鉄道の魅力を熱くお伝えする野川キャスターの「てつたま」です。
あす8月6日広島は被爆81年を迎えます。
てつたまも特別編、被爆した鉄道施設を取材してきました。
JR貨物・広島車両所。
前身の施設が操業を始めたのは太平洋戦争真っただ中の1943年3月で、被爆から80年以上経過した現在も当時の建物が残っているといいます。
所長の山本さんに案内してもらいました。
【野川諭生キャスター】
「被爆建物があると伺ってきたんですけれども」
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長】
まさにこれが第1主棟で、昭和18年当時から建っていたところですので、被爆も経験している建物になるということです」
【JR貨物広島車両所 山本昌彦所長】
「機関車の全般検査をする場所になっております。(機関車が)第1主棟に入って、パーツをバラバラにして、検査をしてまた組み立てて出ていくと。今は電気機関車ばかりになっていますけど、操業当時はSLを整備することになっていたので、ここにSLが入場してきてSLの車体を奥の方に持っていって。ボイラーとか動輪とか、いろんな物のパーツをバラバラにして、それぞれで整備してまた組み立てて完成させて、ここからまた発車していく場所になります」
現在の広島車両所、かつての国鉄広島工機部は戦時下において急増した山陽線の鉄道貨物輸送を支えるため、機関車や貨車の整備拠点として開設。
爆心地からは北東におよそ4.2キロの場所に位置します。
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長と野川キャスター】
野川「実際の被害状況は?」
山本「爆心地からもかなり距離があるので、ちょっと弱いガラスとか、スレートとか。そういったところが吹き飛んだような程度で済んでいるのではないかと思います」
野川「当時の頃から様々、手は加えられているかと思うんですが、そのまま建ち続けている?」
山本「そうですね。クレーンを支えている横に大きな柱があると思いますけれども、こういったものや建物自身の柱というのはもうその当時のままです」
野川「そう聞くと見え方が変わってきますね」
山本「そうですね」
野川「被爆にも耐えて、80年以上にわたって、しっかりと?」
山本「はい。最初できた当時の骨組みそのままですので。いまなお頑張ってくれているというところです」
操業開始から83年…被爆した建物の第1主棟の中で行われているのが、機関車の全般検査です。
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長と野川キャスター】
山本「きょうは機関車を吊り上げているところは、残念ながら見られないんですけれども。電気機関車はあのように車体と下の車輪などをバラバラにして。こちらを見てもらうと機関車の車輪がたくさん並んでいるんですよね。車両から取り外した車輪は、こちらへ持っていって、整備をしていきます。これは機関車のエアコンの室外機なんですね。空調がどうしても冷・暖房がいりますので。こういったものも機関車から取り外して整備をして、また整備したものを車両に取り付けるという」
野川「日本の物流をそういった意味でも支えている部品ですね」
山本「運転士の健康管理、熱中症対策にも欠かせない」
全般検査は車両を細部まで分解して点検や修繕を行う、車でいうところの車検のようなもので、おおよそ8年に一度、必ず行われます。
時代は蒸気機関車から電気機関車へと切り替わりましたが、被爆した建屋は変わらず、大事に使われてきました。
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長と野川キャスター】
山本「いまこのクレーンの柱があると思うんですけれども、そこと向こうとでちょっと雰囲気が違うと思います」
野川「あそこまではリベット打ちされていたけれども、切り替わってますね」
山本「あそこより奥は新しい様な感じがあると思います」
野川「増築された?」
山本「そうです。こうやって振り返ってもらうと、後ろの増築した部分ではやっぱり明るさとか作りとかが、若干違いますので。ここがやっぱり被爆した当時、昭和18年からの古さを感じるところではないかなと思います」
野川「おっしゃる通りですね。振り返って見てみると、やはりこの部分の方が明るいなと感じますね」
山本「そうですね」
