雲仙・普賢岳の火砕流で43人が犠牲になった6月3日のいのりの日を前に、17日島原市の上木場地区で清掃が行われました。
17日は34年前の6月3日を思わせるような雨雲がたれ込める天気となりました。
1991年6月3日
島原市の上木場地区では消防団員や警察官、それに報道陣など43人が火砕流の犠牲になりました。
遺族や関係者が6月3日にお参りで訪れるのを前に毎年この時期に地元の住民などが
夏草を刈り取っていて、17日は約100人が参加しました。
雲仙岳災害記念館 杉本伸一館長
「34年前にここで何があったのかそういうことを思い出してほしいし、参加できなかった人たちにも普賢岳であった災害を伝えてほしいと思う」
住民が避難していた地域で取材を続けていたメディアへの不信感は今も根強いものがあります。
それでも清掃は当時取材の拠点だった「定点」周辺まで行われるようなり、6月3日は慰霊とともに災害報道について改めて考える日になります。