今シーズン限りでの現役引退を表明した千葉ロッテマリーンズの角中勝也選手。独立リーグからプロ入りし、2度の首位打者に輝くなど球界を代表するヒットメーカーとして20年間活躍した。その輝かしいキャリアの原点は、ふるさと・七尾市での父・稔さんとの二人三脚の日々にあった。引退を告げられた父が今、息子に直接伝えたい思いを取材した。

引退ロッテ角中を育てた父との“365日練習”

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2026年7月、千葉ロッテマリーンズの角中勝也選手が、20年にわたるプロ野球人生に幕を閉じることを発表した。石川県七尾市田鶴浜出身の角中選手は、高校卒業後に独立リーグへ入団。その翌年の2006年、ドラフト7巡目で千葉ロッテマリーンズに指名され、プロの世界へ足を踏み入れた。

入団6年目の2012年にはヒットを量産し、独立リーグ出身者として史上初となる首位打者のタイトルを獲得。翌2013年にはWBC日本代表に選出され、2016年には再び首位打者と最多安打の二冠に輝くなど、球界を代表するヒットメーカーへと成長を遂げた。

「歯磨きより野球」父と二人三脚の原点

角中選手の実家
角中選手の実家

その角中選手の原点は、父・稔さんと二人三脚で練習に励んだ七尾・田鶴浜町の実家にあった。自宅の工場を改装した練習場で、角中選手が5歳の頃から365日、一日も欠かさず親子での練習が続けられたという。

稔さんは当時を「ここで必死に構えていました。インコースへどんどん120キロのストレートを入れて。インコースを攻められても腰を引かない、逃げない。小学校のときもそれやりましたし」と振り返る。その思いはただ一つ、「息子をプロ野球選手にしたい、その一念やね」

稔さんは「勝也は小さいころから『この子、素質があるぞ』ってなんとなく感じるものがあった。これは真剣にやらないとだめだな」と感じ、学校から帰ってくる息子を必ず玄関の前で待っていたという。「本人は(自分を)嫌いだったと思いますよ」と稔さんは語る。

幼い頃の角中選手
幼い頃の角中選手

当の角中選手にとって、その日々は日常そのものだった。「ちっちゃい頃から野球をやるのが普通だったので、本当に歯磨きをやるような感じ。歯磨きより野球の方がしているかもしれないっていうくらいなので」と語るほど、野球は生活に深く染み込んでいた。

「自分の全部を懸けた」引退決断の一打席

しかし、輝かしいキャリアを重ねた角中選手も、ここ数年は出場試合数が減少。去年は27試合、今年はここまで9試合の出場に留まっていた。そして、引退を決断する直接のきっかけとなったのが、7月11日のオリックス戦だった。9回裏2アウト、ランナー3塁という一打サヨナラのチャンスで打席に立ったが、結果は空振り三振。

角中選手はその打席について「最後の球で、『これ当たらんか』と思って。自分の全部を懸けて(打席に)行ったつもりだったので、一番印象に残っています」と、万感の思いを口にした。

「よう頑張った」父子が交わした引退の電話

その夜、稔さんのもとに角中選手から引退を伝える電話がかかってきた。稔さんはその時の心境を「『いよいよ腹くくったか』って感じで。『長い間、よう頑張った』『ご苦労さん』の一言だけかけた」と明かす。

稔さんにとって、息子の試合をテレビで観戦するのが日々の幸せだった。「なんと親孝行な息子やなと思ってね。毎日、息子をテレビで見られるなんて幸せなこっちゃ。テレビ見とって血圧も上がったけど、やっぱり幸せやなと思って」

登場曲がかかると寝ていても目が覚め、画面から殺気を感じるほど食い入るように見つめていたという。しかし、引退を知ってからは「力が入らんわ。いつの間にか息子がおらんと思うとね。テレビを一応つけてみるけど、いつの間にか寝とるわ」と寂しさをのぞかせた。

「お父さんの子で良かったやろ」直接伝えたい思い

引退を発表してから、稔さんはまだ角中選手に会えていないという。次に会った時に、直接伝えたい言葉がある。

「『お父さんの子で良かったやろ』くらいに言おうかなと思ってるんやけどね」。そう語る稔さんの表情には、息子をプロ野球選手に育て上げた誇りと、深い愛情がにじんでいた。

角中選手と共にプレーした、元ロッテの岩下大輝投手は、その人柄について「年下に対しても壁を作らず、しゃべってくれるような方」と話し、プレーについては「ストイックなほうだと思います。練習時間もずっとマシンとバットで、バット振ってますし」と、その姿勢を称賛した。

父との二人三脚で培われたストイックさで、20年間の長きにわたりプロの世界で戦い抜いた角中選手。その野球人生は、今シーズン限りで幕を下ろす。

(石川テレビ・8月3日放送)

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