野川「この建物はこのままずっと使っていく予定なんですか?」
山本「できれば残していきたいんですけれども、やはり昭和18年当時と今では車両の車種も違いますし、部品も違いますので。どうしてもこの場内の取り回しが効率的ではないというところもあって。この建物は残念ながらゆくゆくは解体して、新しい建物を建てて業務をスライドさせていくと」
実は広島車両所では、操業以来の大改修工事が始まっていて、被爆した第1主棟は姿を消すことが決まっています。
場内には他にも被爆した建物があり、油庫は灯油を保管する施設、動力室も操業開始の1943年に作られた建物です。
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長と野川キャスター】
野川「やはり動力室というだけあって作動音が…」
山本「いま、圧縮空気、コンプレッサーで空気を作っているので、非常にうるさいんですけれども。ここで空気を作っています。ここは電源の変電設備になりますが、こういったものがある建物でございます」
野川「そして所長、骨組みですけれども、これはレールですかね?」
山本「第1主棟と違って、ここは設備を(雨風から)守るためだけ。それほど強度は必要ではなかったかと思うので、レールを使っているというところです。こちらも正面を見てもらったら分かるように、レールを使った柱と間を支えているのは木になっていますので。こういったところで資材を節約しながら、活用しながら使っていると」
野川「ですから『戦時設計』で作られている建物ということですかね」
山本「そうですね」
野川「簡略化したり、素材面で工夫して当時作られた建物だと」
さらに広島車両所に残る貴重な資料を見ることができました。
【JR貨物広島車両所山本昌彦所長と野川キャスター】
野川「そして被爆のところも書いてあるんですね」
山本「そうですね。ちょうどここに『昭和20年8月6日に原子爆弾被害』と」
野川「翌年に出た資料ですね」
山本「これが当時の平面図ですね」
野川「こちらが今回の第1主棟。診療所もこの敷地内に?」
山本「そうですね。この平面図を見ると、矢賀駅の近くに診療所がございまして、当時も7名の方がいたように記録されています」
野川「被爆をした時、一番最初に対応にあたったのは?」
山本「そうですね、おそらくここに診療所におられた医師の方。それから看護婦の方々が、やはり周辺の方々の救護も含めて対応していたと思います。やはり市内の方でも多数の怪我人の方とかもおられたと思いますし、医療に従事されていた方というのは、そういったところで助けをしていたと聞いています」
野川「壮絶な状況だったでしょうね」
広島工機部は建屋の窓や天井が吹き飛ぶなどの被害を出しながらも、翌8月7日には復旧に向けて車両の修繕業務を再開。
現在に至るまで機関車の整備拠点として使用されてきました。
しかし、その施設も寄る年波には勝てず、動力室があった第4主棟と第3主棟のあとに新たな検修棟のA棟が建設され、第1主棟も2030年ごろには取り壊される予定だといいます。
【JR貨物本社車両部井上臣也サブリーダーと野川キャスター】
野川「やむを得ないことなんでしょうけれども、もったいないなという感情が」
井上「おっしゃる通りですね、この第1主棟が敷地の中央にございますので、残すにしても非常に制約が出るというところで、やむを得ないですが解体すると。しかしながら鉄骨の一部を新しく建てる、この第3、第4主棟のあとに建てるA棟と呼ばれるメイン建屋の中のエントランスにモニュメントとして残すことを計画しております」
野川「歴史はどのような形で受け継いでいきますか?」
井上「建物は新しくなるが、この地でどういったことが起きたのか、どう耐えたのかという生き証人という意味も含めて。そしてモニュメントを見ながら、後世に入ってくる社員たちがそういったことを思い出すようなきっかけになればというところで残していきたい」
「姿形は変われども、ここにあったこと。ここであったことを残していくと」
1943年の操業開始以来の大規模改修で、第1主棟をはじめとする被爆した建物が姿を消すこととなったJR貨物広島車両所。
建物の一部はモニュメントとして新たな車両所へ受け継がれ、社員に平和の尊さを伝えていきます。
完成は2035年ごろ。
広島車両所は、JR貨物最新の車両メンテナンス拠点として、被爆の記憶を未来へつなぎながら、新たな一歩を踏み出します。
