継続的にお伝えしている「語り継ぐ戦争の記憶」。
太平洋戦争末期、七ヶ宿町の「不忘山」にアメリカ軍の爆撃機が墜落しました。山には、亡くなった兵士たちを悼む石碑があります。険しい道のりを進み、犠牲者を追悼する慰霊登山に同行しました。
宮城県と山形県にまたがる蔵王連峰。その最も南に位置するのが、標高1705mの「不忘山」です。
今から81年前、この山にアメリカ軍の爆撃機B293機が相次いで墜落し、乗っていた兵士34人、全員が亡くなりました。皆10代から20代の若者です。
墜落したのは1945年3月10日。東京大空襲があった日です。東京から離れたこの場所に3機はなぜ向かったのか、そしてなぜ墜落したのか、詳しい原因は分かっていません。
10月、亡くなった兵士をしのぶ慰霊登山が行われ、取材班が同行しました。
この日登山したのは古山敏彦さん(69)と、志村正光さん(70)。志村さんは地元の山岳遭難救助隊の元隊長。古山さんは、この墜落事故の慰霊祭を行なう不忘平和記念公園の職員です。
不忘平和記念公園 古山敏彦事務局長
「昨年、慰霊登山に挑戦したが、悪天候のため行けなかったので一年越しの慰霊登山」
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「(亡くなった人の)冥福を祈り、きょうは歩きたい」
まず目指したのは、最後の1機が墜落した地点。不忘山の西側に位置します。しかし、現場は登山道から大きく外れていて、今では、たどり着くことさえ難しい場所です。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「5~7mくらいの樹林帯の中、なおかつ足元は笹が生えているので、部分的にはかき分けていくような場所になっている。離れないで着いてきていただければ」
これまで報道関係者が立ち入ったことがないという場所。志村さんもその場所を訪れるのは11年ぶりだそうです。
行く手には、人の背丈を超える深い藪が立ちはだかります。
登山道を外れて進むこと、およそ2時間。志村さんの足が止まりました。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「戻った方がいい、戻った方が間違いない」
記者リポート
「いま藪の中を2時間ほど歩いてきたが、かなり道が険しいのとこれ以上続けるのは危険ということで断念することにしました」
志村さんは、11年前、石碑を建てるために墜落地点を訪れたということですが、温暖化の影響か、草木はより一層生い茂り、道のりは、想像以上に険しくなっていました。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「その方が安全かなと思う。ここまででもかなり疲れていると思うから」
安全を優先して登山道に引き返し、2機目の墜落地点を目指します。
山頂が近づくにつれて、登山道には岩がむき出しになった険しい場所も。取材班も一歩ずつ足を進め、およそ2時間で2機目の墜落地点が見えてきました。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「南からこちらに飛んできて、あの辺に衝突して墜落した」
資料などによると、機体が激突したのは岩場の急斜面。機体の破片は、広い範囲に散乱したようです。志村さんは、現場で拾ったという破片を保管しています。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「たぶんこれが機体と積んでいた焼夷弾ですね」
機体の一部とみられる破片は大きくひしゃげていました。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「走っていたらドンとぶつかってしまったような衝撃。飛行機も人も突然のことだった(と推測される)」
2機目の兵士をしのぶ石碑は、墜落地点を望む山頂付近にあります。
兵士の遺族が自ら演奏し録音したというアメリカ国歌。亡くなった兵士に聞かせてほしいと託されたそうです。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「グアムやサイパンなど、遠くから飛んできたわけです。もちろん、ここで死ぬわけではなく、戻っていくつもりで来たと思う。死んでも死にきれない気持ちを少しでも和らげて静かに眠っていただければ」
この日は、山の中腹にある最初に機体が墜落した地点でも追悼を行い、慰霊登山を終えました。
元・白石支部山岳遭難救助隊長 志村正光さん
「戦争があった。外国の方が亡くなった。この二つは記憶にとどめていただきたいという気持ちが強いですね。ここを通るときに見た人にも、そういう思いを感じてもらえたら」
不忘山のふもとにある不忘平和記念公園では、戦後70年の2015年から毎年、慰霊祭が行われています。
戦争の憎しみを越えた友情と平和の象徴として、日米の関係者などが参加しています。
戦後81年、戦争の記憶を忘れぬよう。「不忘山」という名に、その思いを重ねます。
