初めての避難指示一部解除 進むインフラの復旧作業

双葉町 中谷祥久さん:
この海がいつかまた、みんなにぎわう海水浴場になればいいけど、それもまた夢かな…

中谷祥久さん(39)は、福島県双葉町で生まれ育った。避難先のいわき市から、定期的に「一時立ち入り」を続けてきた。

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双葉町 中谷祥久さん:
自分のこの双葉は原点なので、双葉が好きだから帰ってこようかなって思っている

あの日を境に、ふるさとは大きく変わった。商店街で理容店を営んでいた中谷さんの実家。避難生活の中では、思い出が詰まった場所でさえ、朽ち果てていくのをただ見守るしかなかった。

双葉町 中谷祥久さん:
店はなくしたとしても、やがて帰れるという見通しが立った時に帰れる場所がないと困る

東日本大震災から9年。大部分が帰還困難区域となり、避難自治体の中で一部解除が最も遅くなった双葉町。町内では、建物の解体やインフラの復旧作業が進んでいる。その間、ほかの地域には、少しずつ住民が戻り始めている。

双葉町 中谷祥久さん:
複雑は複雑だが、いつまでも待っていられない。うちらも先に進まないといけないので。私はこれをプラスとしてとらえている

駅周辺の限られた範囲でも、初めての避難解除は、帰還への大きな一歩。

「町民の絆をつなげる」 続けられてきた伝統の“ダルマ市”

2020年1月、避難先のいわき市で開かれた双葉町の伝統行事。そこに中谷さんの姿があった。

ダルマ市は、江戸時代から続く新年の風物詩。震災前、商店街には多くの人が集まり、一番のにぎわいを見せていた。双葉町の伝統を絶やすことなく続けてきたのが、中谷さんとその仲間たち。

双葉町 中谷祥久さん:
こうやって北と南に分かれて、町民とか市民の方が一緒になって願いを込めて引っ張るっていうのは、いいものだと思います

会場には、中谷さんの長女・結愛さん(15)の姿があった。震災当時は、まだ6歳だった。

ーー双葉のダルマ市覚えてる?

中谷さんの長女・結愛さん:
覚えてないと思う。小さかったから。取りあえず来て、見て帰るみたいな

年月が経つにつれて薄れる記憶と町への思い。だからこそ中谷さんは、避難先でもふるさとを感じられる場所を作り続けてきた。

双葉町 中谷祥久さん:
これしかない、これをやり続けることしかない、町民の絆をつなげるには。ダルマ市は、やっぱり途切れてはだめなのかなって思います

帰還の選択肢が現実味も…深まる悩み

町に帰って、もう一度住みたいと願い続けてきた中谷さん。30年間慣れ親しんだ自宅は2019年、解体した。

双葉町 中谷祥久さん:
こういうの見ると、ここに帰ってこられるのかなと不安になっちゃいますけどね

理想と現実のはざまで揺れる思い。長期化する避難生活で、家族内の意見は分かれている。

双葉町 中谷祥久さん:
(子どもたちは)震災当初は、自分の家に帰りたいと言っていたが、だんだんそれも言わなくなってきて。避難生活の中で家も建てたりして、双葉のことをあまり言わなくなった。(避難先の)いわきの方が強くなって、双葉を忘れていくのかなと、自分としては複雑な感じ

避難指示の一部解除で現実味を帯びてきた帰還の選択肢。本来ならうれしい出来事が、逆に悩みを深めている。

(福島テレビ)

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