【水産物流通】数の子の通信販売を手掛ける井出商店(後志管内岩内町)はニシンで魚肥を作り、地元農業に役立てるなど、地域密着型の経営で事業を拡大している。東京都出身の井出敬也代表取締役に地域の活性化を図る”岩内プロジェクト”について聞きました。BOSS TALK #101
父親の”数の子一筋”の生き方にあこがれた幼少期
――小さいころは、どういう夢や憧れを持っていましたか。
「父は60年間ぐらい数の子一筋で仕事をしています。日本でニシンが獲れなくなってからは海外で産地を開拓しました。『産地と消費地をつなぐのは芸術だ』ってよく言っており、将来は数の子をやりたいと思っていました」
――その夢に向かって進みましたか。
「高校生時代、親父に『水産大学に行く』って(家業を継ぐように)言えば小遣いをもらえるので、そう言っていました。(本当は文学に興味があり)早稲田大学第二文学部に行き、親父をがっかりさせました。就職では産地と消費者をつなぐ仕事を―と三井物産林業に入りました」
――どういう仕事をされましたか。
「家で使う柱や梁などを輸入していました。経営の勉強をして会社の将来に貢献したいと思い、こっそり大学院を受験しました。合格した翌日、『大学院へは会社派遣にしてもらえませんか』と会社にお願いすると、『大学院をあきらめるか、会社を辞めるか、どちらかにしろ』と応じてもらえませんでした。その(断られ方の)あっけなさに、退社を決めました」
――大学院で学んだ後は?
「大学院の先生が共同研究していた会社『インスパイア』に入社しました。30歳を過ぎて新たな業界に行き、仕事は苦しく、『いつ辞めようか』と、辞めることばかりを考えていました。そんなとき、父から電話があり『体調が悪くて入院するから、仕事の手が空いたとき、会社を見て報告してほしい』って言われ、(このチャンスを逃してはならないと)その翌日、会社に退職の意思を伝え、実家に戻りました」
父親の昔ながらの経営方針に反発 市場依存から転換し事業を順調に拡大
――お父様が経営する数の子の加工販売会社「カリフッド」に入ったわけですね。
「入った翌年、得意先との取引で億単位の焦げ付きが出ました。父は私に突然、『今日、社長を変わる。おまえが社長をやれ。金を借りてくる役だ。(会長に就く)おれの仕事を見て学べ』と言うのです。お金は借りることができました。ただ、父の仕事はハチャメチャでした。昭和は景気も良く、モノを持ってくれば売れて儲かった。平成8年に社会に出て就職して受けた教育は、在庫を持つリスクを取るなという守りの経営です。昭和の経営(を貫こうとする会長)の父と、平成の経営(への転換を進める社長)の私。お互いに歩み寄る余地がありませんでした」
――お父様には成功経験に基づく経営哲学があるわけですね。
「私が(経営の立て直しに向け)市場から離れ、大手量販店さんと直接取引をしようと、売り込んだ結果、会社は順調に発展しました。そうすると、十分だと想定以上に翌年の注文量が増えることがあり、父からは『買えるときは、しっかり買っておけ』と言われました。その点については父の言うことを聞きました」
「自分はこの町に受け入れられていない」 悔しさが地方に目を向ける転機に
――北海道と関わりを持つきっかけは?
「事業が順調に伸びる中で、自社工場を持とうとして、岩内町の今の工場に巡り合いました。いずれは東京に近いところに移転する予定で、仮住まいのつもりでした。10周年の祝賀セレモニーで、役場や地元の方にご案内を出しましたが、だれも来てくれませんでした。それまで地元との関わりがなく、自分がこの町に受け入れられてないかを思い知らされました」
――地元にコミットするようになったきっかけは?
「コロナ禍の経験が大きいですね。新型コロナウイルスという得体の知れないものと戦いながら、地方は生産活動を続けて、都市部の生活を支えている。そこまで懸命にやっているのに豊かさを実感できない。地方って一体、何なのだと思いました」
――どういう取り組みを始めましたか。
「当時の従業員の平均年齢の65歳ぐらいで、これでは事業は継続できない。やはり若い人に来てもらいたい。若い人はお子さんが小さく、お金がかかるので、お給料を思い切って上げました。備品購入の際、数社から見積もりを取り比べていましたが、できれば岩内町、次に後志、最悪でも北海道の会社から購入するように変えました」
地域への思いから始めた農業支援 外から人を呼び込むことにも尽力
――地元密着型の方針に転換し、今、力を入れている取り組みは?
「数の子を加工で出るニシンの(骨や内臓などで)肥料を作り、近隣の農家さんに使っていただき、買い上げた作物を東京のこども食堂に無償提供しています。コメやジャガイモ、トウキビ、メロンなど。昨年2月には地元の魚介を提供する海鮮料理店『IWANAI BANYA 魚希』をオープンしました。岩内町はニセコ経済圏とどう関わるかが大きなテーマ。ニセコと岩内の間に送迎バスを走らせるサービスをしており、スキーを楽しむのはニセコで、アフタースキーは岩内で―という流れができれば良いと思います」
――ボスとしての心構えは?
「自分についてくる社員のお給料を上げ、どこかで活躍できる人材になってほしい。うちの会社に残ってくれるなら役職を上げ、次の経営を担う人材を育てたいですね」
――今後もチャレンジがある中、どういう未来を想像していますか。
「農業や地域活性化をテーマに取り組む岩内プロジェクトを豊かにしたいと思います。この活動を通じ、東京にいる後輩が岩内町に会社を作って、羊の飼育を始めます。数年後に国産ラムが岩内でスタートするでしょう。外から人を呼び込むのも、将来に向け、まちに貢献できることかなと思います」
――そのつながりがどんどん広がり、北海道全体に広がっていく気がします。