原爆の日を前にTSSライクでは「つたえるつなげる平和への一歩」と題して継承について考えます。
研修医でありながら被爆体験伝承者として活動する一人の女性の思いを取材しました。
【定時講話・井上さん】
「どの人もひどいやけどで皮膚がただれており顔で判断できません。11歳の子供にはあまりにつらく怖くてみていられませんでした」
県外から訪れた人たちに81年前の惨状を伝える一人の女性。
井上つぐみさん、26歳。
被爆体験伝承者として被爆者から託された平和への思いを語り続けています。
井上さんが伝えているのはいまは亡き被爆者、川本省三さんの証言。
川本さんは原爆が投下された3日後生き残った姉とともに疎開先の三次市から広島市内に入り被爆。
原爆で家族5人を亡くし「孤児」となりました。
【川本省三さん・被ばく証言】
「新聞がただ一つ。その頃の食べ物だった。新聞だよ。水と一緒に流していく。そして死んでいったんだよ。信じられる?本当にそうだった。やわらかいものがそれしかない。草も生えてないんだから。とにかくその新聞を取り合いっこして1000人近いこが死んでいった」
中学生の時に川本さんの被ばく証言を聞いた井上さん。
2019年、大学1年生のときに被爆体験伝承の研修に参加しました。
【井上つぐみさん】
「被爆者の方々の思いを途絶えさせたくない、語り継ぎたいという思いです」
本職は、実は、研修医。
産婦人科医を目指し現在は、東広島市の病院に勤めています。
当時のことを語れる被爆者が年々、減少するなか「その思いを途絶えさせたくない」と2年前から被爆体験伝承者として活動を始めました。
【井上つぐみさん】
「これを川本さんから受け継いだ平和へのバトンだと思っていて、川本さんと一緒に伝承講話をすることはできませんが、常に一緒に活動をしているという思いで伝承講話に臨んでいます」
川本さんが残した平和のバトンを手に、井上さんは先月、三次市に向かいました。
川本さんが疎開していた善徳寺です。
川本さんの第二の故郷。
井上さんがここを訪れるのは今回が3回目です。
【井上さんの講話】
「この原爆孤児というのは原爆で家族を亡くした子どもたちのことを指します」
「戦争を繰り返したくない」
「原爆孤児」の悲惨な人生に衝撃を受け被爆体験伝承者になることを決意した井上さん。川本さんが大切にしてきたこの寺で、当時の思い出を振り返ります。
【井上つぐみさん】
「よくきたのお!という風に私たちを受け入れてくださって大学の授業は大丈夫なんか試験はどうだったんかという風に(学業を)心配しつつも応援してくれていた」
コロナ禍で始まった研修。
しかし、3年がたったころ川本さんは体調を崩しました。
【井上つぐみさん】
「かなりつらくて、資料館の方からはいまは入院しているけど元気になられて退院されたらまた研修に参加したいというようなことを話していると伺っていたので」
そのまま川本さんは帰らぬ人となりました。
当時は、被爆者に直接原稿を確認してもらわなければ認定を受けられず「伝承者になれるのか」井上さんは不安にさいなまれたといいます。
【井上つぐみさん】
「学業を優先しないといけないという点もあるんですが、何を優先すべき、何が正しかったのかというのはいまでも悔いが残るところです。私としては川本さんの人生を語らせていただくので、伝承者としての認定をうけて責任をもって、人生を語らせていただきたいという思いがつよくあった」
その後、先輩伝承者の指導を受け、通常よりも長い5年の月日を経てついに被爆体験伝承者の認定を受けることができました。
いまでは資料館や学校、ときには国境を超えて被爆の惨状を語り継いでいます。
【井上さんの講話】
「行方不明のお父さんとお姉さんを探して救護所を歩き回りました。
しかしどの人もやけどで皮膚がただれており顔で判断できませんでした」
川本さんが疎開中、三次市でともに過ごしたという友人の中井治人さん。
この日、初めて川本さんが「原爆孤児」になった話を聞きました。
【川本さんの友人・中井治人さん(91)】
「学校でも一緒になってそしてこの寺に疎開してきてこられてたからそういう(親しい)関係で。住む場所は大人になって違うが、気持ちはやっぱり一緒だなと思った。きょう聞いたことは初めて聞いたことだったけえ、うれしかった、きょうは」
語り継がれていく川本さんの人生。
この日は、先輩伝承者で、川本さんの被爆体験を伝える細川文子さんも会場で見守っていました。
【先輩伝承者・細川文子さん】
「きょうも彼女の話を聞いていて川本さんが浮かぶんです。一緒に聞いているような感じがしてね。私は一期生から川本さんについていますけど、十何年前でも若い方はいらっしゃらなかった。ひょっこりあらわれた若い彼女に川本さんもずいぶん期待してくださってね」
【井上つぐみさん】
「川本さんの第二の家であってずっと大切にされてきた場所なので、きょうこうして川本さんの後を引き継いで伝承講話をさせていただいたことをとてもうれしく思う。もっと子供たちにわかりやすい工夫をしたりとか、いまの現状に満足せず、よりよい伝承講話ができるようにこれからも務めていきたい」
忘れてはいけないあの日の記憶。
被爆者川本さんの思いは今、井上さんを通して紡がれています。
