神戸市須磨区。1997年5月24日、タンク山と呼ばれる山で小学校6年生の土師淳君が、14歳の中学生に命を奪われた。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が今年で第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を、各局がドキュメンタリー形式で発表。

今回は第13回(2004年)に大賞を受賞した関西テレビの「罪の意味 ~少年A仮退院と被害者家族の7年~」を掲載する。

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後に神戸連続児童殺傷事件と呼ばれるこの事件は、刑事罰対象年齢が16歳から14歳に引き下げられるなど、その後少年事件が厳罰化されるきっかけともなった。さらに被害者家族が事件記録の閲覧できるようになるなど、被害者へ支援も考えられることになった。

前編では愛する家族を失った被害者家族が、その時、その後、何を感じていたのかをお伝えした。後編では国が考える少年院での“更生”を、知ることすら出来ない被害者家族の苦しみに迫った。

(※記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

現在は「実際に更生されたかどうかは重要でない」

少年Aが引き起こした神戸連続児童殺傷事件。

加害者の少年は精神科医や法務教官らの特別処遇チームによって、公費で更生に取り組まれる一報で、大きな悲しみを背負った被害者家族には一切の公的支援が無かった。

「被害者にはなんの権利もなく、加害者は守られる。法律は正義ではない」

命を奪われた土師淳君の兄・巧さんはそう口にした。

なぜ被害者が救われないのか。被害者自身が声を上げ始めた。

全国犯罪被害者の会「あすの会」では、被害者自身が刑事裁判に参加できるよう、署名活動をしている。被害者家族である父・土師守さんは、大人の裁判が変わらなければ少年審判も変わらないと考え、その活動に参加していた。

加害者が法律で守られているのに、なんの手助けもない被害者。犯罪被害者の会の定例会では講師の弁護士に率直で厳しい、悲痛な質問が相次ぐ。

「刑務所で真面目にやったということで出所させますね。でも我々被害者にとって全くわからない。その中身は我々が知ろうと思ったら知れるのか?」

「どういう判断で出所させたのかについては、情報公開で出てくるのかどうかと言ってもかなり難しいと思います」

「満期になる前に出した挙げ句に仮出所期間中に何かをすればどうなんでしょうか」

「個人の責任はわかりますけど、国家の権力として仮出所させるわけですよね」

会に参加した守さんは、国が考える“更生”についても疑問を口にした。

「(更生というのは)自分が犯したことの酷さ、残忍さにしろ、被害者にどういう思いをさせたということをきちんと理解させることだと思います。理解した上で反省。理解した上で反省しなければ、更生の“こ”の字にもならないと思いますけど。

今までの少年というのは、やはりところてん方式で出してきたわけですから。矯正教育をしたということが重要であって、実際に更生されたかどうかは重要ではないというのが、今までの状況だと思います」(守さん)

社会復帰に進む加害者と、罪に悩む被害者家族

父・守さんの必死な姿を見ながらも、巧さんにはまだ迷いがあった。法律を変えても意味がないと考え、当初守さんの活動にも反対していた。進むべき道も見つからず、高校卒業後しばらくは専門学校に通ったものの、惑い続けていた。

「漠然と何をして良いのかその当時も全然わからなかったし、先のことは全然考えていなかったですね。勉強は必要なものだったとは思っていたんですけど、人の人生はすぐコロコロ変わるものだと気付かされたので、勉強しても意味がないと」(巧さん)

巧さんが悩み続けていた頃、少年Aは関東医療少年院から東北少年院に移り、溶接技術を習い、危険物取扱者など4つの資格を取得していた。社会復帰に向けた準備が着実に進められていた。

5月24日、あの日の午後、家はいつもと変わらない雰囲気でした。

「おじいちゃんとこ行ってくるわ」と出かけようとした弟に、自分は親との会話を中断して玄関まで見送りに行きました。弟は「行ってくるわ」といつものように笑顔でいい、自分は一瞬「一緒に行こうかな」と思いました。しかし、中間テスト前だったため、行くのをやめ、そのまま見送りました。

これが弟を見た最後でした。

巧さんは事件を“自らの罪”と考えていると明かす。

「自分があのとき何も出来なくて、これまで何もしてこなかったので、何も出来なかったので。正直なところ一生償えないと思います。罪の意識があったほうが弟の思い出は消えないので。自分でも罪は償えないと思います。

あの時、今更なんですけど、やはり一緒に出かけていれば、もしもというか、自分があのときちゃんとしていればとどうしても思ってしまうので。自分が守ってやることが出来なかったので。そこが自分の罪だと思っています」

そんな事を思っているということを家族に話したことは無い。目頭を押さえながら絞り出した。

「話したことは無いと思いますけど…、家族全員がそう思っていると思います」

「何をもって更生か」、そして前を向く巧さん

今、少年Aの周辺では少年の更生のために被害者に向き合わせたいと考えている。しかし守さんが向き合いたかった時期と、少年の周辺が適当と思う時期とはあまりにかけ離れていた。

