一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。
今回の舞台は京都・中京区。
昭和49年(1974年)に撮影された「顔の形をした建物」の謎を探ります。
【兵動大樹さん】「特徴的やなあ。建物やもんね。でも昭和49年に、なんでこんなところがあんのやろ?すごいな。いまあったら話題になってるから、もういまないんかな?聞いたことないで、顔の建物」
■手がかり求めて聞き込み難航…「京都市のどこか。オシャレな人が入っていった」
まず「二条城」周辺の二条通りを歩き、地元の人々に写真を見せながら、建物の場所を探します。
しかし、多くの人は見たことがないと言います。
一方、「京都市のどこかで見た。オシャレな人が入っていった」という話も…。
手掛かりを求めて様々な店に聞き込みしますが、なかなか有力情報は得られません。
■100年続く”酒店”で貴重な手がかり 「釜座通」と「衣棚通」どっちに行く?
調査を続ける中、大正13年(1924年)創業の老舗酒店「SAKE CUBE」を訪れた兵動さん。
店主に写真を見せると、見たことはあるが場所は分からないとのこと。
しかし、重要な手がかりが得られました。
【店主】「北行き一方通行の通りで見たんで、1筋目の『釜座通(かまんざどおり)』、次の「衣棚通(ころものたなどおり)」
教えてもらった2つの通り、兵動さんは「どちらに行けばいいか」店主の妻に決めてもらうと…選ばれたのは「釜座通」。
しかし、残念ながら「釜座通」では見当たりませんでした。
■ついに発見!「顔の家」は”雑貨屋”と”ギャラリー”だった
次に向かった「衣棚通」。
その瞬間は突然現れました!
【兵動大樹さん】「『その瞬間は突然現れた』ってナレーションで言ってもらっていいですか。こんだけ苦労して歩いとったら…。あった!」
ついに写真と同じ「顔の家」が見つかりました。
50年近く経った今でも、当時とほとんど変わらない姿で残っていました。
【兵動大樹さん】「これいま口の中入ってくんやんね」
建物に入ると、現在は「雑貨屋」と「ギャラリー」になっていました。
■“顔の家”誕生の秘密は「目立つため」
住人で店主の辻和美さんから、「顔の家」について話を聞くことができました。
【辻和美さん】「この家50年目になるんですよ」
この建物は昭和49年(1974年)頃に建てられ、ちょうど50周年を迎えたところでした。
当時10歳だった辻さんの夫・勇祐さんと勇祐さんの弟が、写真の中で建物の「目」の部分から外を覗いているそうです。
なぜ顔の形にしたのかという謎については、勇祐さんが明かします。
【辻勇祐さん】「1番は目立つっていうことが1番大切だったみたいなので。看板ですね。広告とかのグラフィックデザインの事務所をやっていたんです。」
勇祐さんの父親がグラフィックデザイン事務所を経営していて「目立つ」ために「顔の家」を建設したというのです。
【辻勇祐さん】「それほどいじられることはなかったですね。びっくりされるくらい」
【辻和美さん】「でも『あいつの家 顔の家やで』ってみんな心の中で思ってた」
【辻勇祐さん】「心の中ではね」
■顔の家の構造と住人の暮らし
「顔の家」は外観がユニークなだけではなく、実際に機能的な住居になっています。
「鼻」の部分は換気窓になっており、「耳」の部分はベランダとして使われています。
「鼻」から顔を出すこともできます。
【兵動大樹さん】「鼻から奥さん出てきた!次は耳から奥さん出てきました」
■現在は“インスタ映え”スポットに 外国人観光客に大人気
今では多くの外国人観光客が写真を撮りに訪れる人気スポットになっているそうです。
【辻和美さん】「めちゃくちゃ多いんですよ。海外の方がものすごい多くて」
中には、向かいの家の敷地に入ってしまう観光客も…。
【兵動大樹さん】「写真は100歩譲って撮るのはええけど、マナーを守って近隣の方に迷惑かけない。大声で騒がない。ゴミは捨てない。もう写真だけパシャッと撮って、それでペコって一礼して行ってください」
建築から50年経ったいまも、京都の街に独特の存在感を放ち続ける「顔の家」。
グラフィックデザイナーだった父親のアイデアから生まれた奇抜な建物は、時代を超えて人々を魅了し続けています。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年7月25日放送)