高次脳機能障害を患いながらも、障害と向き合いながら前向きに生活する一人の男性を取材しました。男性の支えとなっていたのは、あるスポーツと、家族の存在でした。
平日の夕方。宮崎市内のグラウンドを軽快に走るのは、県企業局の職員、中原諒也さん36歳です。週に3日、平日や休日に1日3時間ほどの練習に励んでいます。中原さんが走り始めたのは、ある病気を患ったことがきっかけでした。
(中原諒也さん)
「突然意識を失って、気付いたら病院にいたという形なので、私よりも両親の方がきつかったのではないかなと」
10年前、当時東京の大学に通っていた中原さん。就職活動中に突然倒れ、救急搬送されました。診断されたのは、悪性脳腫瘍の一つ、「膠芽腫」。右の前頭葉を全摘する大手術を受けました。
(父・中原洋一さん)
「最初は8時間くらいかかる大手術だといわれたが、2時間少しで先生が手術室から出てきて、妻と一緒に「ダメかな」と思って」
(父・中原洋一さん)
「当時は、諒也の自暴自棄をどう消化させるのか、どう向き合わせるのかというのが大変でしたね。ずっと泣いていましたね。夫婦で。」
手術後も放射線や抗がん剤の治療が続き、気持ちがふさぐ日々が続いたという中原さん。そんな時、気分転換を兼ねたリハビリとして始めたのがランニングでした。
(中原諒也さん)
「5年以内の生存率がほぼ0%だろうと主治医から言われて、生きていることが奇跡なんだなと思ったときに、父が当時、県庁陸上部でマラソンを一生懸命頑張っていたので、わたしも始めてみようかなと思ったのがきっかけです。」
ランニングを始めてわずか1年で挑戦したマラソンでは、3時間を切る脅威的なタイムで完走しました。しかし2020年11月、右の前頭葉を摘出したことによる障害が判明しました。
(中原諒也さん)
「一見すると外見とかは皆さんと変わらないが、人よりも疲れやすかったり新しいことを覚えづらかったり」
そうした中でも、中原さんは立ち止まることなくマラソンを続け、去年の別府大分毎日マラソンでは自己記録を更新するなど、成長を見せています。
そんな中原さん、普段は県企業局の工務管理課で働いています。
(中原諒也さん)
「毎月、発電所のインターネットの利用料やパソコンの月々の支払いの処理をしています。」
(中原諒也さん)
「午後3時くらいになってくると事務処理のスピードが落ちてくるなという所で、意識的に一回くらい席を立ったりとかストレッチをしてみたりするようにして、気分転換して」
(宮崎県企業局 技監兼工務管理課 山元孝訓課長)
「(仕事ぶりを見て)頑張っているなという感じに思っています。午後になってくるときついとかあるみたいなので、なるだけ休むようにとか話はしています」
(中原諒也さん)
「(職場の人は)自分のことを障がい者ではなく、一人の県の職員としてみて頂けるので、すごくそこは感謝しています。」
仕事にも、マラソンにも、障害と向き合いながら前向きに取り組む中原さん。その実力は県庁陸上部のメンバーからも一目置かれています。
(県庁の陸上仲間)
「レベルが違うといったらあれだけど、フォームの足の運びもきれいで、尊敬ですね。」
そして、中原さんの姿を誰よりも近くで見守る家族がいます。
(父・洋一さん)
「まさか2時間30分を切るところまで来るとは思わなかったので、練習次第では、まだいくのはないかなと期待を持ちながら、応援しているところです」
(中原諒也さん)
「今までもこれからもずっと自分を支えてくれる存在なので、本当にありがとうという思いでいっぱい」
中原さんの目標は、3年以内に「福岡国際マラソン」に出場して自己ベストを更新することです。
Q諒也さんにとって走ることとは?
「私は脳腫瘍の手術をしてからランニングを始めたが、自分の生きがいであったり、走ることが一つの自己表現かなと思っています」
支えてくれる家族や仲間とともに。諒也さんはこれからも、自分らしく走り続けます。
