「自然に出てくることを自然に」100歳にとっての理想の介護に家族がたどりつけたわけ

カテゴリ:国内

  • 関東大震災、第二次世界大戦・・・激動の日本を生きてきた女性
  • 足腰・意識もしっかりしているのにある日の出来事を境に外出しなくなる
  • 頑なに拒否していたグループホームに入居するまで

国際連盟が誕生した年にうまれた女性

その女性は日本が中華民国に「二十一箇条の要求」(1915年)を出した5年後、国際連盟(いまの国際連合の前身)が誕生した大正9年(1920年)に生まれ、ソ連成立(1922年)、関東大震災(1923年)、世界恐慌(1929年)、二・二六事件(1936年)など私たちが“教科書”で学んできた、まさにいまの世界が形作られつつある激動の世の中で育ち、第二次世界大戦が終戦(1945年)を迎えたとき、26歳(数え年・以降数え年で表記)になっていた。夫は戦地・中国から無事、帰還した。

生まれは静岡。父親はお茶の仕事をしていた。その後、三重に移り住み、県立の女学校の教師に。結婚を機に東京に移り住んで以降、ずっと関東に。

今の住まいは、千葉県千葉市稲毛区の「稲毛グループホーム」。ホームは満床で現在の入居者は18人。そのなかの最長老で8月30日に100歳になる。

社会福祉法人うぐいす会 稲毛グループホーム(千葉県・千葉市)

ホームにお邪魔したのは、“猛暑”となった8月のとある週末。

2階の談話室でお待ちすること数分。午前10時過ぎ。高梨調子(たかなし・つぎこ)さんは介護士に付き添われながら、腰を少しだけ折り、自分の足でゆっくりと歩きながら私に近づき、「こんにちは」と笑顔で席についた。

「認知症がすこし進んできた」とこの日、取材があるから、と付き添ってくれた長女は言うが、調子さんはしっかりと私の目を見て、終始ニコニコしながら話をしてくれた。

100歳になるその女性と家族から、「人生100年時代」の介護のあり方を聞かせていただいた。

高梨調子さん

数年にわたりホームをかたくなに拒否 そのとき家族は

調子さんは65歳で夫を病気で亡くして以降、およそ20年間、1人暮らしをしていた。その後、長女一家と同居するのだが、90歳近くまでひとりでバスに乗り、外出をしていたそうだ。しかし、ある日の出来事を境に、自分の衰えを感じ自信をなくしていく。

横断歩道を渡ろうとしたとき、周囲の歩行者らが走り出したので、「自分もいける」と急いで歩いたところ、つまずいて転倒し肩を骨折。それからしばらくして、自宅でも転倒し左手を骨折した。そして外出をしなくなった。

やがて自宅での排泄が困難になり、家族の負担も増加。これでは自分が限界だ、と長女は思い、デイサービスを探したのだが、意識がしっかりしていた調子さんは何年にもわたり通うことを拒否。

長女は、ほぼ毎日、結果的に入居することになるいまのグループホームの近くを“外出のついで”に調子さんと寄り、その場所に慣れさせてから「あそこではなにをしているのかしらね?」と自然に誘い、“体験”させることに成功。

そして・・・「体験させてから3日目には私が帰っちゃったの。えいや、と思い切って。またあとで迎えにくるからね!といって」と、調子さんをホームにおいてかえってみたそうだ。すると・・・翌日、早朝に自分で行く準備をしていたという。アットホームな雰囲気で楽しめたらしい。

ちなみに、このホームを探すために家の近くのホームを6件ほど見て回ったそうだ。

海の近くの物件や、マンションタイプのもの、できたてのきれいなところなど。しかし、最終的に「家族みたいに接してくれるところがいいから」と、いまのホームに決めた。
「できたてのところは、スタッフさんはきっちりと綺麗な制服を着ていたりするんだけど、やっぱり対応は“それなり”よ。そういうタイプが好きだ、という人もいるかもしれないけれど、私たちはちがうなと思いましたと語った。

通い出してから数年後、空きがでたことで入居することができた。デイサービスで利用していたからすんなりとなじめたそうだ。2018年6月のことだった。

“入居”後、つまずいてしまうパターンが数多くあるが、彼女の場合は、家族の多大なる協力のおかげで徐々に慣れていくことができたのが、本人の幸せにもつながったのだろう。

調子さんに「ここにはいってさみしい、とおもうことはないですか?」と聞いたら「ない。のんきね、わりとね」と答えてくれた。

「あなたがいてくれるから」

そもそも100歳になる女性が、(大変失礼ながら)どうしてここまでしっかりとしていられるのだろうか。確かに、長い会話はできないけれど、それでもきちんと私の問いは聞こえているし、答えてくれる。ひとりで歩くこともできる。この日は“フジテレビが取材に来ているから”と、普段お調子者(らしい)男性スタッフが、静かにしていると「あなた、なにおすまししているの」とからかっていた。

長女にその秘訣はどこにあると思いますか、と聞いてみたところ、自宅では必ず、自分で出来ることは自分にさせていた、という。というよりも「頑固な人だけど、他人には迷惑をかけたくない」という調子さんの性格からか、出来た食事は自ら運び、さらに片付けをし、風呂もひとりで入っていたそうだ。この「自主性を重んじる」日々の過ごし方は、かつて取材した、認知症の方々がとびっきりの笑顔で生き生きと過ごしていたデイサービスの方針とぴったりと重なる。

さらに、このホームでの日々も「元気の秘訣」なのでは、という。さすがに認知症もすこしあり、100歳になろうとしている女性が「何をしたい、とか、何をやりたい、とか自分で率先して言うことはない。できない」が、「施設がなにをやりたいか、なにをしたいか率先して引き出してくれている」そうだ。

調子さんは「長生きの秘訣は?」との問いに「秘訣なんてないわよ。自然に出てくること(あたえられること)を自然にするだけ」と答えてくれた。これは、すなわち、彼女が自然にやりたいと思うことや、その機会を、ホームの人たちがきちんと導き出せている、ということだろう。

ただ、その後、彼女をずっと看ているお調子者(らしい)男性スタッフは、施設を見学していた私に、ふと思い出したように真剣な顔で語った。
調子さんがいまも元気なのは、眼と耳がいいこともあるとおもいます。外部からの情報は刺激となって、みずから考えることができます。だから脳もつかうから、認知症にとってもいい影響があるのかなと思うんです。それになにより、ふさぎこむ、ということもなくなります」

つまり、複合的な要因なのだ。「自分のことは自分でする」という頑固な性格。それを可能にする耳と目、足腰。そして「できること」をさせてきた家族、グループホーム。「本人の自主性」を大切にすることを柱に、それぞれが手を差し伸べる。そして、彼女はいまも自らの足で立ち、考える。ホームに入ってから要介護度は4から2になったそうだ。「健康第一」とはよくいうけれど、つまり、そういうことなのだ。

お調子者(らしい)男性スタッフが「なんで調子さんはそんなに元気なんですか」と最後に聞いたとき、彼女は「あなたがいてくれるから」と笑っていた。

(執筆:フジテレビ プライムオンラインデスク 森下知哉)

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