12日に引退を表明したウエイトリフティングの富山市出身・村上英士朗選手。
日の丸を背負って様々な世界の舞台に挑み続けてきましたが、青森県で開かれている国民スポーツ大会を最後に引退しました。
競技人生18年間の集大成「タンク村上」のラストゲームを取材してきました。
Qけさの気分は?
*村上英士朗選手
「すっきりと目覚めました」
12日、これまでとは違い柔らかな表情で会場入りした村上英士朗選手。この試合に覚悟を持って臨んでいました。
*村上英士朗選手
「挑戦できることは全部やり切った。思い残すこともないし引退しても良いのではと」
2009年(当時:中学2年生)
*村上英士朗選手
「夢はオリンピック」
中学1年生の冬、父の勧めで出会ったウエイトリフティング。強豪の滑川高校で才能が開花しました。
これまで挑んできたのは体重109キロ以上の選手が集う「最重量級」。“世界一の力持ち”を目指して各国の屈強な選手たちに挑み続けてきました。
2019年にはワールドカップで優勝。
しかし…
*自宅で観戦する両親
「いけ!英士朗!」
*父・幸史さん
「クソ―!」
計り知れないプレッシャーと相次ぐケガ…。それでも村上選手が更新した日本記録は16回。
おととし、ついに夢の舞台の切符を掴みます。
*パリ五輪実況
「持ち上げた!安定しています再び大きな声があがりました村上英士朗!」
*村上英士朗選手
「楽しいっすね!会場が一体となった感じで。次はメダルを取りたい」
オリンピックでのメダルにこだわり、この2年、1つ下の階級で戦ってきました。
体重を45キロ減量しましたが…。
*村上英士朗選手
「自分が選んだ挑戦なのに、めちゃくちゃきつくてパリ予選よりしんどかった。記録が落ちていくことに耐えられなかった。ケガをしてでもオリンピックに出場したいと命がけで戦ってきたのでそこに悔いはない。今はボロボロになったけれどそれも自分の選択だったので」
その村上選手を支えてきたのが滑川高校の後輩で、妻の里佳子さんです。
*妻・里佳子さん
「日本記録取れる未来見えそう?」
*村上選手
「ちょっと、今見えてない。取りたい気持ちで練習している。昔の俺だったらもっと強気で言っていたかも」
*妻・里佳子さん
「なんでそんな負け腰なん?」
*村上選手
「負け腰かも」
*妻・里佳子さん
「(引退を聞いて)『そっか!まあ良いんじゃない』みたいな感じで。ユニフォームを着て戦っている姿が見られないのは寂しいけれど、もうやり切ったと思います。ちょっと泣けてきた。悲しいかもね」
*村上選手
「悲しいの?」
*妻・里佳子さん
「あなたも悲しくなってきた?」
*村上選手
「悲しくない」
そして、12日に迎えた村上選手の引退試合。原点に立ち返り「最重量級」で出場しました。
バーベルを一息で持ち上げるスナッチ。自己ベストは192キロ、1回目に選んだ重さは141キロです。
*家族
「行けるよー!頑張れ!」
*妻・里佳子さん
「重い…」
*母・直江さん
「なんかちょっとハラハラするね」
*妻・里佳子さん
「良かったね和可奈ちゃん。初めて見たねパパの試合」
5月の全日本選手権では1本しか成功できなかったスナッチ、3本全て成功させます。
*妻・里佳子さん
「一番良いんじゃない!」
*母・直江さん
「最後のスナッチって言うから…」
*父・幸史さん
「見てて気持ちが伝わってくる。6本きっちり取って終わってもらいたい」
*妻・里佳子さん
「(最近は)自信なさそうに見えていたけどきょうは『やり切ってやるぞ』という表情が見え、誇らしい」
そして2段階で持ち上げるクリーン&ジャーク。自身が235キロの日本記録を持つ種目です。
1本1本かみしめるようにバーベルと向き合います。
*村上選手
「根本はウエイトリフティングが好きで楽しくてやってきた。好きだったからずっと続けて来られた。自信を持って今までの村上らしく気合いを入れて勝ちにいく気持ちで」
そして…
*妻・里佳子さん
「泣いてない…?ラストがんばれー!」
*父・幸史さん
「英士朗いけー!」
*村上選手
「ありがとうございました!」
*父・幸史さん
「英士朗お疲れ様!」
*妻・里佳子さん
「最後に泣きながら入ってくるのを見てしまうともらい泣きしてしまいました。引退するのにすごく覚悟が必要だったのかな。色んなことを思いながら上げた1本だったのかな」
*村上選手
「すごくやり切った気持ちでいっぱい。最後まで楽しんでウエイトできたので良かった」
Q楽しめましたか?
「楽しめました。人生の半分以上バーベルに捧げてきました本当に自分がやれる限界までやりきったと思うのですごく良い(競技)人生でした。国際大会まで応援しに来てくれて力になってくれた家族に本当に感謝しています」
富山から世界へ。常に自分の限界を超えようと挑んできた村上選手。18年間の現役生活に幕を下ろしました。
村上選手はウエイトリフティングの魅力を伝えようと選手の活動と並行して地元に専用のジムを立ち上げたり、大学院に通ってスポーツ化学を研究したりしてきました。
ウエイトリフティングの話をするときに、少年のように目を輝かせる姿が印象的でした。
今後は所属企業で働きながら、将来的には富山からオリンピアンを輩出できるようにと指導者の道も志しています。
家族とともに挑み続けた18年、本当にお疲れ様でした。
