被爆80年プロジェクト つたえる つなげるヒロシマ・ナガサキ
【俳優・上白石萌音さん】
「被爆80年プロジェクト」
【俳優・水上恒司さん】
「つたえるつなげる」
■平和を誓う手形#16 被爆者・原爆死没者名簿記載者 中本信子さん
被爆者の中本信子さん(82)。父を探すために母や姉弟とともに疎開先の廿日市市から広島市へ入り入市被爆。家族は全員無事だったが多くの親族を亡くした。
被爆当時3歳だった中本さん。原爆の記憶はあまり残っていない。それでも被爆者の声を聞くなどして被爆の実相に触れてきた。
【中本信子さん】
「父が話をしてくれました。皮膚が垂れ下がって目が飛び出た人が歩いたりとか焼けただれてそこにいた人が1日経ったら白骨だったとかそういう話を聞いた」
58歳の時、転機が訪れる。
【中本信子さん】2001年
「核兵器は廃絶していただきたい。世界平和のために筆をもたせていただこうと思いました」
中本さんは2001年から8月6日の平和記念式典で原爆慰霊碑に納める原爆死没者名簿の記帳を行っている。
原爆死没者名簿には去年の8月6日までに128冊、合わせて34万4306人が記載されている。記帳は代々、被爆者が繋いできた。
【中本信子さん】
「お役に立つことならと引き受けたが、だんだん年が経つうちに”大変な仕事”をさせていただいているんだなと責任感や使命感がある」
中本さんは24年にわたり1人1人の生きた証を丁寧に書き記してきた。
中本さんが手形のハトに込めて次世代に伝えたい思いとは?
【中本信子さん】
「戦争は人間の心から生まれるものだから人の心の中に平和の砦を作らなければならない。世界の色々なところで戦争が起きている。戦争を防ぐためにはスポーツ・文化・芸術をしっかり培っていかなければいけない。戦争を防ぐためには1つの砦になるのではないかと思う」
被爆者に思いをはせ、被爆80年の今年も中本さんは筆を握り、25回目の記帳に臨む。
【中本信子さん】
「人道上してはならないことを広島や長崎の上に落として焼け死んだ人がたくさんいること。言わなくてはいけないことを残して亡くなった人もたくさんいる。その意志を私たち生きているものが継いで世界平和のために伝えなくてはいけない」
「つたえる・つなげるヒロシマ・ナガサキ」