岩手県盛岡市で「鷹」にまつわる地名を探ると、現在使われていないが江戸時代中期にあった地名で「鷹匠小路(たかじょうこうじ」と「餌差小路(えさしこうじ)」がある。

現在の肴町・下ノ橋町界隈にあったのが「鷹匠小路」で、肴町・南大通り界隈にあったのが「餌差小路」だ。

長年にわたり県内各地の地名について調査している奥州市出身の宍戸敦さんは次のように説明する。

宍戸敦さん
「江戸時代に城下で使われていた地名を旧町名という言い方をするが、その中でもタカにまつわる地名として『鷹匠小路』と『餌差小路』がある。鷹匠小路はタカの飼育・調教をなりわいとする人々が居住していたところ。一方、餌差小路はタカの餌になるものを生け捕り、それをなりわいとする人々が住んでいたところ。どちらも盛岡藩で飼育していた鷹にまつわる地名ということになる」

現在、地名としては残っていないものの、下ノ橋町界隈では「鷹匠小路」の名をうかがい知ることができる。

では、どうして「タカ」が町名になるくらい当時重宝されていたのか。
江戸時代の盛岡藩について研究し、著書を手掛ける東北学院大学・兼平賢治教授は、江戸時代の「タカ」について、次のように話している。

東北学院大学 文学部歴史学科 兼平賢治教授  
「タカは武士にとって武威・権力の象徴ということ。江戸時代にあった『鷹狩り』は、将軍や大名など許されたものにしかできなかったので、ステータスにもなっていた。タカは権威の象徴だったので、良いタカを確保することが必要だった」

ーー江戸時代の「盛岡のタカ」は優れていたのか?

東北学院大学 文学部歴史学科 兼平賢治教授 
「江戸時代の前になるが、徳川家康・秀忠も役人を派遣して東北のタカを確保しているので、東北のタカは優れていると言える」

江戸時代「鷹狩り」に多く使われていたのは「オオタカ」という種のタカである。
狩りに適した中型のタカで、キジやカモなどの鳥類を捕獲する能力に長けていたという。

ーー「盛岡のタカ」は質が良かった?

岩手県立博物館 専門学芸調査員 高橋雅雄さん
「質が良かったというより、タカを飼うためには、幼鳥から飼いならさないといけない。今でもオオタカは盛岡市内で繁殖している。(江戸時代の頃は)初夏に幼鳥を捕まえて飼いならして鷹狩りに使っていた。良いタカの幼鳥が多く捕まえられるから、盛岡が良かった」

北の広大な地で育った「たくましいタカ」は、将軍へ献上されていた。

岩手県立博物館学芸員 おおこうち駿佑さん
「タカは将軍に献上され、将軍がタカをつかって捕った獲物は、各大名に与えられた。与えられた鳥や獲物を藩主は料理をして家臣にふるまっていた。将軍と藩主、藩主と家臣をつなぐ重要な儀式という側面があった」

東北のタカはまさしく宝物だった。さらに盛岡市内以外にも「タカ」にまつわる地名がある。

宍戸敦さん
「県内にタカにまつわる地名で一番多いのは『鷹ノ巣』という地名。それから滝沢の『巣子』もある」

大変貴重な存在である「タカ」。このほかの地域にある「タカ」がつく地名も鷹狩りと関係していたかもしれない。

岩手めんこいテレビ
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