新型コロナウイルスの感染拡大で、私たちの生活、国や企業のかたちは大きく変わろうとしている。これは同時に、これまで放置されてきた東京への一極集中、政治の不透明な意思決定、ペーパレス化の遅れ、学校教育のIT化の遅れなど、日本社会の課題を浮き彫りにした。

連載企画「Withコロナで変わる国のかたちと新しい日常」では、こうした社会課題をどう変革するか、様々な有識者を交えながら論考していく。

その第3回のテーマは、「電子政府先進国」エストニアから見える、国のデジタル化のありかただ。

99%の公共サービスがオンライン手続き

電子契約サービスe-sign(eサイン)を提供する「blockhive(以下ブロックハイブ)」のCEOである日下光さん。2012年からブロックチェーン関連の事業を始め、2017年にエストニア共和国に移住した。

エストニアは「イーエストニア(e-Estonia)」と呼ばれ、行政の電子化の取り組みで知られている。新型コロナウイルスの影響で日下さんはいま日本に一時帰国しているが、現地で見た行政サービスについて聞いた。

blockhive CEOの日下光氏(2018年エストニア・タリンにて撮影)
blockhive CEOの日下光氏(2018年エストニア・タリンにて撮影)
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「エストニアでは、国民はデジタルID(eID)カードを持っていますが、私と家族には短期居住者向けのデジタルIDカードが配布されました。これがあると、基本的に国民と同じ公共サービスが受けられます。違いは投票権が無いくらいですね。エストニアは投票もオンライン化されていますが、私たちは市民権がありませんので」(日下さん)

エストニアは人口約130万人の小国だが、1991年に旧ソ連から独立した後、行政システムの電子化を始め、世界から注目を集めている。現在、公的サービスの99%は電子化され、オンラインで手続きができるので、行政の窓口で並ぶ必要はない。

「日本と違い、ペーパーワークで何かやらなければいけないという煩わしさは全くありません。例外は結婚と離婚と不動産登記だけです。これはライフイベントとして重要であり、技術的にできないわけではなく、オンライン上でできてしまうのは倫理上の問題もあるので、できないようにしているのです」

出生届はオンラインで自動的に終わる

エストニアの首都・タリンの市街地(Toolbox Estoniaより)
エストニアの首都・タリンの市街地(Toolbox Estoniaより)

また、エストニアには「ワンス・オンリー」、つまり1度入力した情報は2度入力しなくていいという設計思想に基づいて国のシステムが設計されている。

「例えば日本で引っ越しすると、役所に行って住民票や転出入届、引っ越し業者の手続きや不動産契約などがあって、名前と生年月日を何度書くか数えてみたら、8回ありました。エストニアでは、役所で提出した情報を再び他で出させないルールになっていて、デジタルIDによってオンライン上ですべて完結できるようになっています」

出生届もオンラインで自動的に終わると日下さんはいう。

「プロアクティブサービス、つまり実感しない電子行政サービスということですが、子どもが生まれた瞬間に親のデジタルIDに紐づけて、子どもの出生(住民)登録を病院が自動的にしてくれます。その後は検診にいつ行ったらいいかとか、保育園の申請まで全部やってくれます。おもてなしの真逆ですね。おもてなしは体感できますが、こちらは空気のように終わっています。届け出をしたら便利で楽だったではなく、届け出さえしなくていいということです」

ちなみにエストニアでは、公共サービスは基本的に無料だ。

「公共交通機関は無料です。Suicaのようなカードがあって、旅行者はキオスクで購入しチャージして使うのですが、市民はデジタルIDカードに紐付けられているので無料で乗れます。また、私の娘は現地の幼稚園に行っていますが無料です。エストニアは幼稚園から大学まで学費はかかりません。高校のカフェテリアの食事までカバーされていますね」

デジタルIDは盗まれても「なりすまし」ができない

(Toolbox Estoniaより)
(Toolbox Estoniaより)

では、商取引や契約はいかに電子化されているのだろうか?

ブロックハイブでは、エストニアに拠点を設け、オンラインの法人登記サービス「SetGo(セットゴー)」を提供している。

このサービスでは、エストニアの国民はもちろん、イーレジデンシー(e-Residency)=電子住民と呼ばれる仮想居住者になれば、オンラインで最短10分でエストニアに会社を設立することができる。日本のように、法人登記に書類を用意し、印鑑登録の為に法務局に出向く必要もない。法人登記や確定申告も含めて、すべて電子化されている。

企業間の契約もすべて電子化されていて、電子署名が行われる。

「電子契約が簡単にできる理由は、政府がDigidoc(デジドック)という電子契約システムを国民に無償で提供しているからです。たとえば大家さんと私の賃貸契約では、デジドックに契約書をアップロードして、お互いのデジタルIDで電子署名します。デジタルIDは身分証であり、銀行のログイン用のカギでもあり、承諾するハンコでもあると。エストニア政府は自身のことを『Government as a Service(サービスとしての政府)』と呼んでいます。国家としてのあるべき姿は、国民に利便性の高い行政サービスを提供するということです」

日本では、対面することによって信用を担保してきた。これに対して日下さんは、デジタルこそが安全だと言う。

「お互いを知ることによる信頼関係の構築という意味では、対面に勝るものはないのかもしれません。ただ契約書においては、仮に目の前で捺印、契約締結しても、トラブル紛争になった時にそれを証明できるかというと疑問が残ります。しかし、電子契約の場合はそのリスクがなく、デジタルIDは国が国民に発行しており、このデジタルIDは盗まれてもなりすますことができません。デジタルIDカードにはPINコード=暗証番号が2つあり、カードだけでなくこのPINも同時に盗む必要があります」

マイナンバーカード2000万人の日本は「デジタルID普及大国」

首都タリン市内(Toolbox Estoniaより)
首都タリン市内(Toolbox Estoniaより)

ブロックハイブでは、4月28日から日本で電子契約サービス「e-sign」を開始した。

エストニアで培ってきた電子契約サービスを、ブロックハイブは無料で使えるようにする。これを日下さんがSNSで発信した際には、「マネタイズできるのか」といった疑問の声も上がったという。

「手紙は切手を貼って数十円かかりますが、Eメールは無料で世界中の人とやり取りできます。もしEメールが1通100円だったら、ここまで普及しませんでしたね。手書きのサインやハンコを押す行為は無料ですから、無料のデジタル署名に変わると社会が激変することを、エストニアで体験したので、今回、日本でもやろうと思いました」

e-signでは、電子署名のためにデジタルIDが必要だ。そこでブロックハイブでは今回、デジタル身分証アプリ「クロスID」も提供するという。ブロックハイブのミッションは、「信用コストの低いデジタル社会の実現」だ。このサービスは、石川県加賀市でも行政サービスのデジタル化の一環として年内に導入が予定されている。

新型コロナウイルスによって、日本社会のデジタルトランスフォーメーションが一気に進んでいる。しかし、日下さんは「日本で真のデジタル社会を実現するためには、デジタルIDが一番重要だと確信しているが、まだ理解は浸透していない」と言う。

「マイナンバーカードの普及率が低いとメディアが報道しますが、絶対数では2000万人を超えていて、デジタルID普及大国と言えます。産学官民が連携して、国民にとってより利便性が高いサービスを作ろうと議論し、今こそ社会の合意形成を行うことが必要です」

Withコロナの時代に始まった変革は、すでにアフターコロナに向けて進んでいる。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。