俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。

今回訪れたのは、大阪を代表する名城・大阪城。

大東駿介さん:我がライバルの城です!大阪城を建てるころには仲間ですけど。

大河ドラマで豊臣秀吉と敵対していた前田利家を演じた大東さんにとっては思い入れがある城だ。

今回は知っているようで意外と知らない、大阪城の奥深い歴史と魅力を学ぶ。

■ 3度造られた“天守閣” 大阪人の熱い思いが生んだ現在の姿

まず驚くのは、現在の天守閣が「3代目」であるという事実だ。

豊臣秀吉が築いた初代の天守閣は、大阪夏の陣で焼失した。

その後、徳川幕府が約10年の歳月をかけて2代目を再建したが、40年足らずで落雷によって焼失している。

そして時を経た1931年(昭和6年)、「豊臣秀吉が築いた城をもう一度復興させたい」という大阪人の熱い思いから、3代目の天守閣が市民からの寄付金によって建てられたのだ。

大東駿介さん:大阪人にとって大阪城はそれほどの思いがあって…知らんかった。

2025年度には、天守閣の年間入館者数が280万人超え!最高記録を更新した。

3代目は市民からの寄付金で再建
3代目は市民からの寄付金で再建
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■なぜ大阪城はこの場所に建てられた?

さて、みなさんは「なぜ秀吉がこの場所に大阪城を造ったのか」を知っているだろうか?

大東駿介さん:物資の輸送の便が良かった。攻め込まれにくい。大阪を見下ろせる立地だったとか!

詳しくは、大阪城天守閣の館長・跡部信さんに解説してもらう。

館長・跡部信さん:交通の便がいいということ。堺にも近いし京都にも近い、そして古代から日本の中心のなかでも、その中心に位置しているということもあるんです。

大東さん、かなりいい線行っていたのだ!

大東さん冴えてます!
大東さん冴えてます!

■大阪の由来も“大阪城”!?

さらに、この地に大阪城を建てた深い理由があった。

約6000年前の大阪はほとんどが海だったそうで、大阪城の場所はまさに岬のように突き出た「最も標高が高い場所」だったのだ。

館長・跡部信さん:南側に硬い地盤が続いていて、こっちに向かって城下町をつくった。

大東駿介さん:その地盤をよく見極めましたね!

館長・跡部信さん:『大阪』って言ったら大きな坂じゃないですか。それはこの大阪城の坂のことなんですよね。

大阪の由来は「大阪城」から来ていたという話に大東さんも驚きだ。

大阪城がこの場所に建てられた理由
大阪城がこの場所に建てられた理由

■巨大な一枚岩が正門にある理由

さて、ここからは大阪城の内部について詳しく学ぶ。

本丸の正門「桜門」には、左右に目を奪われてしまうほどの巨大な「竜石」「虎石」という石が組み込まれている。

そして、その桜門を抜けると、高さ5.5メートル、幅11.7メートルという大阪城最大の巨石がある。

館長・跡部信さん:威圧するため、城主の権力を見せつけるために、正門入ったところの一番正面に一番大きな石を置いているんです。

実はこの石垣は豊臣ではなく、徳川が再築した時のものだそう。

大東さんも秀吉の時代のものだと思い込んでしまったが、江戸時代でも「さすが秀吉!」と思いながら眺めていた人が多かったんだそうだ。

権力を見せるための巨大な一枚岩
権力を見せるための巨大な一枚岩

■ 黄金伝説と「金魚」の謎

天守閣へ向かう前に立ち寄りたいのが、天守閣入口にある古井戸「金明水」だ。

30メートル下に水面があるこの古井戸はかつては「黄金水」と呼ばれ、秀吉がこの水を清らかにするために大量の黄金を沈めたという伝説が残っている。

1959年(昭和34年)、大阪城の謎を解明しようと調査が行われたが…。

館長・跡部信さん:金は…出てこなかったんです。しかし、黄金は見つからなかったけれども、水の中に金じゃなくて『金魚』が2匹。

大東駿介さん:調べたら余計な謎出てきてもうた!

謎はさらに深まったが、この調査には続きがある。

地質のボーリング調査を行ったところ、誰も予想していなかった「世紀の大発見」があった。

本当に黄金はあったのか…
本当に黄金はあったのか…

■地下7メートルに眠る“豊臣の石垣”

なんと、地下7メートルの深さから豊臣時代の石垣が発見されたのだ。

徳川が大阪城を再建する際に、豊臣の城を埋め殺しにする形で作り直していたのだ。

館長・跡部信さん:地下に埋もれているということは、全く誰も予想していなかった。

この発見を受けて去年オープンしたのが「豊臣石垣館」だ。
実際に地下へ降りて、豊臣時代の石垣を間近で見ることができる。

豊臣時代の石垣は、自然石をほとんど加工しない「野面積み」という積み方が特徴的で、地上の石垣とは明らかに異なる。

さらに一部の石が赤みがかっており、これは「大坂夏の陣」で炎を浴びた痕跡だということだ。

大東駿介さん:これすごいな!研究者と大阪の底力と意地を見た感じがしますね。

実は、跡部館長が1994年に採用された理由の1つが、この石垣を見せる施設を造ることだった。約30年かけて目標を達成することができたのだ。

豊臣時代の石垣
豊臣時代の石垣

■跡部館長のイチオシ撮影スポットは…

大阪城は「豊富な撮影スポット」も魅力のひとつだ。

跡部館長のイチオシは、大阪城北側からの景色。

石垣が波打つように連なり、ビルが一切視界に入らないその風景は、他の城にはない格別の眺めだ。

館長・跡部信さん:仕事に疲れたときにはここに来てます。

ちなみに、広大な石垣の清掃を陸上自衛隊が訓練を兼ねて行うこともあるのだ。

普段は業者が対応しているが、自衛隊側からの申し出で実現する”大阪城クリーン作戦”は、意外な魅力の1つだ。

大東駿介さん:いま僕らが見ているお城は徳川が造ったもの。地下に豊臣の城が眠っているから。だけど、『天守閣を再建しよう』となったときに、豊臣の城を造り直すというのが、いかに大阪人に愛されていたか。

30年お勤めの跡部さんが、いまだに『この景色がいいねんなぁ~』って大阪城の魅力を再発見しているのが学びでした。

(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2026年6月4日放送)

大阪城を北側から
大阪城を北側から
関西テレビ
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