戦後80年の2025年、改めて平和のあり方を考える活動が各地で行われています。岡山市の高校生が6月12日、1700人以上の犠牲者を出した岡山空襲について学びました。
(岡山空襲展示室 木村崇史さん)
「焼い弾は火事を起こす爆弾。日本のまちは木でできた建物が多く、焼い弾を使った攻撃が有効だった」
博物館の学芸員の話を真剣に聞くのは、岡山後楽館高校の2年生24人です。
岡山のまちは1945年6月29日、当時、日本と戦争をしていたアメリカ軍の空襲により、6割以上が焼け、一般の人など1737人が犠牲になりました。
悪夢の日から間もなく80年。高校生は当時、焼い弾と呼ばれる、短時間でまちを火の海にして多くの人を殺害する爆弾が使われたことなど、悲惨な戦争の歴史を学びました。
(見学した高校生は…)
「(空襲は)広島と長崎の原爆のことしか詳しくなかったので、岡山の戦争の歴史を知ることができて良い機会だと思った」
「(継承のために)自分たちが実際にミュージアムに行ったり調べたり動画を見たりすることが自分たちにできることだと思う」
(岡山空襲展示室 木村崇史さん)
「岡山空襲ではこんなことがあったんだ、ということを家族に説明できるなど、自分が身に付けたものを周りの人に紹介していくところから輪が広がってほしい」
今を生きる多くの人が戦争を体験しておらず、記憶の継承が課題となっている戦後80年。岡山市北区の岡山シティミュージアムでは、7月6日まで岡山空襲に関する企画展を開いています。