「確証バイアス」という言葉が、近ごろ散見されるようになった。目にしたり、聞いたりしたことのある人も多いと思う。これは心理学でいう「認知バイアス」の一種で、無意識のうちに自分に都合のいい情報ばかりを集め、反証する情報を無視することを指す。

なぜ近ごろ「確証バイアス」という言葉をよく目にするかというと、ネット上に氾濫する情報と「確証バイアス」との関わりがクローズアップされてきているからだ。インターネットの大きな特徴は「検索」によって自分の好きな情報を集められることだ。これは既存のメディアにはない機能だが、ネットでは中立を保つ必要はないし、事実でない情報も数多くある、というか氾濫しているといっていいほどだ。人は、たとえそれが事実でなくとも、自分の都合や考えに合った情報を見るのは心地よいものだろうし、自分と反対の意見を見るのは不愉快なものだ。無意識のうちに確証バイアスの罠にはまってしまうのである。

これを悪意ある政治家が見逃すはずがない。ナチス・ドイツはラジオ受信機を国内で急拡大させ、自分たちの意見を一方的に流し続けた。プーチン政権のロシアでは、政府の息のかかったメディアは政権賛美一辺倒で、政権を批判するマスメディアには容赦ない弾圧を加えている。

さて、この確証バイアスを最大限に利用したのが、プーチン大統領を尊敬しているといってはばからないアメリカのトランプ前大統領である。

アラスカ州の支持者集会で演説するトランプ前大統領(2022年7月9日)
アラスカ州の支持者集会で演説するトランプ前大統領(2022年7月9日)
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トランプ氏は、選挙中に使いこなした手法を在任中にも使い続けた。ツイッターを使ってつぶやき、フォロワーにあることないことを訴え続けた。自分に不利なことが報道されると、「フェイクニュース」の一言で片づけ、自分に都合の良い、事実でないことも発信し続けた。ニューヨーク・タイムズは2017年6月25日付で「トランプ大統領が就任以降についた100の嘘」という記事を掲載したぐらいである。

そしてトランプ氏の熱狂的な支持者は、CNNや3大ネットワークのニュースを見ず、新聞を読まず、トランプ支持のFOXテレビやネット上のトランプ支持の情報ばかりを集めそれを拡散した。そう、まさに「確証バイアス」が拡大再生産されていたのである。

「反知性主義」という言葉がよく使われるように、この大統領が決して知性や教養のある人物ではないことは、大半の人々が分かっていただろう。支持者ですら、この大統領の知性に期待しているわけでもなさそうだ。何しろ記者会見で「消毒液はウイルスに効くようだ。注射したりできないものだろうか」と言い放つ御仁である。この程度なら「ご愛敬」として笑って過ごせるが、笑って過ごせないのが、2020年11月に行われた大統領選とその後である。

トランプ氏は自身の再選が絶望的になったとき、その最大の武器、ツイッターを使って選挙結果を覆そうとした。その一部始終をジャーナリストの視点で書き綴ったのが、今回の『トランプ大統領のクーデター ―米連邦議会襲撃事件の深層』(園田耕司 著・筑摩書房)。著者は朝日新聞ワシントン特派員である。

米議会襲撃事件(2021年1月)
米議会襲撃事件(2021年1月)

知性あるトランプ主義者

この本は、ほぼ時系列に沿って叙述されているが、たいていの人は、トランプ氏の大統領選敗北直後から連邦議会襲撃までの一連の流れにテレビのニュースなどでリアルタイムで接していただろうから、ここではこの本のインタビューに応じた2人のトランプ信者を取り上げていきたいと思う。

まずはスティーブン・バノン氏である。2016年の大統領選でトランプ氏が選挙参謀のトップに据えた人物だ。海軍将校からハーバードのビジネス・スクールで学んだ後、ゴールドマン・サックスで働いたという絵に描いたようなエリート人生を歩んでいた。その後、何を思ったか右派系のニュースサイトの会長となった人物である。彼は大統領首席戦略官という肩書で政権入りする。しかし政権内でトランプ氏の親族たちと衝突したり、政権の暴露本を出版したりして、トランプ氏を激怒させ、7カ月で政権を離れた。また国境の壁建設をめぐる詐欺事件で逮捕されたが、その後トランプ氏によって恩赦されている。

バノン氏(ワシントン・2022年7月19日)
バノン氏(ワシントン・2022年7月19日)

政権を離れたバノン氏が再びトランプ氏とタッグを組むのは、2020年の大統領選直後の会話がきっかけとなったらしい。そのやりとりを読むと「選挙が盗まれた」というトランプ氏の背後には、バノン氏がいたようだ。そしてトランプ氏は大統領職を離れる直前に恩赦を発表したのである。

