2025年で戦後80年を迎え、当時の記憶が急速に失われつつある中、世界各地で戦争の足音が聞こえるようになりました。
今回FNNでは「戦後80年 いま、平和ですか」というキャンペーンを展開し、平和の現在地を探りたいと思います。
10日は、帰国した「中国残留日本人」が抱える課題について取材しました。
東京・江東区にある介護施設では、60人ほどの利用者のうち、約10人が「中国残留日本人」やその配偶者です。
そのうちの1人、福士実さん(87)。
福士さんは中国の旧満州で一家6人で暮らしていましたが、戦争に徴兵された父親と生き別れに。
終戦後には母親と弟妹3人を病気などで亡くし、その後、中国人の養父母に引き取られました。
福士実さん:
実のお父さん、お母さん、私と弟と妹の写真です。中国の養父母は、大変苦労して私を育てました。私も幼い頃から豚や牛の世話を手伝っていました。
福士さんは、日中国交正常化後の1986年に実の父親と再会し、1992年に永住帰国しました。
ほとんど日本語を話せない福士さんが直面したのは「言葉の壁」でした。
福士実さん:
日本で仕事をしたことがないので、(日本人と)あまりうまくコミュニケーションできない。
これまでに約6700人の「中国残留日本人」が永住帰国していて、その多くが言葉の壁の問題を抱えています。
こうした問題に対し、福士さんが通う介護施設では利用者の孤立を防ぐため中国語が話せるスタッフを配置し、言葉の壁を越えて交流できるようにサポートしています。
デイサービス ケアワン・稲盛英代表(38):
日中関係を良くするというか、残留邦人も日本人だし、ほかの日本人と一緒に(介護)できればいいなと。
厚労省は「中国語対応の介護施設」を公表していますが、地域差があり、対応する施設がない自治体もあります。
二カ国の間で懸命に生きた「中国残留日本人」。
今後の支援のあり方について考えていくことが求められています。