終戦から76年。15歳で旧日本陸軍・新田原飛行場に入隊し、空襲を経験した宮崎・新富町の92歳の男性が、憧れの人を奪って終わりを迎えた戦争について語った。

15歳で入隊 悪化する戦況

手作りの絵本「15才のぼく ~伊藤少年の戦争体験~」(提供:手作り絵本サークル「そらつくどん」)。

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“富田村に帰ったぼくは陸軍 新田原飛行場に伝令として入隊した”
「15才のぼく ~伊藤少年の戦争体験~」より

新富町に住む伊藤安夫さんは、昭和4年8月10日生まれの92歳だ。

伊藤さんは、地元の富田国民学校高等科を卒業し、昭和19年6月、15歳の時に旧日本陸軍・新田原飛行場の輸送部隊に軍属として入隊した。当時、飛行場の中で一番若い隊員だった。

伊藤安夫さん:
声がかかる。「伊藤こっちに出てこい!」とか、「飛行場本部にこの手紙を持っていけ」とか、その手紙を持って走る。とにかく使い走り。飛行場は広いので、自転車でずっと。かわいがってもらいました。生き生きしておりました

伊藤さんの入隊当初は、敵の飛行機を見かけることはなかったという。
しかし、戦況は日を追うごとに悪化。昭和20年が明けると、頻繁に空襲への警戒警報が聞かれるようになっていった。

提供:豊の国宇佐市塾

伊藤安夫さん:
(昭和20年)3月17日には、夕方に部隊の放送で「あすは、いよいよ本物が来る。心してかかれ」と、「今までと違う」と念押しの放送がありました。好奇心がいっぱいだった。帰って、親に期待を込めた説明をした

落ちた機体に駆け寄り…「鬼同士の心境」

そして昭和20年3月18日、アメリカ軍が新田原飛行場を攻撃した。

伊藤安夫さん:
騒然たるものだった。5機か6機くらい編隊で来て、上から急降下で、ばーっと地上に落ちるような感じで

伊藤安夫さん:
あちこちに油類やガソリンがありますからね。それが炎上する。それはすごいもんですわ。生きて母親に会えるという気持ちはなかったです

アメリカ機44機に対し、新田原飛行場の戦闘機はたった2機だった。
早朝から夕方まで止まず、続いたアメリカ軍の攻撃に、伊藤さんは飛行場内の防空壕(ごう)に身を潜めることしかできなかった。

“みんな狂ったように落ちた機体に駆け寄って、アメリカ兵の遺体を引きずり出した”
「15才のぼく ~伊藤少年の戦争体験~」より

伊藤安夫さん:
竹の棒でつついてですよ。お互いに鬼同士の心境だった

笑顔で出撃していった憧れの人

そしてこの日、伊藤さんが一生忘れることのできない出来事が起こった。
操縦士のトップ・金親総一郎大尉(当時30歳前後)が戦闘機へ乗り込み、迎撃へ向かったのだ。

伊藤安夫さん:
航空兵の服装というのは、素晴らしい魅力がありました。少年の私からすると、天にも昇るような人だった

伊藤安夫さん:
台湾に行って「何月何日の何時ごろ帰ってくるから」と、そういう約束をして。帰ってきたら土産がいっぱいですよ。砂糖とかバナナが多かった。(金親大尉は)私の憧れの人だった

“見るからに頼もしい若い大尉は「行ってきます」と笑顔で出撃していった”
“でも大尉が乗った戦闘機はアメリカ機に撃ち落とされ、炎に包まれた”

「15才のぼく ~伊藤少年の戦争体験~」より

金親大尉の戦闘機が墜落した場所で、伊藤さんが当時の状況を語った。

伊藤安夫さん:
あそこのすみっこですよ、落ちたのが。消火にあたったけど、近寄れんかったですわ。燃えるの見とるだけですわ。戦争のむごさというのは、本当に忘れられませんわ

当時の思いを語る伊藤安夫さん

伊藤さんにとっての戦争は、憧れの人を奪い、76年たっても忘れられない心の傷を残して終わりを迎えた。

(テレビ宮崎)

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