かつては多くの芸妓衆が温泉街を盛り上げた長野県・上諏訪。伝統は一度途絶えましたが、2024年、地元出身の大学生が芸妓デビューを果たしました。憧れの芸妓と大学生の二刀流。諏訪を盛り上げようと全力を尽くす女性を取材しました。
■地域唯一の芸妓 1年前にデビュー
♪「奴さん」:
「あ~、こりゃこりゃ~」
明るい三味線の音色に、しなやかな踊り。4月、諏訪市の料理店で開かれた、「お座敷遊び」を体験できる食事会です。
華やかな姿で客を引きつけるのは、上諏訪芸妓の美代遥(みよはる)さん。地域唯一の芸妓として1年前にデビューしました。
踊りだけではなく、場を盛り上げるゲームも。
上諏訪芸妓 美代遥さん:
「私はどっちかというと二枚目より三枚目でいこうと思って。おもしろがって、たくさん笑って帰っていただけたらうれしいなと思いながら、いつもどれだけ笑わせるか」
客:
「若くてかわいらしいんですけど、すごく大人で、本当にいい経験ができました」
「こういう日本の文化を引き継いでいく人が出てきているのは素晴らしいと思います」
■芸妓と大学生の二刀流
5月8日、東京・八王子市の中央大学。
美代遥こと前橋亜季さん(21)。実は文学部哲学専攻4年の現役大学生です。
上諏訪芸妓「美代遥」こと前橋亜季さん:
「大学に来て、こうやって好きなことをやりながら夢をかなえられてる。自分のやりたいことにノーって言いたくない」
芸妓も大学生も全力で。二刀流の道にたどり着くまでには、さまざまな挫折や決断を経験しました。
■精神的に行き詰った時期も
諏訪市出身の前橋さんは、中学生の頃に日本舞踊を習い始めました。大奥が舞台のドラマで着物の華やかさに魅せられ、舞妓や芸妓を志すようになったのです。
前橋亜季さん:
「(若い時から)こんな厳しい世界に入ってかっこいいな、私もやりたい、というところからスタートだったんですけど」
両親を説得し、修業のため中学卒業前に京都の芸者置き屋に入りますが―。
前橋亜季さん:
「仕事は楽しいし、苦じゃなかったんですけど、ふとした時にほろって涙が出てきちゃう」
精神的に行き詰まり、修業を断念して実家に戻ることに。高校進学後も三味線や長唄の稽古を続け、卒業後には再び京都に戻るつもりでした。
■哲学を学びたい
しかし、たまたま読んだ本が縁である学問に出会い、迷いが生じ始めます。それが「哲学」でした。
前橋亜季さん:
「自分の意思で初めてやりたいって思った学問かもしれないと思ったら、ちょっと捨てるのが惜しくて」
芸妓か、進学か―。
迷いながらも受験し、見事、大学に合格しました。
前橋亜季さん:
「すごく面白い先生で、毎週楽しみに来ています」
4年生になった今も、哲学を学ぶ喜びをかみしめています。
勉強に励む一方で「芸妓」になる夢も諦めませんでした。ふるさと・上諏訪で芸妓になろうと決めたのです。
江戸時代からの歴史が伝わる上諏訪温泉。昭和20~30年代には300人近い芸妓がいて、温泉街を盛り上げていました。
花街の文化は時代と共に衰退し、一度は途絶えましたが、「見番」は残りました。芸妓を派遣する、いわばプロダクションです。
前橋さんは、商工会議所などの協力を得て「諏訪大手見番」に所属し、2024年3月「美代遥」としてデビュー。「上諏訪芸妓」を復活させたのです。
前橋亜季さん:
「自分が生まれ育った町に恩返しできるなら頑張っていきたいなと」
大学の友人の反応は―。
友人:
「写真を見せてもらって、こんなことしてたんだ!って衝撃的で、より尊敬の度合いが上がりました」
■月4回ほど日本舞踊の稽古
前橋亜季さん:
「午後一番で授業に行きまして、2コマ受けてここに」
