菅内閣が発足して16日で1年を迎えた。この間、“公約”として掲げた携帯料金の値下げや不妊治療の保険適用、デジタル庁の設置など、菅首相は「仕事師」として数々の政策を成し遂げてきたが、最大の課題であるコロナ対策では発信力や説明不足との批判を受け、国民の理解を得ることはできなかった。菅首相は16日午前、在任中の一年について「新型コロナ対策に明け暮れた一年だった。最後の一日まで国民のために働く内閣として全力で働いていきたい」と振り返った。

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総裁としての在任期限が今月末に迫るなか、首相の頭の中にはどうしてもやり遂げたかったある思いが消えることはない。

菅首相は政権発足1年を1週間後に控えた9日の会見で次のように振り返った。

「すべてをやり切るには、1年はあまりにも短い時間でありましたが、子どもや若者、国民の皆さんが、安心と希望を持てる未来のために道筋を示すことができたのではないか、このように思っております。内閣総理大臣として、最後の日まで全身全霊を傾けて、職務に全力で取り組んでまいります」

表に出て「アピール」することよりも「結果」を出せば必ず国民は理解してくれる、それが菅首相の信条の一つだった。その思いはなかなか理解されなかったというのが現実だったが、菅首相にはどうしても「結果」を出さなければ、と一貫して強い決意で臨んできた政策があった。それは拉致問題の解決に向けた道筋をつけることだった。

拉致現場を訪問、異例の訪米

2018年
2018年

2018年、官房長官だった菅首相は拉致問題担当相を兼務した。同年11月には被害者の1人横田めぐみさんが拉致された現場に足を運び「41年間の歳月を想うと胸が張り裂ける思い」と語り「さまざまなルートで突破口を作るよう努力する」と決意を述べた。視察の様子は報道陣には公開されなかったが、関係者によると、拉致現場を訪れた菅長官(当時)は多くを語らず、じっと考え込んでいる様子だったという。

その翌年の5月、内政に軸足を置き危機管理を担う官房長官としては異例とも言える訪米を果たし、ペンス副大統領(当時)と会談に臨んだ。ここで最大のテーマとなったのが北朝鮮情勢であり、会談では拉致問題についても取り上げられた。自ら米国の協力と支援を確保し、「突破口」を切り開こうという意志の表れでもあった。

2019年5月・菅-ペンス会談 在米国日本大使館撮影
2019年5月・菅-ペンス会談 在米国日本大使館撮影

「必ず行く」 極秘裏に計画された訪中計画

さらに菅氏は、訪米で確認した日米協力を梃子にして拉致問題を進展させようとの決意のもと、翌年の2020年の夏ごろを目処に中国を訪問し、拉致問題解決の進展に向けた協力を習近平指導部に直接働きかける計画を温めていた。当時、周辺に対し「必ず行く」との意気込みを語っていた。

しかし、極秘裏に検討されたこの訪中計画は、新型コロナの感染拡大により実現することはなかった。それでも、この強い決意は、首相に就任した後も変わらなかった。

「いずれは平壌に行かないといけない」 訪朝も射程に

菅首相は、就任直後の米国や中国、ロシアなどの首脳との電話会談、ベトナムとインドネシアへの訪問、今年4月の日米首脳会談や6月のG7=主要7ヵ国首脳会議などのあらゆる場面で、「拉致問題の早期解決に向けて協力してほしい。自分も金正恩総書記とは条件をつけずに直接向き合う決意だ」と訴えてきた。そして首相として2期目になれば、自ら中国を訪問し、さらには、北朝鮮訪問の可能性も射程に入ってくると考えていた。首相周辺によると「いずれは(自ら平壌に)行かないといけない」と静かに語っていたという。

 
 

新総裁も拉致問題解決に全力を

政権発足1年を翌日に控えた15日、北朝鮮は2発の弾道ミサイルを発射した。菅首相は記者団に対し「弾道ミサイル発射は我が国と地域の平和と安全を脅かすものであり、言語道断」と語ったが、その胸中は拉致問題解決への道筋すらつけられなかったことについて忸怩たる思いが去来していたに違いない。

官房長官時代、北朝鮮のミサイル対応のため官邸内を走る姿は「菅ダッシュ」と呼ばれ、話題になった。菅首相にとって、拉致問題を含む北朝鮮をめぐる諸課題を解決するには、1年という時間はあまりにも短すぎた。

2017年7月
2017年7月

29日には新しい総裁が選出される。後継となるリーダーにも、拉致問題解決に向けた思いを引き継ぎ、解決のために全力で取り組むことが求められている。

(フジテレビ政治部 千田淳一)

千田淳一
千田淳一

FNNワシントン支局長。
1974年岩手県生まれ。福島テレビ・報道番組キャスター、県政キャップ、編集長を務めた。東日本大震災の発災後には、福島第一原発事故の現地取材・報道を指揮する。
フジテレビ入社後には熊本地震を現地取材したほか、報道局政治部への配属以降は、菅官房長官担当を始め、首相官邸、自民党担当、野党キャップなどを担当する。
記者歴は25年。2022年からワシントン支局長。現在は2024年米国大統領選挙に向けた取材や、中国の影響力が強まる国際社会情勢の分析や、安全保障政策などをフィールドワークにしている。