の行政の電子化の遅れは惨憺たる状況だ。

だが、山口氏は「定額給付金の問題と、窓口の混雑は別問題」だと言う。

「窓口はマイナンバーカードの申請や、電子署名の更新、パスワードの再発行で混み合う一時的な混雑であって、電子化の側面から見れば、カードの取得によって次回以降はオンライン手続きが円滑に行われることへと繋がります。マスコミでは『マイナンバーカードが普及していれば』という論調があります。しかし普及を待つのでは無く、まずはサービスがスタートしたことが重要で、窓口手続きと比較して利便性を実感した人々が、オンラインへと流れます。この流れはIDカード黎明期のエストニアと同じです」

タリン市内 撮影:小島健志氏
タリン市内 撮影:小島健志氏

日本がエストニアを超えるのは可能

さらに山口氏は「オンライン化などの電子化と、デジタル化を区別しなければいけない」と強調する。

「エストニアは、オンライン化ではおそらく世界でもっとも進んでいます。しかしデジタル化というのは、データが繋がった上で新しい価値を生むサービスの普及ということですから、これができている国はまだ無いのです。法的側面の環境整備が進んでいる日本が、ひとつのデジタル社会のモデルを作り上げることは可能だと思っていますし、それがエストニアなど、諸外国に学ばせてもらったことへの恩返しになるのかと思いますね」

では日本の電子化はどうあるべきなのか。

山口氏は現在、様々な自治体のデジタルトランスフォーメーション(DX)や教育改革のアドバイスをしている。山口氏が目指すのは「デジタル社会」だ。

「情報技術の台頭により、課題を見つけてから解決するまでのサイクルはどんどん短くなっています。『他の自治体で成功したからうちでもやろう』という事例踏襲では、そのサイクルのスピードに追い付くことは難しくなってくるでしょう。1700以上ある自治体では、地域で生まれる課題はその地域で解決するサイクルを作るべきです。そのためにはインフラとしてのデジタルツールは有用ですが、技術は目的ではなく手段であるとの認識を持ち、明確な目的を設定することが大切です」

エストニアは国家の命運をかけて電子化を進めた 撮影:小島健志氏
エストニアは国家の命運をかけて電子化を進めた 撮影:小島健志氏

地方こそデジタルでまちづくりを

自治体から「どうやってデジタル化すればいいか」と訊ねられたとき、山口氏は「一度、デジタル化をすぐに止めてください」と言うことも多いそうだ。

「自治体の中で、ここに行こうというゴールが無いのです。これが無いと単なる電子化で終わってしまうのですね。理想の姿はバックキャスト型の都市運営。都市宣言等で、首長が誰に変ろうとも、この地域はデジタル化でここに向かうという指針を設定する。その為の概念議論と合意形成が必要です。それが各地方都市の特徴を生かしたまちづくりへと繋がりますので、時代の変革を意識した地方行政の手腕が問われるのが今なのだと思います」

国家の命運をかけて電子化を進めたのがエストニアだ。

日本がこれから電子政府を目指すのに必要なのは、国と地域のデジタル化後のビジョンだろう。

【サムネイル画像撮影:小島健志氏】
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。