9月26日から、宮城県山元町の震災遺構・中浜小学校の一般公開が始まる。
津波に襲われながらも、校舎の屋上に避難した90人の命は守られた。
しかし、その決断をした当時の校長はこの9年半、葛藤を続けてきた。

9月9日、山元町の坂元小学校で、オンラインでの防災学習が行われた。

井上剛さん(元・中浜小校長):
津波の速さ、みんなよりずっと速いよ。1秒間に10メートル。時速に直すと、36キロ。遅い?速い?

児童:
速い!!

講師は井上剛さん(63)。東日本大震災の当時、同じ山元町にある中浜小学校の校長だった。

井上剛さん(元・中浜小校長):
どこだかわかりますか?

児童:
中浜小学校!

井上剛さん(元・中浜小校長):
この中浜小は、いろいろなことを伝えようとしている学校です

この記事の画像(11枚)

90人の命を守った判断

海から約400メートルのところにある中浜小学校。
高さ約10メートルの津波に襲われ、2階建ての校舎は、屋上付近まで浸水した。

井上剛さん(元・中浜小校長):
第一波は海面が盛り上がってくる。ぐんっと、海底が上がって堤防からあふれて、どんと一気にくる。海が陸に向かって動いているので、建物が海に突き進んでいる感じ

当時、校舎に避難した児童と教職員、地域住民など90人は、屋上に避難して全員無事だった。
当時、中浜小は津波からの避難先に、約1.2キロ内陸側にある「坂元中学校」を設定していた。
その中学校手前の高台までは、徒歩で最低でも20分かかることがわかっていた。
大地震の約30分後、午後3時14分に大津波警報の情報が更新され、予想の津波の高さが「10メートル以上」に上昇。
その時、井上さんは屋上への避難を決断した。

井上剛さん(元・中浜小校長):
我々の命は屋上に上がることで託すわけですから、その判断をしたのは私。重圧が肩にのしかかったような感じを、この場所で受けた。生きて帰るまで下りない、絶対に下りないと言い聞かせながら上った階段

『屋上への避難』を判断した理由の一つに、校舎の事前の防災対策がある。
1989年に建てられた校舎は、高潮や津波の被害を考慮して、敷地を2メートルほどかさ上げして造られていた。

井上剛さん(元・中浜小校長):
かさ上げの2メートル、1階の高さが4メートル、2階が4メートル…これで10メートルはあるだろう

寺田アナウンサー:
ギリギリですよね

井上剛さん(元・中浜小校長):
屋上ならば生きる可能性はあると思いました

屋上の屋根裏倉庫。外は氷点下の寒さの中、ここで、90人は一晩を過ごした。

井上剛さん(元・中浜小校長):
寝る準備をしょう…。みんなで手分けしてダンボールを敷いたり、いろいろなことを子どもたちも、もちろん手伝った

90人の命を守った『屋上避難』というとっさの判断…。
しかし、この9年半、井上さんは葛藤してきた。

井上剛さん(元・中浜小校長):
ここしかないと思って、確信を持って動いていますが、結果が伴わなければ、『とんでもない判断だ』と言われる。そういう意味で『最善の判断ではない』と思っています。屋上にいて、生き延びることができなかったかもしれない。そのくらいギリギリの経験。中浜小が伝えているのは、このギリギリの経験

「将来の命を守る」学校が持つ役目

前の週に、オンラインでの防災学習を行った坂元小の児童が中浜小学校を見学しました。

見学ガイド:
あんなのが流れてくる中、みんな太刀打ちなんかできません。鉄骨が曲がっちゃうくらいだ

井上さんも、児童たちの様子を見守った。

児童:
震災遺構をなぜ残したの?

井上剛さん(元・中浜小校長):
この校舎って、いろんなことを伝えられる校舎でしょ?みんなに自分たちの命を守ってほしいな

見学した児童:
みんなで、ここにあるものを使って、必死に命を守ろうとしたのだと感じた

見学した児童:
次に津波や地震が来た時に、この経験を生かして使っていきたい

井上剛さん(元・中浜小校長):
校舎はボロボロになりながらも、命を守ったことで役目を全うした。これからは、将来の命を守る、そういう役目が、この学校にはある。そこには関わっていきたいと思っていました

(仙台放送)