80年前の5月24日、熊本から飛び立った特攻隊義烈空挺隊。先日、慰霊祭が開かれ、遺族などが隊員をしのびました。遺族は、戦死した隊員が最後に残した言葉や、生き残った隊員の苦悩について語りました。

出撃直前の義烈空挺隊の隊員たち。頭を下げているのはそれぞれのふるさとの方向です。

5月25日、熊本市の陸上自衛隊健軍駐屯地で行われた義烈空挺隊の慰霊祭。自衛隊OBや遺族など約100人が参列しました。

旧陸軍の義烈空挺隊は1945年昭和20年5月24日、健軍飛行場から出撃し沖縄の飛行場を奪還するため強行着陸を図った特攻隊。168人が12機で出撃し、故障で引き返した4機の隊員を除く113人が戦死しました。

【宮本 忠一伍長の兄の孫 宮本 恵里 さん】
「大叔父たちが出撃して希望を託した未来。自由や平和という未来がいま実現できているのか。語り合う中で考えてほしいし、それを平和につなげてほしい」

また、この前日にも、熊本市東区の浄圓寺に義烈空挺隊をしのぶ人たちが集まりました。

【中原 理菜キャスター】
「80年前のきょう、5月24日に出撃した義烈空挺隊。ゆかりの普賢菩薩像の建碑式が行われました」

普賢菩薩像は隊員が出撃前に通った銭湯『観音湯』の主人・堤 ハツさんが隊員を弔うために建てたもの。長い間放置されていましたが、義烈空挺隊や平和について考えてもらおうと旧健軍飛行場近くに移設されました。

【ハツさんの孫 堤 裕倫 さん】
「ばあちゃん、みなさんのおかげで素晴らしいものができました。残すべきものを残し伝えることをきちんと伝えていくことが私たちの努めだと思います」

この日は義烈空挺隊の遺族も参列。機体の故障で引き返した酒井 一義 さんの息子・英治 さんは「父は、生き残った苦しみを感じていた」と話しました。

【酒井 一義伍長の三男 酒井 英治 さん】
「あまり戦争の話はしなかった。〈死に損ない〉と思っていた。人には言えない。他はみんな逝ってしまったが、自分たちだけ残って…」

戦死した稲津 勝 さんの姪、八代市の吉野 キヨミ さんは小学生のころ、生き残った酒井 さんが自宅を訪ねてきたことを覚えています。

【稲津 勝曹長の姪 吉野 キヨミ さん】
「『生き残って申し訳ない』と。『よく訪ねて来られましたね』としか言いようがなかった。故郷に向かって挨拶する場面がある。あのときはみなさんどんなことを言っていたか聞いたら『〈お母さん〉と言うのが多かった』というのが頭に残っています」

若い命を捧げた義烈空挺隊の隊員たち。誰を思い、何を思って飛び立って行ったのでしょう。

テレビ熊本
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