福島県の東日本大震災の津波被災地。
東京電力・福島第一原発事故により、立ち入りが規制された地域は”あの日”のまま時間が止まっている。
入社2年目の福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサーが被災地を取材した。
矢崎アナは、神奈川県出身。

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ーー東日本大震災当時、福島の状況をどのように見ていた?

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
東日本大震災が起こったあの日。私は、数日前に一緒に中学を卒業した友人と、近所の公園で遊んでいました。大きな横揺れが長く続き「何かおかしい。普段の地震とは違う揺れ」だと感じました。
家に帰ると実家は停電していて、離れた場所で暮らす祖父と祖母のことが心配になり、母親と妹と一緒に車で祖父の家に行きました。
祖父たちの無事を確認し、ほっと一息ついた所でテレビをつけると、何度も何度も真っ黒い津波が住宅地を襲う姿が、繰り返し流されていました。その映像を見ても、何が起きたのかすぐには理解できずに、呆然とテレビの前に立ち尽くしたのを覚えています。
その後、福島第一原発の爆発事故、福島の避難所で生活をしている方たち、懸命にがれきの撤去をする自衛隊やボランティアの方たちの姿を見て、何もできない自分のことを、情けなく感じていました。

震災当時のまま残った校舎

震災から9年半の節目の日。
矢崎アナウンサー取材したのは、海岸から約300m、津波の被害をうけた福島・浪江町の請戸小学校。

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
校舎の中に入ると、砂とほこりっぽい匂いがします。壁そして天井は津波によって破壊されて、その状況が今も残っています

当時校舎にいた児童や教職員は、全員高台に避難し、無事だった。

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
かつて職員室があった場所です。職員室にある電子分電盤にある時計が午後3時39分を指したままです

津波到達時間の午後3時39分で針が止まったままの時計。
校舎の1階は、天井部分まで津波が押し寄せた痕跡が今も残っており、鉄骨や蛍光灯がむき出しになったまま。

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
黒板には誰が書いたのか「くじけるな」というメッセージが刻まれている。このメッセージを書いた人の強い思いを感じます

当時卒業式の準備が進められていた体育館。床が大きく陥没したままの状態で残っていた。

ーー実際に請戸小学校を訪れてみて感じたことは?

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
3月11日のあの日のまま、請戸小学校は時間が止まっていました。建物の外から見ると、ひしゃげた鉄骨、天井からぶら下がったままの電気コード、津波が襲った時間で止まったままの時計があり、今までに見たことない光景が目の前に広がっていました。
実際に校舎の中に入ると、教室の後ろには児童の錆びた裁縫セット、道具箱、泥を被ったオルガンなどがありました。
さらに校舎の隣にある体育館へ向かうと、鼻の奥をツンと差す、木の腐った臭いで充満していました。その臭いから9年という歳月が、いかに長いかが伝わってきました。

震災遺構として後世に

請戸小学校は、福島県初の「震災遺構」として整備されるため、改修前の姿の公開は最後となった。
校舎の2階にある教室では、当時の状況などをパネルなどで展示する予定。

ーー請戸小学校は、「震災遺構」として震災・原発事故の教訓と記憶を伝えていく。”福島のアナウンサー”として自身の役目と重なる部分は?

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
ある教室の黒板には「くじけるな」という文字が書かれていました。誰が書いたのか。誰に向けてなのか。少し震えているように。
しかし、その文字は力強くはっきりと書かれていました。書いた人にしか本当の意味は分かりませんが、チョークで書かれていたこの5文字から、私は「いっしょに前に進もう」というメッセージも込められていると感じました。

震災遺構となる請戸小学校は2021年度から一般に公開される予定で、震災の教訓と記憶を後世に伝える。

福島テレビ・矢崎佑太郎アナウンサー:
請戸小学校に初めて足を踏み入れて、“時間が止まっている”と感じた私。そう感じたからこそ、黒板の文字を見て私は“一緒に前に進もう”と読み取れたのかもしれません。

今回取材で訪れた請戸小学校は、この場所で実際に起きたこと、この場所を訪れた人の思いを私に伝えてくれました。
福島と震災・原発事故は切り離せないし、切り離してはいけない問題です。
私も福島のアナウンサーとして、その場所に実際に足を運んだからこそ分かる、映像では伝わりきらない部分を伝えることができるアナウンサーになりたいと考えています。

<福島テレビ アナウンサー・矢崎佑太郎>

(福島テレビ)