この日、大学から1時間半ほどかけてもう一つの「教室」に向かいました。
前橋亜季さん:
「よろしくお願い致します」
日本舞踊のお稽古です。松本にルーツがある「松風流」の師匠のもとへ、月4回ほど通い、今は新たな演目に挑んでいます。
「芸妓」たるもの、「芸」があってこそ。忙しい中でも踊りの鍛錬は手を抜きません。
前橋亜季さん:
「これがなきゃ芸妓と言えないというのが『踊り』だと思うんですけど、上達する余地が全然あると思ってるので(師匠に)一歩でも近づけるように」
「松風流」宗家二代目 松風光陽さん:
「同じ頃の年齢の方にしては、とてもよくお出来になると思うんですけど、芸事というのは100点満点というのがない世界なものですから、どこまでいっても頑張りましょうねと」
張りつめた空気の中、稽古が続きます。
■一度途絶えた伝統を受け継ぐ難しさ
前橋亜季さん:
「2時間くらいかけて準備して、お仕事に」
実家で支度をする美代遥さん。一度途絶えた伝統を受け継ぐ難しさもあります。地元には、芸妓の先輩や師匠がいないのです。
前橋亜季さん:
「(化粧は)改良に改良を重ねて。誰も教えてくれないし、全部自己責任でやるってこんなにしんどいのかと」
身近で学ぶことができないため、京都や県外のイベントなどで芸妓の先輩たちと会う機会を大切にしてきました。
前橋亜季さん:
「本当はお姉さん(先輩)がいる所でいろいろ教えてもらいながらやりたいんですけど、(自分が)いなかったら、ここ(上諏訪芸妓)がもう本当に、本当になくなっちゃうんだって。ここにいるしかないんじゃないかって思うようになりました、いつの間にか」
■いつもそばで支えてきた母親
お化粧で華やかな顔を作るポイントは、目尻に赤を入れる「目張り」。そして、口紅を引いて完成です。
前橋亜季さん:
「だいぶまともな顔が描けるようになってきたと思うんですけど」
一人で伝統をつなぐ美代遥さんを、母・かおりさんはそばで支えてきました。
母・かおりさん:
「度胸があるので、どんな場面でも、いつ振られても全然ひるまず。全然びくともしないね」
前橋亜季さん:
「一応、緊張はするんですけど」
母:
「するの?」
母:
「もう本人が突き進むのみなので、応援するしかないのでね」
■かっこいい、おちゃらけた部分を
懐石みくら 諏訪―。
この日は、初心者が気軽にお座敷遊びを楽しめる食事会です。
「美代遥」こと前橋亜季さん:
「きちんと芸事をして、お座敷ではきちんとかっこいい部分と、おもしろい、おちゃらけた部分と両方楽しんでいただけるような芸妓さんになりたいな」
「美代遥」さん:
「せっかくですから、好きな異性のタイプをひとつ。私はシロクマみたいな人が好きです」
客:
「賢い人」
美代遥さん:
「賢い人、いる?」
客:
「(笑)」
上諏訪芸妓の復活に地元の人も期待を寄せています。
懐石みくら 諏訪・伊藤和弥代表:
「美代遥さんをお呼びして、楽しんでいただいて、料理も楽しんでいただいて、歴史をつくっていけたらな」
■諏訪の魅力を最大限に伝える
2026年の大学卒業後は、「上諏訪芸妓」一本で勝負する予定の美代遥さん。諏訪地域をPRできる芸妓になろうと添乗員の資格を取りました。仲間を増やしたいと踊りの稽古の場も企画しています。
新たな時代の上諏訪芸妓へ。美代遥さんの挑戦は始まったばかりです。
「美代遥」こと・前橋亜季さん:
「もちろん諏訪の皆さまに愛していただきたいのが一番ですけど県外、海外からいらっしゃったお客さまにも、諏訪の魅力を最大限に伝えるつもりですので、ここぞっていう時に、一番に名前が挙がるような存在になれればいいな」