災害関連死を含む77人が犠牲となった12年前の広島土砂災害ですが、現在では災害の風化も課題となっています。
発災当日の取材映像から住民たちの証言を振り返ります。
《視聴者撮影》
「やばいよ。もう、危ない危ない」
「もう家から出れん。もう死ぬのを待つしかないくらい。もう玄関開けられんのじゃけ」
【ヘリリポート】
「5カ所もしくは6カ所くらい山肌が削り取られるような形で一つの街が山からの土砂によって被災している状況です」
広島市安佐南区と安佐北区の107カ所で「土石流」、59カ所で「がけ崩れ」が発生した12年前の災害…
【被災者】
「結構いきなりきたんだよね土砂が…。夫が外に出て見に行って危ないよといったらすぐダーッときた。こどもと犬と…財布とか携帯とか何も持てずに逃げろと言われたときにはもう必死で…」
【被災者】
「ドドーンと聞こえて飛び起きて妻と飛んで逃げた。こんな石が来ているんだから寝ていたら…危機一髪」
【被災者】
Q:民生委員とか行政の連絡間に合わないくらい?
「間に合わないくらいひどかった。早かった」
【被災者】
「よく土石流で被害があってテレビでよく放送しているが、実際に体験したら…あっという間じゃね」
発災当日、被災者の多くが口にした「あっという間」の瞬間…
【被災者】
「最初山の方が怪しいなと思い始めたのは2時半くらい。たぶん土が流れ始めたのが45分か40分くらい。最終的に(土石流が)襲ってきたのが3時ジャストくらいですね。
(車で避難するために)最初エンジンかけて進もうと思ったが、屋根の上から土砂が覆いかぶさってきてあっという間に腰まで。中には水がたっぷり入っていたのでその水圧でドアを閉めることができなくて…2時半くらいから異変には気づいていたので、様子をみようと家の中で起きていたが、逃げようと思った時には時すでに遅し。
あとは家を流されたらおしまいという覚悟で…初めてなので対応・処置が遅れたなというのが、今回教訓になった」
【若木記者】
「住宅に続く道が続いているが、道路も川のような状態になっています」
【被災者】
「洋服がかかっているのが和室でおじいじゃんおばあちゃんが寝ていた。この部屋で私、こども孫3人の5人が寝ていて、上で夫が寝ていたが、そこのカーテンのところが廊下で停電していて暗かったが、懐中電灯で照らしたときに色がついたような水が入ってきていたのでおじいちゃんおばあちゃんにも逃げるよ!といって…」
前日の夜から雷とともに降った雨は、日付が変わった午前1時から4時までの就寝時間帯にさらに局地的な豪雨となり、人々の生活拠点を襲う引き金となりました。
【被災者】
「うちにも来るんだなというのが率直な感想。どこにでも来るんだな。
午前2時半くらいに1回目の土砂崩れ、小規模だが家の裏にちょっとたまるくらい崩れてきて、それを見て避難をしはじめて、車を出すときに2回目が来た。
出し終わって近所の人が3回目きたと。
風呂場の壁を突き破って脱衣所の壁も破れている感じですね」
そして、特に大きな被害が出た安佐南区八木地区の住民は当時…
【被災者】
「この八木はほとんどこれまで雨には縁がなかった。阿武山があって阿武山が抑えてその裏がやられていた。大丈夫だろうと思っていたが、なんと今回は想像を絶するような降り方だった」
【東條記者】
「ご覧のように足元すごい濁流になっています。3m以上あるでしょうか。大きな岩がここまで押し流されています」
【被災者】
Q:ここは川ではない?
「じゃない。道路が下からあって、両側には家があった。何もなくなってしまった」
【被災者】
「細い山水がちょろちょろ出てくるところからあんな大きな川ができるとは思わなかった」
忘れてはいけないあの日の教訓…。
1人1人が胸に刻み平時の防災意識と早めの避難行動が命を守るカギを握ります。
