とっぷりと陽が暮れてからも小気味良い太鼓と笛の音が山と海に囲まれた小さな町の神社にこだまする。むしろ夜の方が独特の雰囲気が醸し出され、ちょっとした恍惚感に包まれる。
岩手県大槌町で毎年恒例の「大槌祭り」が5連休と重なる週末、18日から20日にかけて開かれた。
東日本大震災をきっかけにご縁が出来たこの地に今も津波警報や山林火災などが続く現実を思うと、何故か今年の祭りを見たいという衝動に駆られた。前回大槌祭りを見たのはちょうど10年前だった。
虎舞、鹿子踊、人々の熱
役場のすぐ近く、小鎚神社では虎が舞い、鹿子(しし)が踊り、小さな七福神が跳ね、太鼓や笛の音、勇猛なかけ声がリズムを刻む。演じる者も観る者も、非日常を通り越した宴に酔いしれる。
地区にあるそれぞれの神社や施設で、歴史ある演目がいくつも披露され、奉納される。五穀豊穣や商売繁盛、家内安全などの祈願に加えて、大槌に伝わる伝統と人々の情熱が体現されるひとときだ。
小鎚神社での「宵宮(よみや)」は19日夕方に始まり、お開きになったのが午後9時過ぎ。文字通りの「熱い夜」だった。
翌日は朝から神社の神輿や山車が街中を巡った。
人々の要望に応じて各団体が民家も含めた各所で舞いや踊りを披露するのが慣例だ。朝から酒を飲む解放感も手伝ってか、各演目の太鼓や笛の音は時に交じり合い、混沌とした空気を演出する。
神輿と山車の列が一般車両より優先され、堂々と闊歩する様子はなかなか爽快だ。
夕方には神輿を担いだ人たちが川に入り興奮は最高潮に達する。当日は朝から雨模様だったが意に介する人は皆無だったろう。
「宵宮」の合間に、毎回お世話になっている方のところで夕飯をごちそうになった。海産物の販売を生業にしていて、震災以降のお付き合いだ。
食事の場所は商品を仕込む作業場で、敷かれたビニールシートと毛布の上に座って食べた豚汁とちらし寿司が美味だった。
傍らには震災の直前に生まれた高校生が座り、おじさん連中の下世話な話に耳を傾けて時折笑っている。駅近くのスナックのママさんもいて、店に伺った時のことを覚えていてくれた。
地域の人たちが集って食事をする機会は震災の直後にもあった。東京ではないだろう地域の繋がりの深さを、大槌に来るたびに実感する。
過疎が進む街に明るい兆しも
今回、古くからの友人とこの祭りでばったり再会した。以前も大槌で会ったのだが、彼は震災をきっかけに大槌に定期的に通っているという。大槌祭りの感想を聞くと「以前よりも参加者はわずかながら増えている感じがする」という。
大槌に限らず、東日本大震災の被災地は人口減少の問題が深刻だが、「ボランティアや各種支援で来た人が祭りに参加し、その人がまた人を連れてくる」という動きが見られるそうだ。
現地で新しく仕事を始める若い人もいて、人口は減りながらも先に繋がる可能性があるという。街の整備が進んで日常が戻ってはいるが、人や建物はここ数年増える様子は見受けられない。過疎が進む街に少しずつでも改善の兆しがあるなら、その芽を大切に育ててほしい。
ゴツゴツとした濃密さ漂う人間関係
2日弱の滞在だったが祭りの最中も、食事の時も、スマホを操作する人の姿はほとんど見かけなかった。
祭りに没頭していることもあれば、直接触れ合える独特の雰囲気が人と人の距離を近くする効果もあったのだろう。「久しぶり!」「元気だった?」という声をいたるところで聞いた。
同級生や友人、家族や親せきといった関係が間近にある。距離が近いが故の煩わしさや息苦しさもあるだろうが、みな素直に笑い、飲み、語り、祭りを堪能していた。
2024年に亡くなった知り合いの自宅前では彼の同級生が音頭を取って鹿子が踊った。
大槌祭りの現場には文字や映像では伝えきれない空気や熱、祭りを根っから楽しむ人たちの心がそこかしこに充満していた気がする。
地元の方に聞くと「昔は祭りの準備を優先して事前に会社を休みにしたりしていた。今はそれほどでもない」との声も聞かれたが、そのゴツゴツとした、機械やAIでは計りきれない濃密な人間臭さがそこにあった。
東京から約6時間かけて向かうその道のりと時間は決して無駄ではないと改めて感じた。


