「痒いところを掻いたら、よけい痒くなった」。こんな経験は誰にでもあるだろう。
そもそも痒みは、ダニや異物を取り除くために皮膚を引っ掻く自己防衛反応だと考えられている。しかし掻くと余計に痒くなる仕組みはこれまで分かっていなかったという。
このメカニズムについて九州大学大学院薬学研究院の津田誠主幹教授などのグループが、刺激によって増える特殊なタンパク質に原因があることを世界で初めて突き止めた。
普通の痒みは少し掻けば治まるが、アトピー性皮膚炎やかぶれ(接触皮膚炎)などの強い痒みは何回も皮膚をひっ掻き、炎症が悪化してさらに痒みが増してしまう。これは「痒みと掻破(そうは)の悪循環」と呼ばれ、なぜこうなるのかは分かっていなかった。
研究チームは皮膚炎のマウスを使った実験で、痒くて皮膚を掻くと、皮膚と脊髄をつなぐ感覚神経で「NPTX2」というタンパク質が増加し、これが脊髄に運ばれると「痒み伝達神経」の活動を高め、強い痒みを感じることで、また皮膚を引っ掻いてしまうことを発見した。
NPTX2は、研究チームのPaul Worley教授が1996年に発見したタンパク質で、神経細胞の活動が高まると作られるという。人工的にこのNPTX2を作ることをできなくした皮膚炎のマウスを観察したところ、引っ掻き行動は34%減少したそうだ。
娘のアトピー発症などが研究のきっかけ
研究チームによると、NPTX2の増加や活動を抑える薬が見つかれば、慢性的な痒みに効く治療薬の開発につながることが期待できるとしている。
では、研究を聞く限りはこのNPTX2が“悪さ”をしているようだが、一体何のためにあるのだろうか? NPTX2を抑え、強い痒みに効く薬はいつできるのだろうか? 津田誠主幹教授に聞いた。
――なぜ「痒み」の研究をはじめた?
私は、25年ほど前から痛みの研究を行っていますが、10年ほど前から痛みとは対極にある「痒み」という感覚がどのように生み出されるのかに興味をもちはじめました。また、その頃に痒みだけに関わる神経が発見されたことも、その興味に拍車をかけました。さらに、私の娘が小さいころにアトピー性皮膚炎でいつも皮膚を引っ掻いていまして、何とかよい治療薬を作りたいという思いも研究をはじめるきっかけでした。
――NPTX2は何のためにあるの?
NPTX2は神経の活動が高まると作られるということが分かっていますが、その働きについてはまだよくわかっていないことが多いです。動物を使った最近の研究では、うつ病の電気けいれん療法に関わるという報告や、コカイン依存に関わる記憶の消去に必要ということが報告されています。
普通は、皮膚を引っ掻く「痛み」が「痒み」を抑える
――では普通の痒みはなぜ引っ掻くと治まる?
皮膚を「引っ掻く」という刺激は、痛みの神経を興奮させ、その情報が脊髄の中のある神経に伝わります。この神経には「痒み伝達神経」を抑制する働きがあるため、結果的に痒み信号の伝達が抑えられるという仕組みが現在考えられています。
――すぐ治まる痒みも、掻き続けると強い痒みになるの?強い痒みと弱い痒みはどう違う?
正常の皮膚を何回も引っ掻けば強い痒みになるかというと、おそらくそうにはならないと思います。「引っ掻く」という刺激は、痛みを起こしますので、正常の皮膚を何回も引っ掻くと皮膚が傷つき、それに伴って痛みも増加してしまいます。
「何回も繰り返して引っ掻いてしまう痒み」には、皮膚で痒みを起こす物質、あるいはそれが増えるような皮膚炎があるときに生じると考えられます。今回の研究では触れていませんが、そのような皮膚炎があるときは、「引っ掻く」刺激による痒みを抑える作用が弱くなっているために、何回も繰り返し引っ掻いてしまうことにつながるのかもしれません。
――「痒み」は「弱い痛み」だと聞いたことがあるけど、実際はどうなの?
最近の約10年間の研究から、痒みの伝達に関わる神経が発見されています。研究では、この神経を無くしても、痛みには影響がありませんので、痒みという感覚は専門の神経を介して伝達されると考えられています。
――NPTX2を抑える薬はいつできる?
NPTX2は脳の神経でも作られ、体にとってよい働きをしている可能性があります。したがって、慢性的に痒いときに感覚神経で増えるNPTX2を減らすことが大切だと思っています。しかし、慢性的に痒いときにどのようにNPTX2が感覚神経で増えるのかがまだ分かっていませんので、実用化にはまずはそれを明らかにする必要があります。
厚生労働省の「平成29年患者調査(傷病分類編)」によると、日本のアトピー性皮膚炎の推定患者数は約51万人だという。強い痒みで体を掻き、そのため炎症が悪化する悪循環に苦しんでいる人も多いだろう。今回の研究がそんな人々を救うことにつながるのを願いたい。