少年のプライバシー保護を謳う国は、通常は被害者にも少年の情報を伝えない。しかし事件の重大性と、守さんの強い求めに応じて、法務省は仮退院前に少年Aの更生の状況を説明してきた。そして仮退院に関しては、当日電話で通知するという異例の約束をした。

事件から7年、治療経過を見るために少年Aと面会をした外部の医師は、ハキハキとした礼儀正しさに作り直された人工的な印象を覚え、壊れやすい温室の花を想像したという。

下記がその際の質疑応答だ。

――遺体を傷つけたことに関しては?
露悪的なことを言っていました。事実を曲げていったところもあります。血を飲んだ話は作り話です。でも頭部を切断したのは事実です。

――新聞社への手紙は?
異常な殺人者であることを定着させたかったんです、引くに引けませんでした。どこにも持っていけない怒り、社会や学校に対する…それを吐き出したいと思いました。

――死んでお詫びするしか無いと思ったことは?
そう考えたことあります。淳君のお父さんが書いた手記を読んで、自分は生きていてよいのかと思いました。

――淳君への償いは?
まずはお手紙をお父さんに書こうと思います。会ってくれるのであれば会ってみたいと思います。

――あなたは随分変わったけど、どういうことで自分が変わったと思いますか?
まず一番は、この少年院で話ができる精神科医の先生がいて、その先生と話をしていて、心を開いていろんなことを学ばせてもらったと思います。
 

守さんは、「矯正教育が進んで改善しているっていうことの説明を受けました。何をもって更生と判断しているのかっていうのを質問したんですけど。難しいね…」と、苦悩を浮かべた。

高校卒業から2年たったこの春、巧さんは大学生になった。そしてもう一つ新しいことに踏み出そうとしている。

「将来したいこととか多少見えてきたことじゃないですかね、それまでは全然わからなくて、自分は流されるままの人生だった気がしたので…。やはり変えたいなと」

巧さんは全国犯罪被害者の会の活動に参加することを決めていた。東京の幹事会に参加する守さんについていくことにした。

「自分は正直何も力が無い人間ですから、だからこういうところに入って自分が一端でも担うことができるのならと思って。二十歳になりましたし」

そう挨拶した巧君に、守さんは小さな安堵を口にした。

「そういうことを考えることができる心の余裕が出来たのかな。僕より背が高くなったし、時間は確かに経ったよね。亡くなった子供のことを考えた場合、7年経ったという感じは本当にしない。

やはり私達がやっていることを見て何も感じない、思わないということであればそれはそれでいいと思いますし、それを見て自分なりに考えて行動を起こすというのも非常に重要なことだと思いますんで」

仮退院した少年A。被害者家族は…

2004年3月10日、守さんのもとに弁護士から電話が入った。

「本日、先程、関東地方更生保護委員会の課長から連絡がありまして、本日関東医療少年院を仮退院した。午前9時5分に仮退院をしたという連絡が入ってきました。帰住先は近畿地方ではない、ということで。それ以外のことはご要望があれば、仮退院のいきさつ、帰住先等については後日ご説明をしたい。全てを説明出来るかわからないけど説明したいと。時期、場所についてはまだ未定です」

日本を震撼させた事件を起こした少年Aは、事件から7年後、仮退院をすることになった。そして法務省も異例の記者会見を開き、仮退院を発表した。

守さんはそれまで一度も記者会見を開いたことが無かったが、息子の命を奪った少年が社会に戻ってきたこの日、初めての記者会見に望んだ。

「私達の事件というのは、非常に特異な事件だったということもありまして、色々開示していただきましたけど、少年事件でも成人の事件と同じように、居住地情報や少なくともその手の開示はしてほしい。私達の子供の事件だけではなくて、他の少年事件全般に対してそういう制度が早急に作られてほしいと思っています」

その姿を見た巧さんは、守さんの苦悩を理解している。

「納得していたらああいうことはそもそもしないです。とてもやりきれない思いを凄い抱えているのは十分に伝わりますし、『よくあそこまでできる人だな』と自分の父ながら思います。ずっと気持ちを踏みにじられ続けていて、耐えに耐えた上でようやく取れた小さな成果だと思います。小さいけど凄く大きい一歩だと思っています」

少年Aは2004年12月31日、正式に少年院を退院。自由の身となる予定だ。

家族にとって新しい苦悩の始まりでもある。
 

(第13回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品『罪の意味 ~少年A仮退院と被害者家族の7年~』関西テレビ・2004年)

その後少年法は改正され、2001年4月から刑事罰対象年齢は14歳に引き下がり、16歳以上が故意の犯罪で人を死亡させた場合は原則として検察官に送致される事になった。また、被害者遺族が事件記録の閲覧・コピー、意見陳述、審判結果等の通知の申出が認められることになった。

少年Aはその後遺族に伝えること無く手記を発表。さらにHPやメルマガを発行し(のちに閉鎖・凍結)、被害者遺族はそれを強く非難した。

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