中国共産党が行う政治の本質は「統治する」だろう。平たく言えば「治める」だが、実際に中国で生活した筆者の経験を踏まえて言えば「管理する」に近い気がする。
社会のルールや規則を当局が決め、国民はその中で生活する。その管理を超えようとするものは徹底的に押さえつけ、ルールの枠の中に収めるのがそのやり方だ。人々はその枠の中での自由を享受する。
米中首脳会談での主要な議題のひとつだったAIについても、中国の習近平国家主席は管理する必要性を強調した。
未知の可能性を秘める一方、その暴走に懸念も指摘されるAIは中国にとってアメリカに対抗する切り札になるのか。あるいはその管理を超える脅威となってしまうのか。
中国にとってAIは“諸刃の剣”
9月の米中首脳会談が終わってまもなく「米中の一番の焦点はAIだ」という話をある外交筋から聞いた。合わせて「AIは中国にとって、より脅威になるのではないか」という見方も。
仮にAIが暴走した場合、ダメージが大きいのはアメリカではなく中国の方ではないかという趣旨だった。
米中首脳会談で、アメリカは「規制は不要(自主規制)」だという考えの一方、中国は「人の管理は必要だ」との立場で真っ向から対立している。
確かに経済、軍事、その他あらゆる分野で社会を一変させる可能性を持つAIは世界をリードする有効なカードの一つになりうるだろう。
だが、徹底した管理体制を敷いてきた中国共産党にとって、AIの暴走により機密の漏洩や暴露が生じれば、漏洩そのものによるダメージだけでなく、統治の正当性そのものが問われる事態になりかねない。中国共産党にとっては諸刃の剣になりうる話だ。
ウイルスを管理しようとした過去
中国の「管理政策」として記憶に新しいのが新型コロナウイルスだ。ゼロコロナ政策によってウイルスそのものを管理しようとした。
当時、海外から入国する人は3週間から4週間の隔離生活が義務付けられ、部屋から一歩も外に出られない。
毎日のPCR検査はもとより、血液や便の採取まで実施され、およそ人としての扱いは受けなかった。隔離が明けて社会生活に合流しても検査や厳しい行動制限は続いた。感染者が出た場所は封鎖され、地域全体が隔離(ロックダウン)される所も出た。
当初は完璧とみられる防疫体制を敷いた中国当局だったが、感染力の強いオミクロン株の登場と共にゼロコロナ政策は行き詰まった。
各所で発生する感染者に対応しきれなくなり、結局なし崩し的に解除されたのが実態だ。
当局はコロナウイルスに対する勝利を宣言したが、極端に自由を制限された市民は一部に不満が溜まり、白紙を掲げる抗議行動(白紙革命)が北京の中心部で行われた。人の行き来がなくなった影響で国内経済は悪化し、国内で連日課されたPCR検査は膨大な財政負担になったとされる。

「中国に入ってきた飛行機の機体も消毒の対象になっていた」(外交筋)という他に類を見ない政策は、当時を中国で過ごした人たちにとってはいまだに「酒飲み話」のネタになっている。
一連の政策を総括しようにも共産党の宣伝機関であるメディアからは、その瑕疵や反省、改善点などはおよそ出てこない。当局にとって都合の悪い真実は報じられず、「なかったこと」にされるのが常だ。
ちなみにゼロコロナ政策の突然の終焉を受け、直後の中国の旧正月「春節」は各所に多くの人出があり賑わった。政治と切り離された一般の市民は政府への不満より、解放された自由を存分に味わい、楽しんでいた。日本との国民性の違いをまざまざと見せつけられた瞬間でもある。
国民を管理する必要性と合理性
だからこそ中国は、都合の悪い真実を明らかにする恐れのあるAIを「管理する」必要がある。
AIによる意図しない侵入や暴走、関連企業の懸念や開発減速の提案は、中国にとっては当然他人事ではないはずだ。実は、中国が「管理する」ことには必要性、合理性もある。広大な国土に広がる14億人もの国民の権利や自由をまとめることは困難だからだ。
中国に住む知り合いから先日、「14億人もの中国人を(日本の)自民党で治められると思うか」と聞かれた。答えに窮してしまったが「中国を治めるには力しかない」という彼の言葉には善し悪しとは別の、一定の説得力があった。
管理の象徴でもある監視カメラは、犯罪の抑止力にもなっていて「今や店に荷物や携帯電話を置いて離れても盗られることはない。カメラに収められていることを誰もがわかっているからだ」(同)という。
監視カメラは「見張られている」のではなく「安全が守られている」と解釈している中国人も少なくないだろう。「当局は安全を守るという側面を強調して統治にうまく利用している」(同)。
安全か発展か
そんな中国のAIへの向き合いを表す話がある。
「中国でAIを管轄する主要な部署は安全部門」(外務省筋)だというのだ。AIを開発するのは社会を発展させるためではなく、国家の安全を守るための「手段」だという。
「AIは人類のためのものだが、中国にとっては共産党のためのもの」(別の外務省筋)であるなら、AIの捉え方そのものがアメリカや日本とは異なる。
また、治めることを意味する「ガバナンス」は中国語で「治理」というが、「実際の意味はより『管理』に近い」(同)という。「AIをコントロールするというより、AIによって管理する、に近いのではないか」(同)との見方も聞かれた。
ちなみに中国が政策上の正しさ、正当性ばかりを主張するのは共産党に代わる政権政党がないからでもある。
「最もアナーキー(無政府)な人たち」(外交筋)たる14億もの中国人に対する政府の力が弱まり、共産党の正当性が揺らげば、国内が混乱する可能性が高まってしまう。
日本では「権力を抑制的に使う」という言葉を聞くが、中国は持つ者と持たざる者の違いは明確で、警察などが持つ権力、権限は日本のそれよりはるかに大きい。
メディアの批判もなく、世論調査に基づく国民の関心や不満がわからないままの政権運営はリスクと隣り合わせでもあり、統治に力を使うのは合理的で不可欠だという側面もある。
管理する、言い方を変えれば市民生活を守るための監視は、中国共産党の正当性を維持するための大事なツールでもあるのだろう。
AIは今後の米中関係に影響する重要なテーマのひとつでもあり、人が管理下に置き、日々の生活や安全を確保出来るかが問われる問題でもある。
人類の未来を左右すると言ってもいいAIについて「日本が関与する余地がなく、米中に水をあけられた」(外務省筋)との声が聞かれた。
激しい競争を続ける米中両国を前に、日本はただ黙って見守るしかないのか。存在感を示す時が来てほしいという希望と、そう簡単ではないという諦観と若干の寂しさを感じた。

