母国・タンザニアの孤児たちの支援を続ける長野県飯綱町の小林フィデアさん。先日、25年に渡る活動の歩みを紹介する展覧会が開催されました。フィデアさんは協力に感謝するとともに「活動に終わりはない」と今後も支援を続けます。


■「山あり谷あり」

♪タンザニアの国家:
「神よ、アフリカに祝福を」

5月6日、飯綱町に響いた歌声。「タンザニア国家」です。

タンザニア出身の小林フィデアさん(54)が母国の明るい未来を願って企画したイベントです。

小林フィデアさん:
「私一人だけじゃなくて、皆さんいたから、支えてくれてる。本当に皆さん、感謝してます。ありがとうございます」


母国の孤児たちの支援を続けるフィデアさん。

活動は25年に渡り、5月18日まで飯綱町で歩みを紹介する展示やコンサートなどのイベントが行われました。

小林フィデアさん:
「山あり、谷あり、トゲとか、でこぼこ道、歩かなければいけない。でも、続ける、歩くことが大事なので。少しずつできてる、うれしいです(笑)」

■1996年、タンザニアから信州へ

小林フィデアさん(1999年):
「たのしい、リンゴは。たいへん、でも」

フィデアさんが信州にやってきたのは1996年。小林一成さんと結婚しリンゴ農家の妻となりました。

フィデアさん:
「雪はやだ、寒いのやだ、きらい」

夫・一成さん:
「寒いの嫌なのに、どうして三水にいるの?」

フィデアさん:
「旦那さんいるだから。愛してるだから」

2人は、一成さんが青年海外協力隊としてタンザニアに赴任した時に出会い、結婚。

言葉も文化も気候も全く違う日本での生活。苦労は多かったものの、一成さんの家族が支えてくれました。

日本語の先生は義父・平治さん。

小林フィデアさん:
「みんな わになれ まるくなれ」
「こう?」


フィデアさん:
「日本語は難しい、すごく難しい」

来日2年後には町内でジャムなどの製造やレストランを営むサンクゼールで働くように。

職場でも愛される存在になりました。

■ふるさとの孤児たちを支援

一方、豊かな日本で生活を送る中で募っていったのがふるさとへの思いです。

日本から1万1000キロあまり離れたタンザニア。貧困率が高くエイズやマラリアなどで親を亡くした孤児も多く十分な教育も受けられません。

現地では母・レジーナさんが以前から貧しい女性や孤児を支える活動を行っていました。

フィデアさんも母や姉らと協力し1999年、NGO団体SWACCO(スワッコ)を設立。日本で講演や募金活動を行って資金を集め、現地に送るようになりました。

フィデアさん:
「(支援は)特別ではないし、誰か苦しんでいる、私は役に立てることがあれば。誰かを助けなければという気持ち。つながり続けるように」


ある時、目を付けたのは放置自転車。

1000台を集め、タンザニアに送りました。

フィデアさん:
「大変な時は大変。けど、前に喜びあると思えば、一生懸命」

後日、船便で自転車がタンザニアに届くと、子どもたちは大喜び。

職場も活動を支えてくれました。

フィデアさん(2013年):
「さっぱりして、おいしいです」

フィデアさんが開発に関わった「フィデアジャム」を販売。売り上げの一部が寄付金となります。

フィデアさん自ら店舗やイベントでPR。

フィデアジャムは2022年終了。現在は「季節のジャム」などの売り上げの一部が寄付金に。

■2025年、保育園をスタート

2010年、故郷・ソンゲアへ里帰りしたフィデアさん。

訪れたのは、まだ何もない原っぱ。支援活動で得た資金で購入した土地です。

ここに「孤児院」を建設したいという目標がありました。

フィデアさん:
「子どもたちは教育を与えて、ビジョンを見られるように、助けたい、助けたいです」


この年、新たにNPO法人を設立。井戸や建物の建設が進みました。

そして、2013年に最初の居住棟が完成。4月、現地スタッフが撮影した「孤児院」の様子です。

今は0歳から18歳まで43人の子どもたちが暮らしています。

2025年、保育園もスタートさせました。

フィデアさん:
「井戸から施設できて、学校もできて、保育園もできて、ハッピー、うれしい。いいことは、いろいろな道を通らなければいけない。我慢して、泣いてもいいけど」


■円安や物価高騰…資金集めに苦労 

フィデアさんたちの活動は少しずつ形となっています。ただ、タンザニアの経済は厳しく「孤児」は減りません。

さらに、円安や物価の高騰で運営資金はここ2年で急増。今は毎月50万円を送らなければならず、資金集めは苦労が続いています。

フィデアさん:
「まだ足りないですね。今、世の中、経済的にもすごく大変だし。25年間、助けられない亡くなった子どもたちもいるし、つらかった(涙)」

■亡き母の意志を受け継ぎ

そんな中、提案したのが活動25年を記念したイベントの開催でした。夫・一成さんや仲間たちと話し合いを重ねました。

フィデアさん:
「感謝の気持ち。今までできたものを見せてもらって、これからもよろしくお願いしますって言いたい」

夫・一成さん:
「国内での資金集めもひところより少なくなってるので、ますます現地の人に頑張ってもらわなければと思うんだけど、なかなか手立てがないのが現実」

実は2024年、現地で孤児を支援してきた母・レジーナさんが亡くなりました。

フィデアさん:
「母、亡くなってから、もっと責任感、強く感じる。私しかいないと思ってるから」

母の遺志を受け継ぎ、改めて奮起する機会に、そんな思いもありました。


■「活動に終わりはない」

5月6日―。

フィデアさん:
「雨、晴れて~、晴れてほしい~」

4月から始まったイベントのメイン、「コンサート」の日です。

バルカ・ハラン・ルヴァンダ駐日大使も招待しました。

フィデアさん:
「今までずっと支えてくれて、厳しい中でサポートしてくれたこと心から感謝しています」

まずは支えてくれた職場・サンクゼールと、20年近くアルミ缶収集などで資金を集めてくれた地元の小学校に感謝状を贈りました。


そしてー

♪「Believe」:
「たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は~」

三水小とリモートでつないだタンザニアの子どもたちが一緒に合唱。


コンサートのラスト。フィデアさんの地元・ソンゲア地域の民族伝統の音楽が鳴り始め、大使も、子どもたちもみんな一緒に踊りました。

フィデアさん:
「ハッピーです。私、日本とタンザニアの“架け橋”」

参加した児童:
「楽しかったですね」
「盛り上がってて楽しかったです」

タンザニア バルカ・ハラン・ルヴァンダ駐日大使:
「長い間、タンザニアの子どもたちのためにしたことに感謝したい。これからもずっと続けてほしい」


タンザニアの子どもたちを想い、日本で走り続けた日々。

フィデアさんの奮闘はまだまだ続きます。

小林フィデアさん:
「活動、終わりはないから、ノーエンドね。子どもの幸せ、いっぱいあふれるように、希望を子どもが持って、その希望を生かせられるように、できるように願ってる」

長野放送
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