さて話は変わるが、この書評の根幹に関わることなので、次の格言を心に留めておいてほしい。第2次世界大戦の時代、ヨーロッパで次のような言葉がよく口にされていたという。

「人を容器にたとえると、3つのうち2つまでは入るが、3つとも入ることはない要素がある。その要素とは、誠実、知性、そしてナチズムである。誠実なナチストはいるが、その人には知性がない。知的なナチストはいるが、その人物には誠実さが欠けている。そして、知性と誠実を持っていれば、ナチストになるのは不可能である」

この一節は評者の小説『月と詐欺師』でも引用したが、この三段論法めいた格言はナチストをトランプ主義者と言い直しても成立しそうである。(ただし、トランプ氏はナチストではない)

この観点でみると、バノン氏は“知性あるトランプ主義者”が当てはまりそうだ。彼には知性はあるが、誠実さには疑問符がつく。それは詐欺罪以外でも、この本の著者とのインタビューにも表れている。

「『トランプは当時、本当に選挙結果を変えることができると信じていたのか。むしろ<選挙を盗むな>という主張は、次に向けた新たな政治運動なのではないか』。バノンにこう疑問をぶつけたが、明確な答えは返ってこなかった。ただ、バノンは自身のポッドキャスト番組についてこう語っている。『我々は現実政治において、1日2回の番組を通じて、バイデンに政治的な血を流させている。こうして、さらに多くの人たちが、バイデンの正当性に疑問を持つようになる』」

ナチス・ドイツのゲッペルス宣伝相が言ったとされる「嘘も百回言えば真実になる」と同じ発想をこの言葉に嗅ぎ取ることができる。

誠実なトランプ主義者

さて、もう一人はニューメキシコ州で郡政委員を務めるクオイ・グリフィンという人である。この人物はトランプ支持団体の創立者で、議事堂襲撃事件の際に不法侵入で逮捕され、取材時は釈放され裁判を待つ身であった。

クオイ・グリフィン氏(ワシントン・2021年1月17日)
クオイ・グリフィン氏(ワシントン・2021年1月17日)

彼の場合、オンライン取材だったが、以下は取材に入る前の会話である。

「『あなたは日本にいるの? それともアメリカにいるの?』ワシントンで働いていると答えると、『イエッサー!』と人なつっこい笑顔を見せた。」

人のよさそうな人物である。彼は「トランプのためのカウボーイズ」を設立し、メリーランド州から首都ワシントンまでトランプ支持の旗を振りながら馬で10日間のパフォーマンス移動を実行したのだった。すると、なんとトランプ氏自身から直接電話がかかってきたのだという。その後、彼はホワイトハウスに招待された。インタビューからはトランプ氏に心酔しきっている様子がうかがえる。

さらに彼はこう言って大統領選挙は不正があったと主張する。

「『大統領選が行われている間、私が各地の集会を見て回ったところ、バイデンの集会はまったく盛り上がっていなかった。にもかかわらず、実際の選挙では勝利したからだ』」

「『トランプ大統領は<ペンスは正しいことをしてくれるだろう>と言っていたが、私はそのとき、こう思った。<ちょっと待ってください、大統領。ペンスはあなたの副大統領ですよね。あなたには、公職に就く者に正しいことをさせる役割があるのではないですか>と』」

さらっと読めて、おかしなことを言っているようには見えないが、よく読むと、やはり違和感を覚える主張である。

バイデン氏の集会については、自分の身の回りだけの現象を全米のものと考えているのに加え、バイデン陣営が新型コロナ感染防止のために、屋内での大規模集会活動を取りやめたことやドライブイン形式などで行ったことを、おそらくこの人は知らない。「確証バイアス」の可能性をこの発言から読み取ることができる。

さらにトランプ氏は副大統領にペンス氏を指名したが、だからといって副大統領は大統領の操り人形というわけではない。大統領とはいえ、できることとできないことがある。そういった常識が欠けている。また、選挙不正の証拠をトランプ陣営は法廷に提出することができず、連戦連敗という事実を、知っているかどうか。

この人は、バノン氏と違うタイプのトランプ主義者だろう。誠実なトランプ支持者だが、決定的に欠けているものがある。

トランプ政権の最終段階で2人の幹部が大統領に反旗を翻した。ペンス副大統領(当時)は選挙に不正はなかったと判断し、その職務において全米の選挙結果を確定させた。また、バー司法長官(当時)は選挙に関して「大規模な不正は確認できていない」と明言して辞任。トランプ氏から離れていった。

この2人は、キャリアを含めて最高の知性を持っている。そして最後の最後になって「誠実」なるがゆえに、トランプから離れていったのである。

何に対しての「誠実」? もちろんアメリカの民主主義に対しての「誠実」である。

【執筆:赤井三尋(作家)】

『トランプ大統領のクーデター ―米連邦議会襲撃事件の深層』(園田耕司 著・筑摩書房)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)