なでしこジャパンの一員として世界を相手に戦ってきた福島出身の遠藤純選手が、海外チームへの移籍を決断した。日本を離れ異国に渡る決意をした“決め手”は何だったのか、本人を取材した。

日本代表から世界へ 故郷で日々練習

まだ雪が残る2022年2月下旬。福島・白河市の河川敷で待ち合わせをしていたのは、白河市出身で女子サッカー日本代表の遠藤純選手(21)。

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小学3年生で父親が代表を務めていた地元のクラブでサッカーを始めると、中学生から全国の優秀な選手が集まるJFAアカデミー福島に所属。

2019年のフランスワールドカップでは、当時チーム最年少の18歳でなでしこジャパン入り。

その後も日本代表として世界を舞台に戦ってきた遠藤選手はこの冬、新たな一歩を踏み出した。アメリカ・女子プロサッカーリーグ「エンジェル・シティFC」への移籍だ。

遠藤純選手:
アメリカに決まってから、結構週末は帰って来てたんですけど、少し長めの帰省は久しぶりかなと思います。開放されてるグラウンドがあまりないので、こういう河原や街中を走ったり。自主練では多いかなと思います

新たな挑戦を前に過ごす、故郷での時間。整った環境がなくても毎日のトレーニングは怠らない。

――地面がボコボコしてますが、ドリブルしづらくないですか?

遠藤純選手:
めちゃめちゃしにくいです(笑)でも、わざとこういう悪いところでやって足を慣れさせるというか。アメリカのチームがもう始動しているので、乗り遅れないように自分でできることは練習してる感じです

W杯に東京五輪 ”夢の舞台”のはずが…父も移籍を応援

遠藤選手の原動力は、子どものころ福島で感じたひとつの思いだ。

遠藤純選手:
自分も震災の年は、原発事故の影響でなかなか外でサッカーができなかったりすることが多くて。ただそれでも、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した年でもあるので。それを見て、自分もいつかここに立ちたいと思いました

「いつか自分も」というの思いで掴んだ日本代表のユニホームだったが…。

遠藤純選手:
サッカー人生を歩んだ中で、東京オリンピックとかワールドカップは夢の舞台だったんですけど、自分が思い描いていた夢の舞台では正直なかったので。いろんな国際大会をやる上で、海外との差は感じていた部分があるんですけど、それでも海外に挑戦する勇気が無くて。悔しい気持ちの方が強かったので(移籍を)即決しました

初めての海外生活やチームに対する不安はあるのだろうか。

遠藤純選手:
自分が「英語苦手なんだけど助けてね」って言ったら、「日本語勉強したいから交換でやろうね」みたいな。チームメイトも優しくしてくれるので、心配ないのかなと思います

アメリカのチームメイトとのやりとり
アメリカのチームメイトとのやりとり

挫折をバネに決断した挑戦。父・淳さんも遠藤選手の背中を押した。

父・淳さん:
うちに帰ってきて、一緒にサッカーやるなんてことはないですね。勝手に自分でやってましたから。いい決断であったなと思うし、親としてはその決断は尊重して、また良い夢を見させてもらいたいなと思います。まずは英語がペラペラになってほしいですね(笑)

遠藤選手の父・淳さん
遠藤選手の父・淳さん

遠藤純選手:
たくさんの方に期待してもらったり応援してもらってるので、その人たちへの恩返しとして、結果には常にこだわっていきたいと思っているので。自分を応援してて良かったなと思ってもらえるように頑張っていきたいと思います

「ひと目で変わったと思ってもらえるようなプレーを」

渡米後、3週間がたった遠藤選手に話を聞いた。

――アメリカでの生活に慣れた?

遠藤純選手:
ホームシックは全然ないです。すごくみんなが話しかけてくれたりとか、(英語が)全然しゃべれないけどゆっくり話してくれたり。今はすごく楽しくて、不安はないかなって感じです

一方、サッカーについては自分のプレーを模索しているという。

遠藤純選手:
プレーのスピードだったり、考えるスピードだったりが違うなって感じていて。最初の方に自分の弱さとかを感じられたのは良かったと思います。日々成長していって、日本に帰った時にひと目で「変わったな」と思ってもらえるようなプレーをしたいと思います

日本の遠藤から世界のENDOへ。夢に向かうなでしこの新たな挑戦が始まっている。

(福島テレビ)

福島テレビ
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